第11話 責任感
「つっ、いったー……」
「ううう、言わんこっちゃない……」
今思えば、あのときもう少し強く言っておけば、こんなことにはならなかったんじゃないか。私はいつも押しが弱くて、相手の意見や行動に押し切られてしまうことが多い。強く言うべきときは、ちゃんと強く言おう。今この瞬間、そう心に誓った。
*
Ms.FinEの演目が終わり、体育館での出し物はすべて終了。暗幕が開けられ、スピーカーやドラムセットの片付けが始まっていく。
「失礼しまーす。2-Bの野町です。ロミジュリの背景を直しに来ました」
そう言って、野町は倉庫から脚立を運んできた。危なげのない足取りで、危険な感じはまったくしなかった。新体操部だけあって、脚立の上り下りにも慣れている様子だった。
「野町、無理しないでね」
「大丈夫大丈夫、任せて」
すぐ近くでは、Mr.FinEのドラム担当の人が、機材の置き場所を確認していた。
「明日はここにドラム置くんで、ちょっと通りますね」
「あ、はーい、どうぞ」
彼はそう言いながら、配線やスタンドの位置を何度も歩いて確かめている。片付けの喧騒と、明日への焦りが入り混じった、文化祭らしい夜だった。
野町が脚立を上りきり、筆を持ち替えて身体を大きく伸ばした。
「よいしょっと……あ、思ったよりここ、剥げてるとこ広いな」
そう呟いた、そのときだった。床に伸びていたケーブルに脚が触れ、脚立がぐらりと傾いた。
「あっ」
「危ない!」
私は反射的に叫んでいた。とっさに近くにいたドラム担当の人が野町の方へ飛び込み、その身体を受け止めた。
「うわっ……!」
けれど、支えきれなかった分だけ自分の体勢を崩し、二人はもつれるように床へ倒れ込んでしまった。脚立が甲高い音を立てて転がる。
「野町!」
「大丈夫ですか!」
私と実音は駆け寄った。周りにいた人たちも次々に集まってくる。
「いった……足首、なんか変な感じする」
「動かせる? 折れてはなさそう?」
「わかんない……たぶん捻っただけだと思う」
彼女を受け止めてくれたドラム担当の人も、倒れ込んだ拍子に手首を強く打ったらしく、顔をしかめて右手を押さえていた。
「すみません、俺のせいで巻き込んじゃって」
「いや、庇ってくれたんだから謝らないでください……! それより手首、大丈夫ですか」
「ちょっと痛いけど、たぶん折れてはないと思う……たぶん」
「先生呼んできます!」
誰かが叫んで走っていく。
「野町、ほんとにごめん、私たちがもっと早く気づいてれば」
「実音と詩子のせいじゃないよ……こんな時間まで残っててくれてありがとう」
保健室の先生が来てくれた。
幸い大きな怪我ではなかった。それでも、しばらく安静が必要なことだけは、二人の顔色を見れば明らかだった。
「野町、明日……」
「うん。たぶん、無理、だよね」
明日、ジュリエット役はいない。ドラムを担当するはずだった人もいない。
*
「ごめん、明日の演劇、中止になるかもしれない…」
「お前が謝ることじゃないって!」
慰めも虚しく、小山内の言葉に空気が一気に重くなった。
「えっとその、マジで? ジュリエット役、いないってこと?」
「そういうこと。捻挫だから、無理して舞台に立たせるわけにもいかないし」
「ドラムの人も手首だもんね……」
「代役、誰か立てるしかないんじゃない?」
セナがそう言うと、立石くんが首を横に振った。
「そんなすぐに用意できるものじゃないだろ。台詞量も動きも半端ないし」
「じゃあ中止にするの? そんなのやだよ、ここまでやってきたのに」
山城さんが悔しそうに声を上げる。
「中止だなんて、そんな……台本、夏休みずっとかけて書いたのに」
中森さんの隣で、喜田さんも小さく声を漏らした。
「わかってる。わかってるけど、じゃあどうすればいいんだよ」
沈黙が落ちる。誰も、次の言葉を継げずにいた。
そのとき、中森さんが私の方をちらりと見た。
「詩子さん……もしかして、台本、読んでたりします?」
心臓が跳ねた。
「え、あ、はい。仕事とは関係なく、興味があって、読んでは、いました……けど」
「もしかして、覚えてたりします?」
みんなの視線が、一斉に私に集まる。
「……大体は」
しん、と場の空気が変わった。
「詩子、まじ?」
「うそ、いつの間に!」
実音とセナが同時に声を上げた。
「無理にとは言わない。ただ、もし詩子がやってくれるなら、この舞台を無駄にしなくて済む」
小山内が、真っ直ぐに私を見て言った。
「え、私が? いや、無理だよ、台詞覚えてるだけで、演技とか全然……」
「詩子、リハでいけるところまでやってみない? だめならその時また考えればいいし」
「そう、だよ。とりあえずやってみよう?」
セナと実音に背中を押されて、私は少し迷った。裏方のつもりで準備してきた文化祭だった。急にスポットライトの下に立つなんて、考えたこともない。
「詩子、無理にとは言わないよ。ただ、他に方法がないのも本当で」
「……少し、考えさせて」
みんなが黙って私の返事を待っている。その視線の中で、これまでの準備の日々が頭をよぎった。中腰で塗り続けた背景。山城さんが夜なべして作った衣装。小山内が何度も練り直した演出。
それでも――ここまでみんなで積み上げてきたものを、簡単に諦めたくなかった。
「……やります。私で良ければ」
「よし、じゃあドラムの方も何とかしないと。誰かいないか、習い事とかで叩いてた人」
立石くんの言葉に、みんなが顔を見合わせる。
「うちの兄貴、軽音部だったけど、明日なんて急には呼べないし」
「誰かいないの? マジで」
答えの出ないまま、時間だけが過ぎていく。そのとき、廊下を通りかかった千夏先生が、ひょいと顔を出した。
「なんだか賑やかですね。こんな時間まで、どうしたんですか?」
「ゆ、ゆうきちゃん!?」
「…立石くん、ゆうきちゃんってなんですか?」
「え、いや、その…千夏先生」
「うむ、よろしい」
笑顔のまま圧を与えることもあるんだと、その時思った。
事情を説明すると、先生はしばらく黙って考え込んだ。
「私、大学時代、少しだけドラムをやっていましたよ」
「え」
「先生が?」
「本当ですか、それ」
半信半疑の空気が広がる。
「まあ、口で言うより、見てもらった方が早いですね」
体育館へ移動し、まだ片付けの途中だったMr.FinEのメンバーの前で、先生はスティックを借りた。
「じゃあ、一曲だけ」
静かにカウントが始まり、体育館にリズムが響く。手数は多くないのに、テンポは一切崩れない。演奏が終わると、メンバーたちは顔を見合わせた。
「先生、マジでうまいっすね。これなら明日、全然いけます」
「褒めていただいて光栄です。生徒のみなさんの足を引っ張らないよう、頑張りますね」
こうして、急遽ではあるものの、ジュリエット役は私に、ドラムは千夏先生にというかたちで、明日の本番を迎えることになった。




