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ジュリエットにはなれなかった  作者: まぎこ


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第13話 本番

暗転。観客席のざわめきが、すっと静かになる。照明が入り、幕が上がった。


キャピュレット家の広場を描いた背景の前に、私は立っていた。数百人分の視線が、一斉にこちらへ注がれているはずだった。それなのに、不思議なくらい、その圧を感じなかった。


「お母様、ただいま。何かご用でございますか?」


台詞を口にした瞬間、頭の中が澄んでいくのがわかった。緊張していたことなんて、まるで嘘のように消えている。台詞は、もう覚えたものを再生しているという感覚ではなく、その場で自分の中から生まれてくるもののように、自然に紡がれていった。


仮面舞踏会の場面。立石くん演じるロミオが、私の手を取って見つめてくる。


「あなたの手に触れただけで、この巡礼の旅は報われた気がする」

「巡礼者様にしては、ずいぶんと手が達者なのね」

「では、手ではなく唇で、その罪を清めさせてもらえますか」


そう言って、立石くんが芝居がかった仕草で頭を下げる。客席から小さな笑い声が漏れた。初めて誰かに恋をした少女の戸惑いと喜びを、自分の感情のように感じながら演じた。相手の家との因縁を知りながらも、それでも惹かれずにはいられない、その矛盾した気持ち。演じているはずなのに、いつの間にか、自分自身がそう思っているような錯覚に陥る。


バルコニーの場面。夜の庭を見下ろす位置に立ち、私は誰にも聞かせるつもりのなかった独り言のように呟いた。


「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。お父様の名前なんて、捨ててしまえばいいのに」


物陰から現れた立石くんが、驚いたように声を上げる。


「その言葉、本当に捨ててしまってもいいのなら、僕はもうロミオじゃなくていい」

「……! 誰、そこにいるの」

「名乗れば、あなたに嫌われる名前です。だから、名乗りたくない」


声を張り上げるのではなく、そっと相手に届けるように、けれど確かな熱を込めて。立石くんの声と自分の声が、まるで呼吸を合わせるように重なっていく感覚があった。誰かを好きになるということが、こんなにも怖くて、こんなにも幸福なものだったなんて、演じながら初めて実感したような気がした。客席からは、物音一つ聞こえてこなかった。


ロレンス神父の庵の場面。二人で神父の前に立ち、私は震える声で告げた。


「たとえ明日、この世界が終わるとしても、今日、この人と誓いを結びたいんです」

「その覚悟、私が見届けよう」


若さゆえの向こう見ずさと、それでも譲れない一途さを、身体全体で表現した。


観客の中に、セナと実音の姿がちらりと見えた。二人とも、口を半開きにして舞台に見入っている。その表情を見て、少しだけ嬉しくなった。


毒薬を仰ぐ場面が近づいてくる。小瓶を手に取り、私は声を震わせた。


「これを飲めば、私はもう、ロミオだけのもの。他の誰のものにもならない」


ジュリエットが、愛する人のために、恐怖を押し殺して薬を口にする瞬間。私は台本で読んだときよりも、ずっと生々しい恐怖と覚悟を、身体の内側から引き出そうとした。


演じれば演じるほど、不思議な感覚があった。台詞を追うことも、動きを覚えていることも、いつの間にか苦にならなくなっていた。それどころか、ジュリエットという人物の中に自分が入り込み、彼女として悩み、彼女として恋をし、彼女として決断していくこと自体が、楽しくてたまらなくなっていた。


こんな気持ちは初めてだった。台詞を間違えないように、動きを忘れないようにと、そればかりを気にしていたはずなのに、今は、ジュリエットという少女がこの先どうなるのかを、自分自身が一番知りたがっているような、不思議な感覚に包まれていた。


霊廟の場。目覚めたジュリエットが、すでに息絶えたロミオを見つける、物語最後の場面。私は短剣を手に取り、涙をこらえながら告げた。


「あなたが逝ってしまったのなら、私がここに残る意味なんて、どこにもない」


声を震わせながらも、はっきりと、体育館の隅々まで届くように。


静まり返った会場に、私の声だけが響いていた。膝から崩れ落ちるように倒れ込む。その一瞬、本当にジュリエットになったような、奇妙な感覚があった。


暗転。


一拍置いて、拍手が体育館全体を揺らした。誰かが「詩子、すごかったよ!」と叫んでいるのが聞こえたけれど、そのときの私は、まだ舞台の余韻から抜け出せずにいた。


幕の裏に戻ると、立石くんが興奮した様子で駆け寄ってきた。


「詩子、まじで鳥肌立ったわ!あんな演技できるとか、隠してたろ」

「隠してたわけじゃ、ないんだけど……自分でもびっくりしてる」


小山内も、目に涙をためて待っていた。


「詩子、ありがとう……本当に、ありがとう…!」

「私こそ、こんな大役、任せてくれてありがとう」


セナと実音も、興奮した様子で駆け寄ってくる。


「詩子、まじですごかった! 泣きそうになったんだけど」

「私も。詩子がジュリエットって決まったとき、正直不安だった、ごめん」


その言葉が、なんだかくすぐったくて、素直に頷くことしかできなかった。


心臓はまだ早く脈打っていた。それでも、開演前の緊張とはまるで違う、心地よい高揚感が身体を満たしていた。


もっとやりたい。もっと、この人の人生を生きてみたい。


そんな、自分でも予想していなかった気持ちが、胸の奥に静かに芽生えていた。演じることが、こんなにも楽しいなんて、舞台に立つ前は想像もしていなかった。

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