閑話・生け贄の少女
アリッサはここより北にある小国の、辺境にある小さな村で生まれた。
北と言っても北極圏には遠く、豊かな森に囲まれ、家畜と畑もあり、危険な魔物も出ないので、村だけで自給自足が出来る長閑な村だ。
村にあるお金は、たまーに街に遠出して売り買いする程度。行商人すら来ない辺鄙な村。どこにでもある、普通のど田舎。それだけの筈だった。
かつて、この村には生け贄の風習があった。
昔々の話だ。今は、村の中央にある石碑が、忌まわしい風習を忘れないようにと置かれているだけで、かつての面影はどこにもない。
その魔物が村を訪れるまでは。
それは一匹のオークだった。村の見張りをもろともせずに押し入ったオークは、見張りの警鐘に物々しく集まって来た村人達を余所に、矢を放ち、一件の屋根に突き立てこう言った。
「来る三日後の満月の宵、丹塗の矢の先にある穢れなき女を祭壇に捧げよ。然もなくばこの地に癒えることなき災いが振り撒かれるであろう」
魔物が喋った。これは伝承の生け贄のことなのか、何故今になって。矢を突き立てられたのは誰の家だ。娘を豚に捧げろと言うのか。生け贄の風習が復活したらこの村はどうなるんだ。
瞬間に膨れ上がる多大な疑問。それは、言い放ったオークが溶けて死んだ瞬間、絶望に変わった。
ーーああ、この村は終わった。
オークに言葉を与え、自在に扱い、始末出来る某かがまともな訳がない。相当の神通力を持った、得体の知れない何か。ただの田舎の村人が恐怖に支配されるのは無理からぬことであろう。
オークが溶け、汚泥のように沈澱した悪臭にえづき、吐き気を催す村人。草は腐り、大地が変色して悪臭を放つ。
もしもこのオークが大量にいて、同じように死んだだけでも、村が滅びるには十分の災いとなる。
最早疑うべくはない。生け贄を出さなければこの村は滅ぶ。小さい村だ。足りなくなればお仕舞い。どの道、早いか遅いかの差でしかない。
生け贄に選ばれた少女を余所に、村人達の会合は紛糾する。
国に助けを求めるべきだ。
三日では往復はおろか、隣の村にも辿り着けない。
生け贄なんてしてなんになる。明日は我が身だ。先祖の教えを忘れたか。
村を捨てて逃げるべきだ。
足の悪い老人もいる。村を離れて生きていけるのか?
魔物に殺されるよりマシだ。
今逃げたら災いはどこまでも追って来るのではないか?
では生け贄に捧げよというのか?
準備にも時間はかかる……逃げるにしても、助けを求めるにしても。
生け贄がお前の娘でも同じことが言えるのか?
そもそも国は助けてくれるのか?
人にどうこう出来る相手なのか。
生け贄にしても、すぐに次を求められるのではないか。
どうせ殺されるなら、こちらから打って出るべきだ!
下手に刺激をして、草木一本ない不毛の地になったら、我々は生きていけまい。
だから、生け贄を容認せよと?
何人生かすか、何人死ぬか……。
喧々囂々。自分の生殺与奪を決める言葉を、アリッサ少女はどんな気持ちで聞いていたのだろう。それは本人にすらわからない。
一晩が経ち、少女は指一本動かせない高熱に見舞われ、逃げるという選択肢はなくなった。
おぶって逃げようにも、明日生きていられるかわからないほどの病だ。これも災いのひとつだとしたら、逃げた瞬間運命が定まる。
最早逃げられんと徹底抗戦を謳う者、一人を犠牲に逃げるべきと主張する者、祈る老人。死ぬ覚悟を決める老人。逃げ仕度を整える者、こっそり逃げ出す者。
この混乱は村長にも纏めることは出来ず、村は割れた。
そんな中、村に訪れた四人の冒険者。
大剣を背負った少年と、白と黒の猫獣人、子供を引率する渋いおぢさま。
Dランクの冒険者、カイゼンベルクパーティ。
道に迷ったという冒険者に、村の反応は冷ややかだった。
助けを求めるべきだ。子供に何が出来る。助けを求めていいのか? 災いが降り掛かるのではないか。いや、そもそも本当に人間なのか。我々を監視する魔物ではないのか……。
疑心暗鬼に弱り切った村人達に、前向きな判断は出来ない。
排他的な村など珍しくもない。だが、それには何か理由がある。何かに怯えるような大人の目と、大人によって隠される、すがり付くような子供の目を見てしまっては。
さっさと出ていけという態度を隠しもしない村人に臆しもせず、村の事を調べるカイゼン一行。
村にある石碑に記された生け贄という言葉。隠されるように布を敷かれた意味ありげな家。結びつけるのにそう時間はかからなかった。
子供は素直だ。加えて、意気地のない大人に押さえ付けていられるエネルギーではない。
満月の日の昼日中、言質を取った御一行は、担いだ大剣を地面に突き立て村の中心で言い放った。
ーー冒険者は自由だ。己の行動で起こる、全てを受け入れる覚悟があるからだ。石を投げられようとも。村一つを滅ぼそうとも。
今日、俺は人を犠牲にする魔物を退治する。止められるものならやってみろッ!
