「またか、少女よ」
それから、山岳よりになった動物を何匹かもぐもぐし、樹に掘った寝座に戻って来る。
オブラートに包んだが、私の食事は生で頭からバリバリだ。生きたままかぶりつくのが新鮮でいい。種族柄だろう。火を通すと血は不味くなるし、血抜きなど一番勿体ない。
おかげで食事に手間がかからないのが利点だね。文明に慣れた現代っ子ならこういう時、時間ばかり取られるだろう。
これも種族柄か、食い溜めしておけばしばらくは食事の必要はない。この量なら二十日は持つだろう。生前は、絶食して餓死するまで一年半余り持った。人間になったからか、栄養価の問題か、燃費自体は悪くなっているものの。
起きたら獲物が肥沃な内に食い溜めして、山頂にアタックをかける。進むか退くかはそこから見える景色次第となろう。
そんなわけで、今日はもう寝る。もう寝る。お休み。
◆
三週間ばかり怠惰に過ごして、自然と目が覚める。
これも、人間になった変化だ。生前はいつまででも眠り続けられたのだけれど。いや……腹が減ったら食事の必要があるし、結局変わらないのか。
生前は陽の光が射し込まないよう、完全に密閉していたせいもあるやも知れん。周りの環境の変化が刺激となって、怠惰な私を叩き起こすのだろう。もっと私を労って欲しいものだ。私はデリケートなんだ。
そういえば、生前は寝所に空気穴など無かったんだな。丸太小屋には、暖炉を設置する際に窓以外の換気孔も空けた。それまでは少女が若干寝苦しそうにしていたし、正しかったのだろう。……私の呼吸はどうなっているのだろう。生前も含めて。
樹から、白鳥の泉寄りの場所に移動しつつ、腹を満たしてから山へ方向転換する。あまり獲物の量は変わらんな。それだけ肥沃な森ということだろうか。
森の中には大きめのクモだのゴキブリなどもいるが、私は虫が好みではない。赤い血が出ないので。
よって、虫はそれを食べる動物に食べて貰って、私はその肥えた動物を食べよう。植物も同じだ。これが食物連鎖である。
歩いてるきのこはどうなんだろうか。きのこは分類上では動物だと聞くが……。まあ、誰かしらが食べるのだろう。少なくとも私ではない。
あ、きのこが虫を食べている。でかした。
山登りにはなったが、鬱蒼とした木々は、高低差のある森の中とそうは変わらない。登り一辺倒なだけで。
樹から見た山頂も、然程標高があるわけでもなく、木々が生い茂っていた。登り切っても変わらないだろう。そこから見える山脈に期待である。
当然、山脈と言っても劇的に何か変わるわけではない。上がったり下がったり、ここから見える一番高い所まで行けば景色が変わるだろうか。
遠いので、私の足でも二日はかかりそうだ。
木々が豊かということは、そこに暮らす動物も豊富ということ。
カモシカ系の太ましいのを中心に食い溜めしつつ、のんびりと山歩きを楽しむ。気が向いたら木陰で昼寝をし、引きこもりの身体を慣らすように羽を伸ばす。羽は生えてはいないけれど。流石に。
こういう生活も悪くはないね。太陽が鬱陶しかった頃には出来なかったことだ。
考えてみれば、人間になった私なら、屋外にハンモックを掛けて優雅に昼寝をするという夢も叶うのだな。嗚呼、物質創造すればハンモックぐらい用立てられる。早速やろうか。
すやあ。
ん、あれは……羊か? 私はすぐに目を覚ました。
森では見なかったな。色々と用法が考えられる動物だ。一つ味を確かめてみよう。成獣は臭みが強いと聞くが、どうか。
……帯電している。静電気かな。セーターって羊毛だっけ。電気羊というやつだろうか。さっきまで眠っていたしな、私。なんか違うな。
意外にも、一番帯電していたのは角だった。
普通の動物では……いや、電気ウナギとか電力凄いしな。海の生物なんかも明らかに過剰な毒を持ったやつとかいるし、これくらいの進化は普通の範疇か。
異世界では常識を持ったままでいてはいけない。
お肉は刺激的だった。臭みは気にならないレベル。趣味によると思う。
木洩れ日差す山林の中、ハンモックで半日だけ眠り、日が沈んでから山登りを再開する。
間もなく、下から見た山頂まで着いた。私の感覚は余り人間的ではないかも知れないが、私からすれば間もない。
そこから見える景色は勿論、山の天辺などではなく、山脈らしきそびえ立つ山々。
一番目につく山なんて、頂点が雲で見えず、道中にはいまだ雪が積もっている。
人里では、私が今までいた森は精霊の泉が湧く森だという。なら、近くにあるあれは、さしずめ霊峰かな。
生前、私は観光登山なんて経験はない。言うまでもなく、太陽を遮る遮蔽物が無いからだ。
そりゃ、その気になればテントを張るなり山小屋のある低い山に登るなり、なんなら最悪穴でも掘れば遠出は出来る。
だが、私たちは種族柄か、主に日が沈んでいる間に棲み家を往復出来る範囲ぐらいしか出歩かない。
生来引きこもり気質なのだ。私は悪くない。この業界ではふつーだ。
さておき、私は今まで、山の上からの景色も、山の上からの夜明けも見たことは無かった。死んでからというものの、文字通り生まれ変わったような気分になるものだ。私の語彙は限界だよ。
暫し、山頂からの景色を目に焼き付ける。目を凝らせば、川の先にある、少女を送り込んだ街が見えるかも知れないが、やめておく。
