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幕間・でも普通にゲスだよねこいつ



 彼は苛立っていた。女の分際で自分に逆らわれから。領民の分際で務めを捨てて逃げ出したから。

 折角自分が抱いてやろうとしたのに、粗相を働いたばかりか、これだけ捜しても見付からないというのは、既に自分の領地を離れているという事だろう。全くもって腹立たしい。

 正確には、ここは彼の領地ではない。彼の親の領地だ。しかし、長男であり唯一の男児でもある彼は、将来的にここが自分の領地になると信じて疑っていなかったし、イコールでそれはここが自分の領地であるという事である。そして、自分の領地に暮らす領民も自分のものだし、自分の好きにしていいという事だ。

 加えて、彼は男尊女卑の価値観を持っていた。女は男の所有物だし、男のものにならない女には哀れみと憐憫の感情を抱いている。彼にとって、フリーの女を抱く、取り分け処女を貰ってやるというのは親切心なのだ。大層な下衆(ゲス)である。

 勿論、領館のメイドに手を出す事はない。何故なら館で雇われているのは、雇用主である父親の所有物だからだ。その為、館内は表面上は平和である。彼が領主になった暁には、館のメイドは全員辞めようと画策しているが。四十近いメイド長も含めてである。彼が、男性経験のない六十代の女性を抱いてやったと聞いた時、一切の希望は捨てた。ある意味ではイケメンだ。将来有望なメイド達にとっては頭の痛い事に。



 ◆



 ある夜、眠っていた彼は、ふと目を覚ました。

 やけに目が冴えていて、眠気は全くない。部屋の寒さ、頬に感じる風に、誰だ開けっ放しにした馬鹿はと上体を起こしーーそれに気が付いた。はためくカーテン、闇夜の頂点に座す月、窓に腰掛ける、小さな人影。

 彼は一瞬、目を奪われた。風になびく、黄金と同価値があると言われても納得出来る金の髪、紅玉のように深く、赤く濡れた瞳、白磁では再現も出来ない、白くきめ細かな肌。貴族の子女が着るような仕立ての良い身形に身を包んだのは、しかし貴族の子女では見た事もないような人間離れした美しさだった。いやーーあるいは本当に人間ではないのかも知れない。一個の芸術品のような、人智を越えた美しさを感じる。その一瞬だけは(・・・・・・・)

 そう、見蕩れたのは一瞬。それが視界に入り、その存在を認識した瞬間、世界が変わった。背筋が粟立つような怖気(おぞけ)が全身に走り、冷や汗が吹き出し、空気が泥の如く濁って、何度呼吸を繰り返しても肺を満たさない。

 恐怖。心臓を鷲掴みにされたような、濃密な死の恐怖に頭の天辺から爪先まで貫かれ、ベッドから上半身だけ起こしたままの無防備な状態で、金縛りにでもあったように動けなくなる。くまに睨まれたうさぎ……この世界に於ける『蛇に睨まれた蛙』に似た言葉だが、意味的にはドラゴンの口に入ったネズミぐらいの絶望感がある。サイズが違い過ぎて、運よく飲み込まれないのを願うばかりだ。彼が感じたのはその位圧倒的な、生物としての格の違い。

 賢く、慈悲深い竜ならば小さき人間に情けもかけてくれようが、目の前に居るのは、なまじ人間と似通っているばかりに、手頃な獲物として明確な認知をされており、これは人間に対する天敵だという、本能的な恐怖を覚える。


「ひィ!」


 思わず彼は悲鳴を上げた。それが、最初に見た通りの芸術品だったらどれだけ良かっただろう。しかしそれは、彼が自分に気が付いたのを感じて、血、そのもののような深紅の眼球を彼に向ける。口の端を歪め、作り物めいた美しさに作り物めいた笑みを浮かべ、怯える彼を見て、嗤った。

 恐怖に打ち克った理由はなんだろう。女性を軽視する彼が、仮にも女、それも幼子といって過言でもない子供に笑われたから? あるいは、死を目前にして貴族としての誇りが己を奮い起たせた? もしかしたら、その笑顔が予想も出来ない程美しく、一瞬だけ恐怖を忘れたからかも知れない。


「き、君はなんだ。どこから入った!?」


 それはきょとんと小首を傾げ、自分が腰掛け、開け放たれている窓を指す。そんな当たり前の事を聞いた自分に、血の気の引いた頬に赤みが差し、また一つ恐怖に縛られた緊張を克服する。いや、待て。ここは2階だ。領主の屋敷だ。見張りに気付かれず、こんな子供が窓から入ってこれる訳がない。

 それはつまり、目の前にいるこれが人智を越えた何かである事の証左でもあるのだが、混乱している彼は気付かない。意思の疎通が出来た事もあり、また一つ冷静さを取り戻し、自然、震える唇を奮い起たせる。自分は貴族だ。言葉を交わせるなら、勝てる。交渉の余地はある。