この口上は、生け贄の仕度をするために這い出ていたアリッサの耳にも届いていた。
冒険者は自由ではない。人を殺せばギルドを追われ、国に背けば国に追われる。それは村人とて同じこと。
優位性は即ち数だ。数で抑え込めば優位に立てるし、口裏を合わせればどうとでもなる。しかし、決然と構える冒険者に、ただの村人が勝てるビジョンが見えない。
意見が対立した時、極論最後に勝つのは力だ。それは武力だったり資金だったり話術だったりする。
村人に彼らを止める術はない。ともすれば、卑怯と呼ばれる行為だろう。だが、カイゼンベルクに譲るつもりは毛頭ない。
誰一人とて犠牲にならない道が、一つでもあるのなら、それを選ばないという選択肢は一つもない。
かくして生け贄を要求する魔物を退治する事となった冒険者。
格好良い口上に、俯き歯噛みする情けない大人に見切りを付け、暗い現状を打破して欲しいと子供達がすがり付く。
これはエノレフが後に聞いた話だが、アリッサは村の子供達にも慕われているそうだ。怒ったりしなくて、優しいお姉ちゃんだった。
小さな男の子から、宝物だという丸い石を受け取り、冒険者として正式に依頼を請けた御一行。大義名分を得て、意気揚々と祭壇に向かう彼らの前に、次に立ちはだかったのはアリッサだった。
元は私一人が犠牲になればそれで済むこと。人任せには出来ない。どうか連れていってください。
明らかに体調の優れない少女の訴えが聞き届けられる訳がない。本来は誰も犠牲になる必要なんてない、と憤るカイ少年に、私が居なければ魔物は出てこないかも知れないとアリッサ少女は説得する。
結局はアリッサの両親にも見付かり、紆余曲折を経て、カイが女装して生け贄の少女に成り済ますという作戦が採用された。
リュンクスとミヤコ、女性なら二人が居たが、獣人であること、危険な役目であることからカイが生け贄役に落ち着いた。話を聞いたエノレフは、絶対面白がっただけだろうと思った。
月が中天に懸かる頃、いざや決戦の刻。
アリッサは譲らなかった。生け贄が別人だと知られれば、魔物は怒り、村に災いが降り掛かるかも知れない。
村に行かせないため、怒りを鎮めるために一緒に行くと主張し、日が沈むにつれ体調が戻ったこともあり、冒険者は後方に控えるフランツ中年の傍を離れない事を条件に、渋々と了承した。
両親も行きたがったが、流石に何人も守る事は出来ない。いざという時はアリッサを連れて逃げると主張したが、何が起こるのかわからないのが戦場だ。下手に動かれるよりはベテランの側が安全だと納得して貰う。
魔物は巨大な蛇だった。黒い霧を纏う赤い瞳の大蛇は、匂いか何かでカイ少年を看過したのか、そういう生態か、牙の毒線から塊のような毒液を噴射し、戦いが始まる。
風習にあった生け贄伝承によれば、選ばれた人身御供以外にも、食料と酒を捧げるという。
食料は毒で触ることも出来ないが、タルの酒をぶん投げて、をろちの口にぶつける力持ちさん。
それによって酔っ払ったをろちを、駆け付けたミヤコとリュンクスと共に翻弄する。
をろちは強敵だった。身に纏う霧によって間合いを誤らせ、ぬるりと攻撃を躱し、素早い噛み付きと尾の払い、隙あらば巻き付き、牙から毒液、目からビームを放つ。
説明を聞いたエノレフは、目から血を噴射するトカゲ知っていたが、戦ったカイ達は大層吃驚した。びびりまくって触れなかったので、あれはビームということになっている。
違和感に気付いたのは白猫ミヤコ。撒き散らされる黒い霧が身体に纏わりつき、徐々に体力を奪って力が入らなくなっていく。
しかし彼らとて一端の冒険者。をろちの動きを掴み、鱗をひっぺがし、牙を一本圧し折る。
更に、そこへ参戦する村人達。アリッサの両親が、子供達の援護を受けて説得に成功したのだ。どうせなら勝ち馬に乗っかれ、負けそうなら冒険者を囮にして逃げろ。怒りは勝ったんだ。勝つか逃げるかしかない。
動機は少々後ろ向きだが、元々徹底抗戦を主張する血気盛んな輩もいる。村にあるありったけの弓矢を放ち、毒があるから近付くなと冒険者に叱責され、手にした農具やら包丁やらをぶん投げる。
鱗を剥がしたお陰か、物量に避けきれず、思ったよりも苦しむをろち。こりゃあ見かけ倒しかと村人の安堵を突くように、毒液が噴射される。
