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「ある日森の中、くまさんに出会いました」



 街から山へと向かう、舗装されていない路沿いを進み、森の中に入る。

 人通りは無かったが、人に会いたくなかったので、路が見えるぎりぎりを歩いた。


 しかし、山の上から見える範囲に居住地があって良かったね。山を越えた先に隣国があると言っても、この世界の人口を見るに、そう規模は大きくない筈だ。

 まあ、私は人間と比べると視界が広いし、遮蔽物も少ない平野部なら、上から広範囲を見渡せる。余程荒廃して、そもそも人が住んでいない場所なら兎も角、私の心配は杞憂だったのだが。

 心配と言えば、今回提示したのはシカだけだ。薬草なり電気羊なり持っているが、この辺りで見掛けたことはないので、公開するのは控える。

 もし、特殊な地域にしか生息しないなら、何かと特定されかねない。身バレは避ける。エチケットだ。


 さて、シカを持ち込むのは今朝と同じ時間帯にすると決めたので、いま狩ると荷物になる。明け方まで森の中を散策することにしよう。

 地形の把握、生態系の分布、他の人間の出入り。知りたいことは多い。

 街にも近いし、狩猟採集は多い筈だ。あまり出会したくはない。

 寝る場所、どうしようか。森の中に棲み処を作るとびっくりされるだろうて。宿暮らしになるだろうか。

 無駄に出費が増えるな。好ましくない。


 念のため、人の来なさそうな立地も探しながら森の中を散策する。

 今の季節は夏だろうか。緑豊かで青々しく、木の実はあるが果物はあまり見付からない。ベリー系が多いだろうか。細々としている。

 虫や動物が元気に跳ね回り、肥えるというより身体を大きくしようと頑張っている。

 たぬきが標準サイズだ。きつねも黄色い。いたちも小さい。

 全体的に、私がいた森よりサイズが小さい。迷いの森と呼ばれていたようだし、人の手が入っていれば適正サイズか。そしてやっぱり魔物はいないのか。


 この世界に来てからというもの、ちょっと変な進化をした動物くらいしか見掛けない。

 これでは人間に害を為す動物が魔物呼ばわりで、人間を助けたことのある動物を精霊扱いしているだけではないのか。

 まあ、昔の北国では人を襲う熊は悪神で、人を襲わない熊は善神扱いだから、文明とはそんなものかも知れない。

 私も『ちょっと変な進化を遂げた、いまだ生態の解明されていないよくわからない動物』にカテゴライズされる存在だから、あまり大きなことは言えない。

 生前、もし人に観測されていたら魔物扱いだ。実際、一般的に見ればフィクションの存在だろう。

 自分の理解の及ばないものを神と呼び畏れ敬うというのは、『自分の知らないものは存在しない』と断じる現代人より、ある意味では健全やも知れん。


 なんの話だっけ。ああ、私が魔物を見たことがないということか。

 噂をすれば影が差す。出てこないかね、魔物。ちょうど、動物たちの動きが慌ただしくなって来た。

 自然災害を察知して逃げ出すとか、突然の爆音に鳥が一斉に飛び立つとか、ああいう動きだ。ちょうど爆音も聴こえて来た。

 火薬ではないな。振動からして、足音か? 匂いはせず、地面が揺れた。


 何かあったのだろう。音の方向へ視線を向けると、何者かが茂みを掻き分けこちらに駆け込んで来る様子。

 この匂いは人間だな。汗をかいている。放熱というより、緊張とストレスからなる冷や汗だ。恐怖体験でもしたのかな。

 男性。中年。獣の革、こびりついた古い血……。視界に収まるまでにある程度の情報を納め、匂い通りの人間、年配の猟師らしき男性が木々の間から現れる。

 猟師は私の姿を見て驚いた様子だったが、硬直は一瞬、真っ直ぐに私に飛び掛かって来た。

 ので、軽く躱して腕を取って近くの幹に押し付ける。呻きはしたが、悲鳴をあげないのは立派だね。


「どうかしたのかね?」


「っ、いきなりすまない。あんたか強いのはわかったから、今すぐここから逃げろっ」


 声を潜めて背後を気にする中年。どうやら私を慮っての行動らしい。逃げているなら、私を囮にすれば生存率が上がるだろうに。

 敵対の意思はないようなので、解放してやると、私の腕を引ーーこうとして諦め、ジェスチャーで一緒に来るよう促して木の後ろの茂みに隠れる。私も渋々追って、這いつくばらずに木に背中を預けた。


