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ジュリエットにはなれなかった  作者: まぎこ


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第27話 再考

渡り廊下を歩きながら、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


セナに腹が立っていないと言えば、嘘になる。誰にも言いたくなかったことを、勝手に喋られた。それも、悪気があったわけじゃないっていうのが、余計にやりきれない。悪意があるなら、まだ怒りをぶつけやすいのに。


家に帰る道すがら、色々なことを考えた。もし詩子だったらどう思うだろう。もし自分が逆の立場だったら、どうしただろう。答えは、簡単には出なかった。


それでも、家に着く頃には、少し頭が冷えていた。


セナのことは、嫌いになったわけじゃない。むしろ、小学校からずっと一緒にいて、こんな風にちゃんと向き合ってくれる相手なんて、そう多くない。あのとき、セナの顔は、はっきりと落ち込んでいた。ごまかしたり、言い訳したりしなかったことも、なんとなくわかっていた。あそこで「悪気はなかった」なんて言われていたら、たぶんもっと腹が立っていたと思う。


スマホを取り出して、少し迷ってから、メッセージを送った。


〈明日、ちょっと話せる? 昨日の続き〉


すぐに、既読がついた。


〈うん、いつでも大丈夫〉


短い返信からも、セナが緊張しているのが伝わってきた。



翌日の放課後、屋上へ続く階段の踊り場で待ち合わせた。人通りが少なくて、こういう話をするには、ちょうどいい場所だった。


「昨日は、ごめん」


セナが、開口一番、そう言った。


「うん。それは、わかってる」

「本当に、ごめん」


もう一度、頭を下げようとするセナを、手で制した。


「謝られるのはもういいから、聞いて」


そう言って、昨日感じたことを、ゆっくりと話した。


「正直、私は家庭、特に父のことを誰にも知られたくなかった。もちろん昨日言ったような周囲から憐れんで欲しいとかじゃないのはそうなんだけどさ」


どうすれば齟齬なく伝えられるだろうか。一言一句考えながら話そう。


「それを知られることで私を見る目は、どんな関係性の人間であろうと絶対変わる。特に詩子とセナには、私のことをそういう色メガネなしに見ていて欲しかったから」


セナは、何も言い返さず、ただじっと聞いていた。


「腹が立った。正直、今もちょっとだけ、まだ怒ってる。多分セナに悪気がないのは分かってるんだけど、私が傷ついたことに変わりはない」


正直に、そう伝えた。取り繕っても仕方がない。


「でも」


言葉を継ぐ。


「私は言いたいことは言ったから。これで仲悪くとか、なりたくないし」

「……うん」

「だから、これはこれで終わりにして、また普通に仲良くしよう」


セナは、少し驚いたような顔をしたあと、泣きそうな顔で頷いた。


「ありがとう、実音」

「お礼言われることでもないけどね」


そう言って、笑ってみせた。完全にわだかまりが消えたわけじゃない。それでも、この関係を、こんなことで壊したくはなかった。


階段を降りながら、セナが隣に並んでくる。


「今度、お詫びに何か奢るから」

「別に、そこまでしなくていいって」

「いや、させて。私の気が済まないから」


いつも通りの、少し強引なセナの調子に、思わず笑ってしまった。こういうところも、含めての親友なんだと思う。


完全に元通り、というわけじゃないかもしれない。心のどこかには、まだ小さなしこりが残っている。それでも、この関係を大事にしたいという気持ちの方が、今はずっと大きかった。


夕暮れの廊下を、二人並んで歩きながら、私はふと、これからもこうやって、色々なことを乗り越えていけたらいいな、と思った。



○



実音と仲直りできたことが、思っていた以上に嬉しかった。


家に帰ってからも、ずっとふわふわした気分が続いていた。あんなに気まずい空気になったのに、実音がちゃんと関係を続けようとしてくれたことが、なんだかありがたかった。「これはこれで終わりにして、また普通に仲良くしよう」って言ってくれたときの実音の顔を、何度も思い出してしまう。


もう、あんな思いは、実音にさせたくない。


ベッドに寝転がりながら、そう強く思った。今度こそ、ちゃんと実音の力になりたい。前みたいに、うっかり口を滑らせたりしない。今回は、絶対に誰にも言わない。自分の中だけで、しっかりと受け止める。それが、せめてもの罪滅ぼしになる気がした。


対象は、実音。期間は、今日一日。


そう決めて、文字盤に触れた。


頭の中に、情報が流れ込んでくる。


実音の家。玄関のドアを開けた瞬間、何かに驚いて悲鳴を上げている実音の姿。よく見ると、廊下の隅を、黒い小さな影が二つ、素早く動き回っていた。実音が虫が大の苦手だということは、前に本人から聞いたことがあった。悲鳴を上げてその場から動けなくなっている実音の姿が、頭の中にはっきりと焼きついた。


ゴキブリだ。


それだけの光景だった。命に関わるような、大きな出来事じゃない。それでも、あの家庭事情を知ってしまった今、実音がこれ以上、嫌な思いをするところを見たくなかった。せめて、これくらいのことなら、私にもどうにかできるかもしれない。


翌朝、教室で実音を見つけて、さりげなく声をかけた。


「実音、今日、家に帰らない方がいいよ」

「なんで?」

「なんとなく!」


我ながら、雑すぎる理由だと思う。でも、これ以上の説明は、できるはずがなかった。


「なんとなくって、意味わかんないんだけど」

「まあまあ、今日だけでいいから。うちにでも寄ってく?」

「……セナがそこまで言うなら、いっか」

「決まりね! じゃあ放課後、一緒に帰ろ」

「はいはい」


実音は、少し呆れたような顔をしながらも、素直に頷いてくれた。こういうとき、実音の性格には、いつも助けられる。理由を根掘り葉掘り聞かれていたら、きっと誤魔化しきれなかったと思う。


その日の放課後、実音を連れて、少し遠回りして帰った。二人で他愛のない話をしながら、いつもより長く過ごした一日だった。


家に帰ってから、なんとなく、実音の家のことが気になった。


翌日、それとなく聞いてみると、実音の家では、その日、父親がゴキブリを二匹退治するのに大騒ぎしていたらしい。実音が帰宅していたら、きっと同じ空間で、その騒動に巻き込まれていたはずだ。


「セナ、まさかあれ知ってて言ったの?」

「え、なんのこと?」


とぼけながらも、内心では、少しだけ誇らしい気持ちがあった。


説明はできない。理解もされない。それでも、こうやって、こっそり実音を守れているなら、それでいいと思った。誰にも気づかれなくたって構わない。実音が、あの家で少しでも嫌な思いをする回数が減るなら、それだけで、この時計を持っている意味がある気がした。


今度は、ちゃんとやれてる。


そう自分に言い聞かせながら、私は、また次の一日を、いつも通りの調子で過ごし始めていた。

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