「バイバイ 少女をかわいがってあげてね」
冬が過ぎ、春が芽吹いて、長雨が終わった。これからどんどん暖かくなっていくだろう。
少女が来てから一年近く経つ。誕生日も来て、少女は九歳となった。一応誕生日も祝い、と言っても少女が何を喜ぶのかわからなかったので、少女の要望通りの食べ物とプレゼントを用意した。食べ物は「私と一緒に調理した料理」で、プレゼントは「一日くっついて過ごして欲しい」だったが、それで満足なのか。今までで一番嬉しいプレゼント? それはお腹が満たされたからでは。
少女は大分逞しくなった。当初の予定にあった、クマをワンパンとまではいかないものの、たぬきくらいなら死に物狂いで勝てるくらいには。当人も、「やってやれないことはないんですね」と嬉しそうだったので、天狗にならないよう念のため、アルビノ草兎と連戦させて鼻っ柱を折っておいた。その日は少女は口を利かなくなった。何故だろう。
まあなんにせよ、頃合いだ。
「え……? えっと、あるじさま、なにを……?」
そろそろ少女を市井に還す旨を当人に伝えると、茫然とした表情を返される。前から思っていたが、豊だな。いやカラダ付きではなくて。腹芸には向かない。八歳の……いや、九歳の少女にポーカーフェイスを期待するのもどうかと思うが、種族柄、駆け引きは必須だろう。良い女になれなければ食いっぱぐれるぞ。
そこはまあ、淫魔としてのスキルではなく、ひたすらパワーを鍛えた私の責任もなきにしもあらずだろうが、男性に対する恐怖心を克服するために、少女には自信を取り戻す必要があると思ったんだよ。大事だろう?
「ま……っ、待ってください、あるじさまっ。わ、わたしは、なにか、いたらぬ点がありましたか? なおします、おなじ間違いはしませんから、どうか……!」
少女は思い違いをしているようだが、放逐するのは最初から決まっていたことだ。元々、労働力が必要という体で少女を置いていたのだ。冬前に仕事は済み、寒い中放り出すのは仁義に悖る。春が訪れ、冬の間の汚れも落として、もう時間稼ぎも十分だろう。このままぐだぐだと期を逸するより、すっぱりとした方がいい。
少女は強くなった。もう一人でも大丈夫だよ。私が保証する。
「……ぁ……ぅ……っ!」
言葉が出ない様子で口を開き、ぱくぱくと喘いで、荒い息で胸を押さえて俯く。思考が纏まらず、過度のストレスから目眩と貧血で足がよろめき、目がぐるぐるになって涙まで出てきた。それでも私は甘やかさない。言いたいことは言った。これ以上は少女のためにならんだろう。
「お……、お願いしますっ。わたしをここに置いてください! かならず、かならずあるじさまのおやくにたちますから……っ」
ダメだ。私には必要ない。私は最期まで面倒を見ることは出来ない。精々が、躾をして、人に慣らせて、貰い手を見付けるまでだ。近くに水の豊富な街があるんだろう? 今の少女なら上手くやるさ。なんなら少しは手も貸してやる。
「ちがう……っ、ちがいます、そうじゃないんです。わたしはあるじさまが、あるじさまじゃないと……、あるじさまが、あるじさまがいいんです。
おねがいします……! みすてないで……、わたしを、ひとりにしないでぇ……っ」
「ーーイルル」
びくん、と、少女の体躯が震える。名を縛る。それは誓約の証。少女は今、私の手の中にある。いや……ずっとそうだったのだ。自覚がないだけで、ずっと、仲良しごっこをしていたに過ぎない。
「お前は私に支配されている。その心も、感情も、お前本来のものではない。今からそれを証明しよう」
殺されかけて、隷属させられた相手に懐くなんて、あるわけないだろうが。首輪されて喜ぶ犬でもあるまいに、人間は強者の庇護下に入っても安心しない。気まぐれ一つで害されやしないかと怯えるものだ。だから全部、偽物なんだよ。もう取り戻すことは出来ないけれど、お前がいま大事にしているものなんて、私一つで掻き消えてしまう風前の灯だって、わかれ。
厭、厭、と、耳を塞いで頭を振る少女に手を翳し、下知を下す。
「命令だ。……私の元を離れ、一人で暮らせ」
言葉には然程の意味はない。心は縛っているのだから、全ては私の心一つだ。一人で暮らせと言っても孤独死をしろと揚げ足を取られたりはしない。人里に降りて当たり前に生活しろと、その意思に従わせる。
斯くして、少女は表情を消し、こくりと頷き、私が纏めて置いた荷物を持って小屋を出て行く。未練など一つ足りともないように。命令に従うのが当たり前の生き物のように。扉が閉まる、最後の最後の瞬間まで、少女の紫の瞳が私を見ていたのは、偶然だと思いたい。
少女の気配がゆっくりと遠ざかっていくのを、ベッドの木枠に腰掛けたまま感じ。やがて、捉えられなくなって、私は一つ息を吐いた。
隷属の誓約、しておいて良かったな。私が言葉で説得して、言うことを聞かせられるとはとても思っていない。子育てというのは本当に難しい。以前、拾って育てた赤子が大人になった時も、別れる時に泣かれたものだ。今生の別れでもあるまいに、……ああ、今生の別れになったのだったな。私は死んで、こうして異世界にいるのだから。せめてもの救いとしては、あの子に、親より先に死ぬ不孝を背負わせなかったことか。せめて幸せになって欲しいものである。ささやかでもいいので、人としての当たり前の幸せを。私に育てられたことで、いらん苦労をさせてしまったからな。一人で生きていけるよう、身体は鍛えたが。
なんだかどっと疲れた。たった一年なのに、人に鈍ったこの身には、子供を一人育てたぐらいの疲労感がある。実際には少女の往く道は苦難に満ちていて、達成感など覚えるのは烏滸がましいのに。最低限の更正施設を卒業させたが正しいだろうか。
やはり、人となんて関わるべきではないな。ひきこもり万歳だ。これからも私は一人で生きて行こう。誰とも会わず、のんびりごろごろひきこもりのスローライフだ。
ふあぁ。眠いや。こんな時は寝よう。春眠暁に死す、と、いうてな。
すやあ。