「いったいどうした」


「く、くまだ。くまが出たんだっ」


 噂をすれば差したのはくまの方だった。違う、そうじゃない。

 くまは剛毛だとか臭いとか固いとか聞く。イノシシ以上に食欲の湧く相手ではない。猟師だといいのに、彼は何をこんなに怯えているのか。悪熊なのか。


「あ、あんた、くまを知らねぇのか? くまだぞ!?」


 そんな悲鳴みたいな声をあげられてもな。くまだろう? 知っているよ。そりゃ一般人が街中で出会したら怖かろうが、猟師が逃げ隠れしてどうする。大きな音を出すなり追っ払えばどうだ。それとも余程有名なくまなのか。人間に敵対的で頭がいいとか。


「あのくまだ! 子供でも知ってる、地を這う生物の中では、羽のない竜種よりも強靭な肉体と凶暴性を備える暴君! 地上最強生物くまー!

 鉢合わせたら命はない……もうダメだ……おしまいだぁ……っ」


 私の知ってるくまと違う……。地上で一番強い動物はホッキョククマと聞くが、それにしたって出世したなぁ。

 龍熊相搏つ……違うか。どっちも強そうだ。

 中年が口の中で譫言(うわごと)のように呟いている言葉を、人間より聞こえる耳で拾うと、くまは人里には現れない。くまは森の中であった人間には容赦はしない。この辺りは人里に近いので、本来くまが現れることはない。とのこと。

 縄張りがしっかりしているのか? 人間の縄張りは認めるが、互いの領分がかち合った場合は争うことになる、と。


 人里には寄り付かないらしいが、何故ここに現れたのだろう。

 くまが人里に下りて来る要因は、諸々すっ飛ばすと餌のためだ。くまが増えすぎたのか、餌場が荒らされたのか……。


 ……。私、人気の無い山を通って来たな。で、それなりに食欲もあるわけだ。

 考えすぎかな? 私個人がどうこうした程度で生態系は崩れないだろう。

 中年が口の中で「来た」と呟き、私は意識をそちらに戻す。

 匂いはくまのものだ。しかし、私の視界に収めたくまは、私の予想とは違っていた。


 二足歩行。長い胴体。短い後ろ足。丸い尻尾。太い腕。そして潰れた頭部。

 木彫りであるようなリアルくまではない。胴体に対して横に大きく、生気の無い目にデフォルメされた顔面。端的に言って、ゆるキャラにしか見えない。

 ……え、あれくまか? くまで合ってるのか? 着ぐるみじゃないのか。中に誰か入ってないか。


「ひぃ……血に餓えた残虐な眼差し……俺たちの事を捜してやがる」


 血に餓えた残虐な眼差し。


「あの鉄をも引き裂く凶悪な爪で、人間をズタズタにしないと破壊衝動が治まらないんだ……」


 鉄をも引き裂く凶悪な爪。


「人間を生きたまま捕まえて、獰猛な牙で頭からバリバリ食べるってぇ話だ。嫌だよ……死にたくねぇ……」


 ズタズタはどこいった。

 噂は当てにならん。私にはあのくまは理知的に見える。いや、表情はまったく読めんのだが。

 この猟師は隠れてはいるが、動物の耳鼻は人間より優れている場合が多い。狩り慣れた相手なら兎も角、初見で欺くのは至難の技だろう。

 事実、くまも私たちに気付いているのか、一定の距離まで歩み寄って、私の方を見たまま動かない。


 ふむ、用があるのは私か。紳士にも待っていてくれているのに、このまま素っ気なく黙っているのは失礼かな。


 私が木の裏から出ようとすると、猟師が止めようとして来たので、邪魔だからその手首を掴んで背負い投げる。

 背中から地面に落ちた猟師は、見上げればくまがいる。声なき声をあげて、へっぴり腰の這う這うの体でその場を離れた。

 その間も、くまは私を見詰めて一切動くことはない。

 眼中に無しだ。彼ははじめから、私を無視して一人で逃げていれば良かったのだが、人生はままならないね。その善意だけは覚えておくよ。


 私はくまと正面から向かい合う。阻むものは何もない。

 何故、このくまは私を見ているんだろう。くまに因縁など無い。前世でも今世も。

 しかし記憶を辿ってみると、私が今世で目を覚ました時、その場から散って行った動物の中に、くまがいたのを思い出した。

 そのくまは普通のくまの筈だ。だが、猟師がいうにはこの着ぐるみがくまだという。

 この世界には普通のくまと地上最強のくまの二種類いるのか?

