第12話 リハーサル
翌朝のリハーサル。体育館に集まった出演者たちの前で、小山内が段取りを確認していく。
「昨日の今日でぶっつけ本番みたいなもんだから、今日一日でできる限り仕上げよう」
「詩子、立ち位置とか動きは昨日教えた通りでいい?」
「あ、うん。台本にメモしてあるから、たぶん大丈夫……」
大丈夫、と口では言いながら、内心はまったく大丈夫じゃなかった。
「じゃあ、頭から通してみよう。詩子、大丈夫そう?」
「うん……たぶん」
正直、まったく大丈夫じゃなかった。台詞は頭に入っている。それでも、実際に舞台の上に立つと思うと、手のひらにじわりと汗が滲んだ。
「じゃあ、キャピュレット家の広場からスタート!」
柿谷くんの合図で、リハーサルが始まった。
「おお、ロミオ、ロミオ……」
一言目を発した瞬間、不思議なことが起きた。緊張していたはずなのに、台詞がすらすらと口から出てくる。頭で考えるより先に、身体が動きを覚えていた。
「ちょっと詩子、すごくない……?」
実音が呆然とした顔で見ている。周りのクラスメイトたちからも、次第にざわめきが広がっていった。
「え、詩子ってこんな演技できたの?」
「昨日の今日で、なんでこんな……」
「マジで鳥肌立った、今の」
小山内も台本から顔を上げて、驚いた表情を浮かべている。
「詩子、めちゃくちゃいいよ! そのまま続けて!」
褒められれば褒められるほど、なぜか落ち着かなくなった。自分では、全然うまくできている気がしなかったからだ。台詞は出てくるのに、心臓だけが別の生き物みたいにバクバクと鳴っている。
一場面が終わるたびに、手が震えているのに気づく。
「詩子、リハでそんだけできてんだから、本番も大丈夫だって!」
「そうそう、緊張しすぎ。いつもの詩子でいいんだから」
セナと実音が代わる代わる励ましてくれる。
「でも、全然できてる気がしないの。本当は、もっとちゃんと……」
「いや、今ので全然ちゃんとしてるから。詩子だけが気づいてないだけ」
「そうそう、周り見てみなよ、みんな詩子に釘付けだったよ」
そう言われても、実感が湧かなかった。頭ではわかっていても、心臓の音は少しも落ち着いてくれない。
「もう一回、最初から通そうか」
「うん……お願いします」
二度目の通し稽古も、一度目と同じように進んでいった。演技そのものはうまくいっているはずなのに、私の中では、不安ばかりが積み重なっていく。
休憩の合図がかかり、舞台の端で水分を取っていると、隣に誰かが立った。
「緊張しているようですね」
千夏先生だった。ドラムセットの位置を確認しにきたところらしい。
「……はい。すごく」
「そうは見えませんでしたけどね。台詞、完璧でしたよ」
「そんな、完璧なんかじゃ……全然、自分では全然できてる感じがしなくて」
「本木さんは、いつもそうですね」
「え?」
「自分の良いところに、意外と気づかないタイプだと思います」
思いがけない言葉に、少し戸惑った。
「先生は?」
素直に聞き返してしまった。この人が緊張するところなんて、想像がつかなかったから。
「私もですよ」
意外な答えに、少しだけ肩の力が抜けた。
「先生でも緊張するんですね」
「当たり前じゃないですか。私だって人間ですから」
「先生が緊張してるところ、あんまり想像つかないです」
「そう見えているなら、それは良いことだと思いますよ。生徒を不安にさせない教師でいたいので」
そう言って、先生は少しだけ笑った。それだけのことなのに、不思議と震えが治まっていくのがわかった。理由はよくわからない。ただ、この人と話していると、なぜか呼吸がしやすくなる気がした。
「まあ、緊張していても、身体は覚えていますから。大丈夫ですよ」
「……はい」
「本番も、今みたいにやれば大丈夫です。あなたなら」
その一言を最後に、先生は舞台袖の暗がりへと戻っていった。
「詩子、なんか顔色よくなった?」
実音が不思議そうに尋ねてくる。
「うん……なんでだろう。ちょっと落ち着いた、かも」
自分でもうまく説明できなかった。ただ、さっきまでの息苦しさが、少しだけ和らいでいた。
「先生と何話してたの?」
「別に、大したことじゃないよ。緊張してるかどうか聞かれただけ」
「ふーん」
セナが何か言いたげな顔をしたけれど、それ以上は聞いてこなかった。
「よし、休憩終わり! 最終通し行くよー!」
小山内の声が体育館に響く。私は台本を握りしめて、もう一度舞台の中央へと向かった。さっきよりも、少しだけ足取りが軽い気がした。
*
衣装に着替え、髪をセットしてもらいながら、鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。少し胸周りにキツさを覚えつつも、ジュリエットの衣装をまとった自分は、いつもの自分とは少し違う人間のように見える。緊張のせいで青ざめているのに、目だけはやけに強い光を宿していた。
舞台袖に立つと、体育館の向こうから聞こえる観客のざわめきは、リハーサルのときとは比べ物にならないくらい大きかった。心臓がまた早鐘を打ち始める。それでも、リハーサルの最後に千夏先生と交わした短い会話が、まだどこか胸の奥に残っていて、完全に押しつぶされそうになることはなかった。
「詩子、これ以上ないくらい準備してきたんだから。あとは、楽しんでくればいいだけだよ」
実音がそう耳打ちしてくれた。
「うん、ありがとう」
「じゃあ、行くよ。みんな、頑張ろう」
小山内の声に、出演者たちが小さく頷く。私も、台本を強く握りしめてから、それを裏方のスタッフに預けた。ここから先は、自分の記憶だけが頼りだった。