狙いは生け贄の少女アリッサ。そうやって食べる習性があるのか、自分のものにならないなら死なば諸共なのか。寸分過たず放たれたそれを見逃す冒険者じゃない。
フランツはアリッサを押し飛ばし、その身でまともに毒液を浴びた。
生き汚い冒険者だ。ただではやられない。
肩でアリッサを突き飛ばした射手フランツは、毒液に向けて矢を放つ。貫通し、撃ち落とすことは出来なかったが、その矢はをろちの眼に深々と突き刺さる。
自分が倒れても、仲間が魔物を倒すと信じて。
矢と同時、苦し気に暴れる前に、黒猫リュンクスが尾を捉えて地面に縫い付け、暴れる頭に白猫ミヤコが剣を突き立て、一瞬だけ下顎と上顎を縫い付ける。
全てのお膳立てが済み、最後の牙を奪われたと思われたをろちの、残った片目から発射される起死回生のビーム。正面から飛び込んだ勇者カイゼンベルクは切断の魔法で切り裂き、首を落とした。
死した事で霧が晴れ、現れた身体は、頭に比べてやたら細く、攻撃がなかなか当たらないことや、当たった村人の攻撃が有効だった理由の判明となった。
これはアリッサ少女が読み解いた石碑に書かれていた事だが、をろちは非常に強く、かつて戦ったものは封印するのが関の山だったそう。封印し、力は奪われたが、力尽きる前に封印が解かれたのは皮肉だろう。
もしも村人が唯々諾々と従い、生け贄を続けていたら、をろちは全盛期の力を取り戻し、カイ達にはどうしようもなくなっていたかも知れない。
たらればを語ってもしょうがない事である。運にも恵まれ、カイ達はまた勝ち星を上げた。
をろちの死体は、時の流れを示すように一瞬で骨となり、それも風化して流れていった。
をろちは倒した。しかし、犠牲は還らない。
首が落とされる瞬間を見ることなく、フランツに駆け寄るアリッサ。右半身に毒液を浴び、溶けるような音と異臭が発せられる姿に、無力な村娘は何も出来ない。応急手当程度でどうにか出来る範疇を遥かに越えている。
近付くなと促すフランツに、すがり付くように左手を握って涙を流すことしか出来ないアリッサ。
ひどい。こんなのってない。あんまりだ。わたしのかわりに。ぎせい、みがわり、ひとみごくうーー
後悔が胸を埋め尽くす。誰かが犠牲になるのが運命だったなら、それは私であるべきだった。
絶望に負けそうになったその時、胸にすっと入って来るものがあった。
ーー猫どもが言うには、倒れたをろちの纏う黒い霧の一分が、少女の方へ飛んで行ったらしい。
違う。嘆いてなんになる。そんな暇があるなら、諦める隙があるなら、泣いてる余裕があるのなら、自分に出来る事を探せ。
突き動かされるままに乱暴に涙を拭い、応急手当の中から消毒用のアルコールをべっとり付け、生け贄の白装束の袖で毒液を拭う。フランツが痛そうに呻いても、皮膚が破けるかも知れない懸念も、今だけは無視した。
袖が汚れ切ったら自分に付かないように千切り、布が足りないので太股がざっくり見えるくらいに裾を千切って布にする。足りなければ上衣だろうと下着だろうと使う覚悟があった。
しかし、現実は足りない。毒液を拭っても、塗り薬をべったり付けても、見る見る内に衰弱していくのがわかる。
ーーお願いーー。
お願いします……っ、どうか、この人を助けてーー!
その時アリッサは、不思議な事に、自分がどうすればいいのかわかった。
傷に手を触れ、癒しの魔法で毒を取り除き、爛れた皮膚すら元に戻すアリッサ。毒液を浴びた半身とで、新品の皮膚とのグラデーションが変な日焼けしたみたいな人になったのは些細な問題だろう。
アリッサは何の変哲もない普通の村娘だった。だが、心からの希求に、己の魔法が応えたのだ。この世界では珍しい事じゃない。
急な行使に、力を使い果たして一瞬で気を失ってしまう事も。
こうして村は救われた。いたいけな少女が、頼りになる中年に惹かれてしまうのも無理からぬことだろう。
アリッサ少女は冒険者に、彼らの旅に付いて行く事を望み、説得の末、両親やカイ達もそれを了承した。
ーー生け贄の娘がいると、また村が狙われるのではないか。
そう、呟いた村人の言葉が、少女の耳に届いていた事が関係していたかどうかは定かではない。
はぁどっとおはらい。
「人を犠牲にする魔物」には村人も含まれています。
カイは男前ですね。イノシシですけど。
おっさんが身体を張らなければ、アリッサも惚れていたかもしれませんハーレム野郎が。




