第24話 知らなかった
翌朝、いつも通りの三人で登校した。
「おはよー」
「おはよ」
「今日、数学の小テストあるんだっけ」
「うわ、忘れてた」
「セナ、いつも忘れすぎ」
「だって覚えてらんないんだもん」
他愛のない会話をしながら歩く。昨日見たものが嘘みたいに、実音はいつも通りだった。
「そういえば、今度みんなでカラオケ行こうよ」
詩子が提案すると、実音は少し困ったような顔をした。
「あー、いつがいい? 私、今月ちょっと厳しいかも」
「そうなの? じゃあ来月とかでもいいよ」
「うん、ごめんね」
「全然、無理しなくていいよ」
「ありがと、詩子」
そのやり取りに、思わず動きが止まった。
「詩子の家、また今度泊まりに行っていい?」
「もちろん! でも実音の家には、私まだ行ったことないよね」
「あー、うち散らかってるから、恥ずかしくて呼べないんだよね」
「そうなの? 別に気にしないのに」
「いやいや、恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
実音が、いつもの調子で笑いながらそう言う。
だからだったのか。
家族や家の話を実音にすると、いつもさりげなく話題を変えていたことに気づいた。お父さんのことも、お母さんのことも、ほとんど聞いたことがない。今までは、単に話したがらない性格なんだと思っていた。無口ではないが少し内向的というか、そういう言葉で片付けて、それ以上深く考えたことはなかった。
でも、違ったんだ。
昨日見た光景が、頭の中で、実音のこれまでの言動と静かに重なっていく。カラオケを渋ったこと、家に呼ばなかったこと、お小遣いの話をあまりしなかったこと。バラバラだったパズルのピースが、一つの絵になっていくような感覚があった。
本人が言いたくないなら、聞かない方がいいよね。
そう自分に言い聞かせながら、いつも通りの顔で、実音の隣を歩き続けた。
「セナ、なにニヤニヤしてるの」
「え、してないよ! なんでもない」
「怪しいなあ、絶対なんかあるでしょ」
「ないない! ほんとに何もないから!」
慌てて誤魔化しながらも、心の中では、少しだけ得意な気持ちがあった。
実音のこと、前よりちょっとだけ、わかった気がする。
そんな錯覚が、静かに胸の中で膨らんでいった。何も聞かず、何も言わず、それでも実音のことを理解してあげられている。そんな気持ちよさに、少しだけ酔っていたのかもしれない。本当は、時計を通して一方的に覗き見ただけだというのに。
○
昼休み、教室の後ろでは、今日も誰かがセナに話しかけている。
「セナ先輩、ちょっといいですか?」
「はいはい、どうしたの?」
「部活の人間関係で、ちょっと悩んでて……」
「ふむふむ、詳しく聞かせて」
一年生らしき子が、真剣な顔で相談を持ちかけていた。セナは、それに丁寧に耳を傾けている。
「セナ、最近ほんと人気者だね」
「そう? まあ、頼られるのは嬉しいけどね」
「私には真似できないなあ」
「詩子は詩子のいいところあるじゃん」
廊下を歩けば、知らない上級生から会釈されることも増えた。
「古高さん、この前はありがとう」
「いえいえ、また何かあったら言ってください」
以前は、こんな風に上級生と気軽に話すセナを見たことがなかった。それが今では、当たり前の光景になっている。
「セナ、最近吉野先輩とよく話してるよね」
「え、わかる? 実はちょっとずつ進展してるんだよね」
「マジで? すごいじゃん!」
「でしょ? 私、なんか最近調子いいんだよね」
「セナならいけそうだよね、そういうの」
「気が早いって、まだ何も決まってないから!」
そう言って笑うセナは、本当に楽しそうだった。悩んでいるようには、まるで見えない。人間関係も、恋愛も、何もかもがうまくいっているみたいだった。
セナ、すごいな。
素直に、そう思う。私だったら、あんな風にたくさんの人から頼られたら、きっとパンクしてしまう。それを涼しい顔でこなしているセナは、やっぱりすごい。
「セナ、一緒に帰ろう」
「あ、ごめん、今日はちょっと先輩と話す約束あって」
「そっか、わかった」
「また今度、ゆっくり話そうね」
「うん、また今度」
そんなやり取りも、最近は少しずつ増えていた。
なんとなく、前より、セナと話す時間が減った気がする。
大きな不満があるわけじゃない。セナが忙しくしているのは、悪いことじゃないし、頼られているのは、むしろ誇らしいことだと思う。それでも、ふとした瞬間に、ほんの少しだけ、寂しさに似た感覚がよぎることがあった。
放課後、一緒に帰る回数が減ったこと。休み時間、セナの周りにいつも誰かがいて、以前のように気軽に話しかけづらいこと。そういう小さな変化が、少しずつ積み重なっているだけなのかもしれない。
それが何なのか、うまく言葉にできないまま、私はいつも通り、教室のざわめきの中に紛れていった。