子供じゃないんだ。いや、子供だが。困ったら手助けはするつもりだが、過保護に気にしすぎるつもりはない。あれでいてしたたかなやつだ。上手くやるだろうさ。
フラグというのは立つもので、そんなことを考えていたからか、その日の夜、少女にピンチが訪れているようだった。
◆
隷属の誓約。条件が厳しいだけあって、その効力は多岐に渡る。
少女の恐怖を感じる。少女の悲鳴が聴こえる。少女の身体がすくんで動けなくなっている。すぐに大声を出さないように口を押さえられたのか、くぐもった音しか聴こえない。
私は目を開く。
場所は誓約の紋の中心、臍下胆田の辺り。私の目ははっきりと少女のいる場所を映す。
イルル……もう服を剥かれているのか。上は兎も角として、ぱんつ丸出しじゃないか。はしたない。いや、淫魔なら正装なのか? 彼女らの生態はよく知らない。
余談ではあるが、少女は自分の紋がある場所を見て、人前で服が脱げないと恥ずかしがっていた。実際には、発動時以外は浮かび上がらない。
場所については人による。隷属した人間によって額に出たり、目に出たり、心臓に刻まれたりする。多分、人によって特筆した部分に出るのだろう。
頭が良い人間は額に、目の良い人間は目に。命が大事な人間は心臓を捧げ、少女は、種族があれだから……。そう言うと、少女は真っ赤になった顔を両手で覆っていた。捧げられても困るんだがな。
さておき、少女は街の路地裏で、男三人に囲まれて、押さえ付けられて、服を剥かれて下着を露出しているようだ。
私と別れてそう時間が経っていないっつーのに。これも種族性なのか。フェロモンでも出てるのか? ……出ていそうだな。人間だって異性を誘うために色気は出る。淫魔ならなおのことだろう。思春期の食べ盛りなら更にどん。とんだハニートラップである。本来そういう種族だ。少女が望んでないのが問題なだけで。
少女の暮らす街はリサーチしてある。路地裏もあるし、ガラの悪い者もそりゃあ居る。
だが、それは当然のことだ。この文明レベルでその類のものが一切なければ、むしろ地下やコンピューターを疑う。
しかし、私の見た感じ、十分に治安が良いと言えるレベルだ。貧困に感けて路地裏生活でも送らなければ、早々関わり合いにはならない。少女の身なりも薄汚れてはおらず、職に困っているよいには見えない。
それでもこの状況。引きが良いな。この場合は悪いのか。
少女の種族はわかっている。この状況も、そう悪い展開では無い。
だが、私が窮地に気付くレベルなのだ。それだけ少女は命の危機を感じている。強引に荒療治を進めれば、少女の心に取り返しの付かない傷が付くだろう。
過保護かも知れない。案ずるより産むが易し……ごめん、例えが悪い。こうやって傷から隠してやるとますます膿むばかりやも知れんが、見捨てるのは寝覚めが悪い。
少女もいつか、男性を克服する時が来るだろう。純情そうだし、一人の男性と関係を結んでお腹を満たせばいい。時間はかかるかも知れんが、このまま拗らせて男性不信に陥りでもしたら可哀想だ。
しかしなぁ。それはそれで懸念だ。少女は色々と無知だし、いざそういう場面になって、命の危機を感じやしないかと。色々あるからな。あんな大きいの入るのかだとか、裂けるだとか、土壇場で恐怖に駆られる乙女は少なくない。流石に私も営みの最中に出刃亀する事態は避けたい。
後のことは後で考えよう。今はこの状況をなんとかしよう。
娘さんを欲しいと言われても、お前たちは不合格だ。誠意が足らん。私の娘が欲しいのなら、少女を倒せるくらいに強くなくてはな。
少女の意識を奪う。糸の切れた人形のように弛緩した少女に、押さえ付けた男は下卑た笑みを浮かべーー腹に捩じ込まれた膝に、息の塊を吐いて目を剥く。刹那、腕力だけで投げ飛ばされ、男は背中から路地の壁に叩きつけられた。
一瞬の静寂。にやにやと少女を取り囲んでいた男二人はすぐに驚愕から立ち直り、物々しい様子で威嚇をする。残念ながら、私は目しか無いのでね。何を言っているのか聞く耳持たん。
少女の肉体を支配し、腰を中心とした奇怪な動きで立ち上がらせる。上半身をだらけさせた挙動は、糸に操られるマリオネットの如く。そのまんまだな。
虫に近い動きに、男たちはどよめいているようだ。悪魔憑きみたいだろう? これもそのまんまか。怯んでくれたら逃げればいい。今が最後の機会だ。
……退く気はない、と。ならば命を貰おう。目撃者は残さない。
少女の身体を使って男三人の息の根を止め、間を置かず路地裏から屋根に駆け上がる。
少女の記憶を参照し、現在の拠点に向かう。身体の汚れと服装の乱れは……まあ、拠点に着いてから考えよう。
夜闇に乗じて空を駆ける。こういう感覚も久し振りだ。色々と制約は多いが、少女の感覚をフルに使わせて、誰にも気付かれずに移動した。
こんなはしたない格好、見られたら恥だからな。変態怪盗として、ご近所の噂になってしまう。
返り血を落として、身なりを整え、ベッドに潜り込めば、私のささやかな手助けは終わりだ。
意識を奪っている間の少女の記憶はない。今夜のことを夢と思うのも、察してこれからは気をつけて生きるのも自由だ。
まあ、身体を勝手に使ったし、筋肉痛くらいにはなるかも知れんがね。
強く生きるといい、少女よ。私はたまーに視ているよ。