 この世界の世間一般でいうくまは目の前の着ぐるみグマだ。少女にぶつけようとしてマジ泣きされた反応を見ても、今思えばこれを想定していたのだろう。

 なら私の知っている普通の、前世と同じくまはーー。


 そもそも私は、普通のくまを見たのか?

 私は目覚めたばかりだった。視界は空を見て、逃げた動物を追ったりはしていない。

 匂い、鳴き声、足跡、残された痕跡から、当たり前のように判断していただけだ。

 そこは異世界なのに。自分の常識の及ばぬ場所なのに。

 どうにも元いた世界をベースに悪巫山戯(わるふざけ)したような生き物ばかりだが、そこは横に置いておく。


 もしかしたら、このくまはあそこにいたくまかも知れんな。

 そんな因果は無かろうが、そう思うと少しだけおかしい。


「くまー」


 鳴いた。くまが。倒置法。


 ねぇ知ってるー? くまは「くま」って鳴くからくまっていうんだよー。

 ちなみにこの地上最強生物くまーの「くまー」も、私の耳にはくまーと聴こえる。天ぷらと同じだ。くまに該当する異世界語はなく、くまはくまなのだ。なんでやねん。

 鳴き声を参照したとして、英が「クックドゥドゥドゥー」、日が「コケコッコー」と聴こえるぐらい、言語と耳は密接に関わっている。同じように名付けることなんてあるか。

 そして熊の鳴き声も実際には「グマッグマッグマッ」で、私にはぐもっ、とか、もっと短くごっ、と聴こえる。これでなんで熊になるんだ。そして当然熊の名前の由来も諸説ある、だ!