「ぼ、僕になんの用だ。衛兵を呼ぶぞ!」


 客観的に見て、必死に毛を逆立てる小動物のような威嚇に、それはくすくすと笑みを溢す。鈴の音を転がすような、笑みの可愛らしさも併せて、こんな状況でなければ聞き惚れてしまっても可笑しくはないほど、それは目を惹いて離さない美しさだ。そう、エコーがかかって全周囲から笑い声が聴こえて来るような、恐怖体験がなければ。

 なまじ美しい分、その凄惨さはより際立つ。目が離せない程心惹かれる。逸らした瞬間死んでもおかしくはないと本能が叫んでいるから。緊張で身体が動かなくなる。死んだ振りをして気配を殺せば、もしかしたらそれが通り過ぎてくれるかも知れないから。


「別に僕は君に興味はないんだけどさあ。まあ、一応ね?」


 一応なんなのか。興味がないなら帰ってくれないか。女性を見下す貴族は何処へやら、そんな弱気に支配されている。


「強者の論理を振りかざす者は、また強者によって奪われる覚悟をしなくてはならない。己の強者が弱者を虐げるなら、弱者の論理が身を守ってくれる事はないんだから」


「だからそうだね。特に理由はないんだけど、君から命を奪おうか」


「ひぃぃぃぃい! で、出合え! 賊だ! 衛兵、出合えー!」


 明確な死の宣告に、彼はベッドから転げ落ちるように飛び出し、へっぴり腰で、腰掛けて動かない少女からなるべく離れた壁に張り付いて、這う這うの体で部屋から逃げ出した。

 彼の脳裏に(よぎ)るのは、最近領地で起こっている謎の変死事件。夜闇に紛れ、若い男性だけが狙われる。ミイラのように干からび、あるいは老人のように精も魂も尽き果て、脱け殻のように辛うじて生き残る。街では悪魔の仕業だとも、精霊の怒りだとも噂され、不安から、領主に対する住民の感情が悪化している。領民を守るのは領主の務めだ。いまだ被害を食い止められない事を歯痒く思っていたが、まさか、本当に悪魔の所業だとでも言うのか。あれの威圧感と、向かい合った絶望。悪魔と言われても、馬鹿馬鹿しいと否定は出来ない。こうして目にしてしまったのだから。

 だが、何故自分が狙われるのだ。まさか本当に、特に理由はないのか。


 強者の理論。そんな事はわかっている。だから、彼が気ままに振る舞うのは自分の領民にだけだった。旅人には紳士的だし、他の貴族から見た彼は、貴公子然としているという、何かの間違いとしか思えない評価だ。強者である父の元、家では大人しいので、報告は受けている領主とその妻には頭痛の種だが、妹からの信頼は厚い。演技や内心ではなく、彼は心の底から領民を所有物としか思ってないだけの普通の青年なのだ。サイコパスである。

 彼は領民からすれば暴君だが、自分より強い者とは敵対して来なかった。強者、そして強者の寵愛を受ける者。しかして現実として、強者はこうして目の前にやって来た。どこで間違えたのだろう。何がいけなかったのだろう。彼にはわからなかった。ただ、自分の命が大事だった。


「衛兵! なにやってる!? 賊だ! 来いよぉ!」


 みっともなく喚いているが、賊に寝込みを襲われて、冷静でいられる方が珍しいだろう。賊と言っても見た目は幼い少女だが、直視すれば、それが埒外のものだと理解して貰える筈だ。

 しかし、喚けども走れども、夜間に詰めている筈の衛兵の姿はない。職務怠慢だ。苛立ちよりも、焦りと恐怖から、必死に助けを探す。すると、廊下の角の暗がりに、メイドが一人。頼りにならないが、居ないよりマシだ。人を呼んで貰うなら、自分より適任だ。


