第10話 舞台
「失礼しまーす」
裏方に入ると、意外と淡々と準備が進められていた。思っていたよりも落ち着いていて、粛々と準備が進んでいるように見える。
それでも、全員の顔にはこわばりが見える。周りを見る余裕がなく、自分の仕事を一生懸命こなそうとしているのが伝わってくる。
それじゃダメというか、何か違う気がした。
舞台劇は、ただ台本通りに進めるだけのものじゃない。人が舞台に立つ以上、台本にないことが起こることもある。それを補うのは、失敗した本人であったり、相手役や照明を担当する周りの人だ。そうした支え合いがあってはじめて、舞台は本来のクオリティを保っていける。
でも、今の状況を見ていると、一部の人にその余裕はなさそうだった。
これはまずい。ミスが一つも許されない空気になっている。素人がミスもなく舞台をやり遂げることなんて、まずない。この演劇は、どこかで誰かが必ずミスをする。そしてそのミスは、ドミノ倒しのように連鎖してしまうかもしれない。
私にどうにかできる状況じゃないけれど、これが一介の高校生が抱えていい緊張感じゃないことだけは、なんとなくわかった。
ピリピリした空気の中、小山内の顔を見た。私と小山内は幼馴染だ。私が一人っ子で片親ということもあって、同じ小中学校で過ごしてきた縁で、実は長い付き合いになる。
小山内健多。姉の優子さんと妹の陽織ちゃんをきょうだいに持つ。小学生の頃はよく優子さんや陽織ちゃんに遊んでもらったし、もちろん小山内ともよく遊んだ。家族ぐるみで登校したり、キャンプに行ったりした時期もある。
中学生になったあたりから、一緒に登校するのはやめた。小学校高学年の頃からあった、周りのひやかしに耐えられなかったからだ。それでも、小山内は変わらず私と付き合ってくれる優しい人だ。
中学生の頃から、優子さんや陽織ちゃん、お母さんの里奈さんの影響でミュージカルにハマり、将来は劇作家か演出家になりたいと言っている。そのために良い大学の文学部を目指し、中三のときは一緒に勉強して、この地域では比較的進学校寄りの桜ヶ峰へ進んだ。
今でも、父の帰りが遅い日や出張のときは、うちに泊まりに来ることもある。最近は文化祭の悩みを聞いてあげたりもした。なんだかんだ、今でも仲はいい。
話を戻そう。小山内もこの空気がまずいことはわかっているのに、動き出せずにいた。緊張しているし、どうすればいい方向に持っていけるのか、その糸口が見えていないようだった。
そこへ、実音が小山内のもとへ歩いていき、バシッと背中を叩いた。
「いっ、……なんだ実音か。なんかあったか」
「なんかあったも何もないよ。何でもいいから、みんなに何か言ってあげな」
男勝りすぎて、少しかっこいいと思ってしまった。それを聞いて、小山内は少し考えたあと、何かを理解したようにうなずいて、「わかった」と答え、自分の準備に戻っていった。
舞台の準備が一通り終わり、小山内は裏方の演者を全員集めた。
「みんな、最後に聞いてほしい。たぶんここにいる人たちは、これから始まるこの舞台を、自分たちがやることを楽しみにしてると思う。ただ、前後のすごい発表とか、観客の多さもあって、すごく緊張してると思う」
大きくうなずく人もいれば、いつも通りに見える人もいる。それでも、誰の中にも緊迫感のようなものがあって、高校の文化祭程度でここまで感じるものなんだろうか、とも思った。
「今までの準備とか努力が必ず実を結ぶ、なんてことは言わない。正直、いくつかミスもすると思う。僕自身もすると思う。だから、これだけは意識していこう。ミスしようがしまいが、楽しくやろう!」
「なぁに言ってんだ今更。もうとっくにみんな楽しんでるよ」
クラスの中心人物で、ロミオ役の立石くんがそう返す。小山内は人をまとめるのが初めてってわけじゃないけれど、クラス全体を細かく見られていたわけじゃなかった。そういう部分を、立石くんがずっと支えてくれていたのかもしれない。
「というか、前後の発表がすごいとかは関係ないよ。俺たちはやることはやったし、あとは今日明日を走りきるだけ。だよな、みんな!」
みんなが頷いた。小山内は前後の発表のレベルをずっと気にしていたけれど、どうやらそれは杞憂だったらしい。実際、そのことを気にしていたのは、監督の小山内と、相談を受けた私くらいのものだったようだ。
それもそうだ。文化祭でそこまで気にする人なんて、そういない。気にするとしたら、観劇やイベントを生業にしている人くらいだろう。今からプロ意識が高いことには、少し敬意を示したい。
「みんな……ありがとう! 最後まで頑張ろう」
小山内は、始まる前から少し泣きそうになりながらそう言った。
「泣くのは終わってからだぞ、小山内!」
私は小山内の背中を叩いた。いつもはこんなことをしない私なのに、つい、やってしまった。
「っつ。今日はやけに背中叩かれるな。頑張るよ」
小山内は笑顔を私に向けて、自分の持ち場についた。
*
「ふーっ、疲れたー」
舞台は無事に終わり、あとは今日の体育館イベントの締め、Ms.FinEの演奏を残すのみとなった。
「詩子、撮ったやつちょっと見せてもらえない?」
「あ、うんいいよ」
ジュリエット役の野町が、終わってすぐに自分の様子を確認したかったのか、私のもとに駆け寄ってきた。
すると、立石くんが、
「野町すごいな、よほど自信があったのか?」
「そんなんじゃなくて、キャピュレット家の庭園の背景がなんか剥げてる気がして……あっ、やっぱり剥げてた」
野町が指さした先――キャピュレット家の建物の側面、色が少し剥げている。
「よく気づいたな。俺は自分のことで精一杯で、そんなの気にする余裕なかったよ」
「あんたみたいな単細胞とは違うのよ」
「くっ……認めたくないが図星だ」
単細胞がクラスの中心人物になれるわけないと思うんだけどなあ……人って怖い。
「詩子か実音、最後の演目終わったら私これ直そうと思うから、脚立と絵の具、準備してきてくれる?」
「いいけど、それ私たちの仕事だし、最後の演目の片付けに混ざってやるの、危なくない?」
「大丈夫大丈夫、ただ塗るだけだし、私、新体操部だから体幹はいいんだ」
「うーん……まあ、わかった。持ってくるね」
危なさを考慮した私と、Ms.FinEの演奏を聴き逃したくない実音は、渋々ながら体育館を出て、脚立と、剥げた箇所に使っていた絵の具を取りに向かった。




