第14話 千夏先生
「詩子、早く早く! Mr.FinE始まっちゃう!」
袖で衣装を脱ぎながら、実音が急かしてくる。
「ちょっと待って、このホック外れなくて……!」
「山城さん呼ぶ?」
「いい、自分でやる。もうちょっとだから」
「急いで急いで、もう出囃子始まってるって!」
「わかってる、わかってるから!」
なんとか制服に着替え終えて、実音と二人で客席へ駆け込んだ。ちょうど、Mr.FinEのメンバーがステージに登場したところだった。
「間に合った……!」
「詩子、ほら、あそこ見て」
実音が指さした先、ドラムセットの前に、千夏先生が座っていた。
演奏が始まる。
軽やかにスティックを回し、正確なリズムを刻んでいく姿は、普段のちょっと抜けた雰囲気とはまったく別人のようだった。曲が盛り上がるたびに、教師らしからぬ、生き生きとした表情が浮かぶ。
「先生、めちゃくちゃうまくない?」
「うん……なんか、いつもと全然違う」
観客席から歓声が上がり、手拍子が広がっていく。
「先生、数学教えてるときよりキラキラしてない?」
「たしかに。授業中あんな顔見たことないかも」
「なんか反則じゃない、あれ」
「わかる。ずるいよね、あんな一面見せられたら」
周りの席からも、そんな声がちらほら聞こえてきた。私も、隣で頷くことしかできなかった。
サビに入ると、ボーカルが煽って観客を巻き込んでいく。手拍子がどんどん大きくなり、体育館全体が一つのリズムに包まれていった。その中心で、先生は変わらず落ち着いた表情でリズムを刻み続けている。
「詩子、手拍子しないの?」
「あ、うん、する」
実音に言われて、慌てて手を叩く。それでも、気づけばまた、視線が千夏先生の方へ戻ってしまっていた。
隣の列にいたセナが、身を乗り出すようにして声をかけてくる。
「詩子、こっち来て見なよ、もっと近くの方が迫力あるって」
「え、でも席移動していいのかな」
「大丈夫大丈夫、みんな適当に立って見てるし」
セナに手を引かれて、少しだけ前の方に移動した。近づくと、先生の表情がさらによく見えるようになった。汗を光らせながら、それでも涼しい顔でリズムを刻み続けている。数学教師の顔とは、やっぱりどこか違って見えた。
「詩子ってば、さっきからずっと先生の方見てるじゃん」
実音にからかわれて、はっとした。
「え、そう、かな」
「そうだよ。もう演奏始まってから一回も目離してないと思う」
「べ、別にそんなことないし」
「ふーん、まあいいけど」
「ほんとだって」
「はいはい」
実音の目は、あまり信じていない様子だった。それ以上追及されなかったことに、少しほっとした。
自分でもよくわからなかった。ただ、なんでこんなに見てしまうんだろう、とは思う。理由は特にない。ただ、かっこいいと思った。それだけのことのはずだった。
「あの、先生、大学時代軽音サークルだったんですか!?」
前の席の男子が、演奏の合間に声を張り上げて尋ねている。
「まあ、そんなようなものですね」
「めっちゃかっこいいんですけど!」
「ありがとうございます。褒められると調子に乗るタイプなので」
その返しに、観客席がどっと沸いた。私も、思わず笑ってしまった。
「先生、次の曲もお願いします!」
「体力が持てば、頑張りますよ」
ボーカルの掛け声に合わせて、千夏先生が軽くスティックを掲げてみせる。それだけの仕草なのに、また客席から歓声が上がった。
演奏が終わり、Mr.FinEのメンバーが観客に向かって深々とお辞儀をする。その隣で、千夏先生も同じように頭を下げていた。教師というより、一人のバンドメンバーとして舞台に立つその姿を見て、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなった。
拍手が鳴り止まないまま、体育館の照明が徐々に落とされていく。今日一日の出し物は、これですべて終わりを迎えた。