 疲れた。もういいやどうでも。常識なんてぽーいだ。ぽーいっ。はい捨てたー。


「くまー」


 再度鳴く。そして、くまーが伝えたいことは私にはわかる。

 軽くファイティングポーズを取り、にくきうを上に向けて、手首ごと手前に何度か引き寄せる。

 私じゃなくてもわかる。熊語がわからなくったって通じる。

 万国共通とまではいかないが、全身のボディランゲージから、間違いなく「かかってこい」の仕草。


 ……やれやれ。私は戦闘嬢砦のようなバトルジャンキーとは違うんだが。

 貴様がなんであるか、私にはわからん。だが、私に挑む、その気概は買おう。


 私はくまーの元まで歩を進める。

 二足歩行のくまーとの伸長差は見上げる程。

 互いの手が届く距離まで近付き、私は左の頬を差し出して、人差し指で(おもむろ)に突っつく。

 打ってみろ、の仕草。そして、くまーにもそれは伝わった。


 くまーは、私が小さい人間に見えるからといって、けして侮ったりはしていない。

 最初から、自分が戦うべき相手と認識した上で行動している。だから、その行動にも躊躇いは無い。


 伸長差と体重差、そこから繰り出される大きなにくきうが袈裟懸けに叩き付けられる。

 願い通り、私の頬に降り下ろされた拳は、走り抜けた衝撃で地面にひびを入れるほど。

 しかし、私は小揺るぎもしない。この状態で私も拳を握り、一発は一発とばかりにくまーの腹を殴り上げた。


 くまーはけして油断していなかった。舐めていたのは私だ。

 見た目のわりに随分重い。これでは私の拳の方を傷めてしまう。2tは軽くありそうだ。それが踏ん張っているのだから、トラックなんかよりも余程重い。

 意志なき鉄の塊よりも、肉の詰まった戦士の体躯の方が余程固い。当たり前の話である。

 殴り飛ばすつもりが、踵を僅かに浮かせる程度に留まった。


 それでもくまーの衝撃は大きかったのか、私を見る目には力が篭る。

 お返しとばかりに握ったにくきうで、伸長差のある私に、這うようなボディを打ち込む。

 私は防御もしない。狙いは見えていたが、腹に力も込めない。

 しかしそれでも私の身体はびくともしない。踵すら浮くことはない。

 返す私の拳がくまーの横っ面を打ち付け、くまーの顔面が真横を向き、裂けた口内から血を吐き出した。


 一発ずつ殴り合う漢スタイル。くまーはゆっくりと顔を正面に戻し、両の(にくきう)を握る。

 私もそれに付き合うとしよう。半身を引いて、足を肩幅に軽く開く。

 互いに呼吸を整えーー拳の乱打がはじまった。


 防御は無い。拳と拳を打ち合い、抜けた拳がノーガードで身体を打ち付ける純粋な搏戦(はくせん)

 時に頬と頬を打ち合い、時に拳と拳がぶつかり合い、互いに拮抗し、一瞬だけ連打が止まる。

 その度に、一際大きな余波が森を駆け抜け、地が割れ、根が捲れ、岩は砕け、幹が裂ける。

 踏み込みとは重さだ。その震脚で拳の重さがわかる。私たちの重さに耐えられない地面が悪い。


 鳥や動物の姿は無い。そんなもの、天変地異の先触れに()うの昔にこの場を離れている。

 遠くの家畜が逃げられずにぎゃーぎゃー喚き、近くの街や村が地鳴りと暗くなる空に脅えてすくむ程度だ。


 互角に見える拳の応酬。その場のみならず、時計の数字のように円を描いて打ち合う。

 12時と6時、2時と8時、5時と11時。刻の代わりにステップを刻み、秒針よりも軽快に打撃音を響かせる。たが、それは必ずしも互角ではない。

 私は一歩も退いていない。くまーが押し負けて踵を擦る度に、踏み込んで痛烈な一撃を浴びせている。

 どんなに体格差があろうとも、くまーごときとは。



 喰らって来た命の重さが違うのだ。



 クロスカウンター。私の頬とくまーの腹に、同時に拳が突き刺さる。

 体格差がある。私が踏み込んだ拳と、懐に潜られたくまーの拳では、発生が違った。

 私の腕は勢いを乗せた完全なもので、くまーの拳は腕が畳まれ威力が乗り切っておらず、それが勝敗を分けた。

 振り抜いた私の拳がくまーの身体を吹き飛ばし、木々を薙ぎ倒して剥き出しの岩肌に叩き付ける。

 ちょっとくらい山肌が崩れるのはまあ、仕方がないな? 土砂崩れではないから被害はないだろう。

 殴り合った余波は……。森林破壊、よくない。みんなは真似するなよ。現実逃避である。


 北国では悪い熊は晒して食べないらしいが、私にはそんなこと関係ない。

 殺したら食べる。食べないなら殺さない。生命を扱う基本だ。

 私が相手にした以上、食べることに躊躇いはないが……。


 どうやらまだまだ無事のようだな。


 瓦礫を押し退け、くまーが姿を現す。

 虚勢を張った足取りはしっかりしているが、肩はだらんと下げ、筋肉が切れたのか所々から血を長し、片目も開かず満身創痍だ。

 私は警戒を解かずに見詰めるも、くまーは敗けを認めたのか、私に視線を合わせて頭を下げる。潔し。これでは食えんな。別に残念ではないが。

 踵を返して背を向けるくまー。敗北したわりにはなんだか爽やかというか、妙にすっきりした足取りのようにも思えて、私は圧縮して持っていた薬草を物質創造で復元して投げつけた。


 私の口に入らないのに、野垂れ死なれても寝覚めが悪い。どうせ私が持ってても使わないし、ナイスファイト、ということで。

 薬草を拾ったくまーは、背を向けたまま振り返ることはせず、のっしのっしと歩いて山の中へ消えて行った。

 その方角が、私の住んでいた森の方向と同じなのは、偶然なんだと思いたい。




 さて、明日の早朝までにシカを狩りに行こう。

 ちょっとばかし派手にやってしまったので、相当遠くまで行かなければならなかったのはご愛嬌。



 ∩ ∩

( ・(I)・)



 ∩  ∩

( ・(I)・ )



こっち見んな

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