「ぞ、賊だ! 人を集めろ! 僕の部屋だ! 急げよっ」


 おかしい。叫びながら走って来ているのに、メイドに動きがない。確かに彼は女癖が悪いが、領主の雇用者である彼女らには紳士的で、関係性は悪くない筈だ。


「ぼ、坊っちゃん」


「何をしている!? 早く、兵をーー」


 水音。暗がりから、奇妙な動きでこちらに歩み寄って来たメイドにはーー首から上が無かった。

 バランス感覚がないのか、奇妙によろけた動きで彼の首に手を伸ばし、恨みがましく締め上げる。


「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」


「うわ、ぅうわわあああーーーーーー!!!」


 叫ばない方がどうかしている。幸い女の細腕で、首から上が無いお陰か、添えられる程度の力しか入っておらず、簡単に振りほどけて一目散に逃げ出す。


「だ、だれか……誰かぁっ!!」


 何かがおかしい。その事に気付けてはいても恐怖で麻痺し、もやがかかった頭では、何がおかしいのかもわからない。ただ、彼は自分の命が惜しかった。

 人の気配のしない館はこんなに広かっただろうか、という程走り続けて、申し訳程度の灯りに照らされた闇の中を進む。行けども行けども誰もいない。混乱しつつも、足は自然と信頼のおける人物の元へ向かう。自分が産まれた時から父に仕えていた壮年の執事。自分の女癖の悪さには小言を言われるが、厳しくも優しく、孫のように可愛がられて来た。こんなに狼狽して、まるで悪夢を泣き出した時のようだと笑われるだろうか。けれど構わない。悪夢でも見たのだと、笑い飛ばして欲しい。


「ぼ、坊っちゃん」


「爺、爺! 部屋に賊がっ、メイドもっ、くびを、きら、れ……て……」


 従者の控え室の前に立っていた、祖父のように慕う執事には、首から上が無かった。何かを求めるように、ささくれ立った手を彼に伸ばし、よたよたと歩み寄る。


「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」


「うわああああああああああ!!!」


 耳を塞いで頭を振って、本来ならば、いつでも安心感を与えてくれる重低音を振り払う。嘘だ嘘だと呟きながら逃げ去ると、首の無い衛兵、首のない庭師、首のないコックが、廊下の通路からこちらに歩み寄る。何かを訴えるように、手を伸ばして。


「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」

「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」

「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」

「ぼ、坊っちゃん。ど、ドウシテーー」


 首がなくても誰だかはわかる。領主は慈悲深く、人に愛され、彼も、殆どの部下とは子供の頃からの顔馴染みだ。首がなくても顔が浮かぶ。彼は完全に恐慌状態に陥った悲鳴を上げ、がむしゃらに館内を逃げ惑う。

 見知った従者達が首を失う悪夢の中、彼は気付いた。気付いてしまった。

 ーー家族。父上、母上、まだ幼い妹。一気に頭を冷やして、眼球が溢れんばかりに見開いて、父の部屋に向かう。執務室の扉を開け放つと、本来は調度品や資料が並べられている棚に。



 ーー喪った首が、並べられていた。



「ドウシテーー」

「ドウシテーー」

「ドウシテーー」

「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテ」「ドウシテーー」


 見開いた目は、恨みがましく彼を見詰め、血を涙のように流しながら、首だけの無力感からか、力なく訴え続ける。その中に、彼の家族の首が3つあった。

 執務室の奥から、転がった躰がゆっくりと這い上がる。父親と母親と妹。手を伸ばし、何かを求めるように、助けを求めるように、ゆっくりと彼に歩み寄る。


「どうして」

「どうして」

「……どうして?」


 悲鳴はもう、聴こえなかった。



 ◆



 闇の中、膝を抱えて彼は蹲る。見えないように、耐えきれないように、(かぶり)を振って、虚ろな眼窩に音もなくに涙が流れる。


「殺して……殺してくれ……」


 それを見下ろす小さな人影は少女のもので、しばらく小首傾いで彼をじっと見ていたが、ややあって、つまらなそうに息を吐いた。


「なんと脆い。もう少し追い込もうと思ったが、興が()がれた」


「隷属の誓約ーーお前は、死ね」


 少女が蹲る彼の耳元でそっと囁くと、光なき暗い闇の中、彼の視界は、完全に闇に包まれた。その(こえ)は、彼にとって、優しげですらあった。



 ◆



「坊っちゃん、いつまで寝ているんですか? もう妹御ですら卓に着いていますよ」


 家では猫かぶってる彼は、寝坊もしないし支度も一人で行う。なんなら朝は鍛練に剣を振るし、早起きする従者を労って声もかけてくださる。女性関係以外は万全な残念貴族である。

 しかし、そんな彼が今朝から誰も姿を見ない。朝から館を掃除するメイド、日の出前から庭木の調子を見る庭師、夜勤の衛兵、仕込みのコック。これは珍しく寝坊かなと、これまた本人がいる時は絶対に部屋に寄り付かないメイドが珍しく部屋を訪れて、ベッドに横たわったままの彼に声をかける。


「坊っちゃん。起きてください坊っちゃん。……坊っちゃん?」


 様子がおかしい。顔色がやけに青白く、まるで、呼吸をしていないように微動だにしない。メイドが揺り起こそうと触れると、その身体は氷のように冷たかった。

 メイドの悲鳴が館中に響き渡る。すぐに衛兵が駆けつけ、へたりこんでいるメイドから事情が伝わった。

 死んでいる。外傷はなく、原因は不明。もし現代なら、死因は心臓マヒとでも診断されているであろう。ただ死んでいる。しかしてその貌は、眠っているかのように穏やかだった。



これは殺人事件ですね。犯人はいったい何者なんだ

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