「少女はイルルである。名前はもうあった」
食事を終えて、人心地が着いたので、ようやく情報の擦り合わせに入る
「イルルといいます」
「ん?」
「え?」
……ああ、名前か。名前な、そうか……名前、あるんだよな。いや、けして私が付けたかったわけではないぞ。野良犬を拾ったわけじゃない。相手は人格のある一個の人間だからな、うん。
私が一人で納得して頷いていると、少女の方から窺うような視線。私が小首を傾いで疑問を呈じると、おずおずと口を開いてくれた。一々そんな小動物よろしく、びくつかないでいいんだがな。まあ、無礼よりはいいか。
「あの……、お名前、は?」
「んん?」
「ええ……?」
ああ、今度は私の方か。別になんと呼んでも構わんぞ。ご主人様でもマスターでも我が君でも。好きなように呼べばいい。
ああ、やっぱりマスターは無しだ。なんとなく、な。
私が主を呼ぶように促すと、少女は期待と不安で入り交じった顔で、もじもじと私を上目遣いで見遣る。そうした姿が妙に様になっていて、嗜虐心をーーってもういいかこのネタは。種族性だ種族性。少女は幼いこともあってか受け属性らしい。本人そんな意図はないのに誘い受けだな。種族的には正解なんだろう、食事的な意味で。当人の性癖関係なく。貧しいものは餌も選べないのでしょうがない。いや、女性的な意味で少女は貧しくはないんだが。
「わ、わたしを……、どうするつもり……、なんですか?」
……ここは天丼すべきだろうか。いや、もういいか。釣り針が明白だし。少女当人にそんな意図がない辺り、この種族は業が深い。見たまんまか。
恐怖も多分にあろうが、それでも少女が望んでいるであろうことを伝える。曰く、不本意ながら命を救ったこと。ただではないのだから、その分は労働して還して貰うこと。この二点。
少女は喜びと恐怖が綯い交ぜになったような顔で、けれど犬だったら尻尾をぶんぶん振ってるような、喜びを隠し切れない様子で震えている。負い目があるので、自分を表現することに恐怖があるのだろう。いや、恐怖は私に怒られることに対してかも知れんが。
というか実際に悪魔の尻尾を振っていた。犬のようにぶんぶん、ではなく猫の長い尾のようにしゃなりしゃなりだったが。気になったので捕まえてみる。
「ひゃんっ」
天秤が明確な恐怖に傾き、震えが強まる少女。そんな様子を意に介さず、気になったことを伝える。
要するにこの尾は犬方式なのか、猫方式なのかということだ。犬は下半身直結で単純だが、猫の感情表現は複雑極まる。尻尾を丸める、尻尾を立てる、尻尾の毛がぶわってなるなどは分かりやすいが、振り方は不機嫌だったり、獲物を狙っていたりと微細な違いがある。
そのことを少女に聞くと、よくわからないとのこと。要観察かな、これは。
「でも、男は動くものを追いたくなる、って言ってました」
成る程。やはりそういう進化なんだな。
創作などだと、悪魔の尻尾は性感帯、というのが定番だが、少女の尻尾をにぎにぎしたり、すりすりしたりしても、くすぐったそうに身を捩るのみだった。一応付け根、尾てい骨もこりこりやってみると、こちらは気持ち良いようだった。猫に近い尻尾だな。猫も昔は悪魔扱いだったしそんなものか。
一応少女の事情も聞いてみたが、然して興味がある話ではなかった。強いて参考になった部分を挙げるなら、淫魔の集落が山の中にあるとか、剣と魔法のファンタジー異世界にありがちな文明レベルだといったところか。
少女の間の悪さを指摘してやると、普通にへこんで項垂れていた。まあ、淫魔に向いてないと言われても、子供に親は選べない。辞めることも出来ないのに、言われてもしょうがないだろう。
失敗は糧にして、次同じ間違いをしなければいいのだ。大きなミスをすれば大抵命は無いが、幸運にも生き延びられたのだから、それを利用しない手はない。生きていると、人生はそれなりに長いのだから。間違いを正したり、反省をする時間はいくらでもある。その時間を現実逃避や、刹那的な快楽に充てる奴は早死にするが。
少女は何歳だ? ……8歳?
改めて言うと、少女の容姿は日本人からすると15、6。欧米人として見ると11、2くらいである。で、実年齢は8歳。
種族柄、未成熟な期間が短く、女盛りが長いので老いるのも遅いらしい。本当にこの種族は業が深い。年齢一桁を一人で放り出すなよ。引く手数多じゃないか。襲われようが売られようが、彼女の種族にとっては成長のための栄養である。それで生き残れるんだからスパルタ過ぎだろう。無論、不幸もあろうが、そこまで言ったら人間の村娘の方が死亡率が高い気がする。未文明の子供はよく死ぬ。それはもうよく死ぬ。生めよ増やせよが動物の基本である故。
この世界の文明について、細々とした情報収集は後で行うとして、当面少女に割り振る仕事だな。……いや。
改めて少女に視線を向ける。桃色の長い髪は、逃亡生活に寝たきり生活でぼさぼさで、服は下着より面積の狭い、肌に貼り付く黒い何か。肌艶もお世辞にも良好とは言えず、種族性削るわけにはいかないとばかりに見れない容姿ではないが、少々ガリガリで頬が痩けて見える。
はっきり言って、現代基準からすると見窄らしい。こんな淫魔が来ても、夜闇に乗じてでもなければチェンジを言い渡されるだろう。
じろじろと、無遠慮な視線に晒されて、恥ずかしそうに身を捩る仕草は及第点だが、その恥ずかしいの内訳は、自身のみすぼらしさを自覚してのことのようだ。
先ずはここからだな。しかし、その髪は邪魔じゃないか? 踝まで届くって。それも男受け進化なのかと思ったが、元々こんなに長くはなかったとのこと。魔族大隔世か。火事場の馬鹿力ってこわい。改めてそう思った。
正直、物質創造を使えばシャンプー程度ならどうとでもなる。材料は複数種類必要で、すぐには無理だが、私の手から離れれば夢幻の如く消える方なら、私が手ずから髪を触れば洗い流すまで消えない。
ん……。でも、私から離れると消えるんだよな。私に使う分にはずっと頭皮と髪に触れてるからいいが、他人に使うと保湿成分とか浸透する部分はどうなるんだ? ……まあいいか実験だ。丁度被験体もいることだし。
とりあえずぬるま湯をぶっかけておこう。森で迷って寝続けていたんだ。野良犬の方がまだ綺麗だろう。本当に汚いな。ついでに全身洗うか。
後述するが、結果として、地肌や髪に浸透保水する効果などは維持出来ず、最低限汚れを落とすことしか出来ないようだった。重ね重ね、便利ではあるが全能ではない物質創造である。
木材で物質創造した丸椅子に座らせ、桑の葉で物質創造した絹のマントで少女の首から下を覆う。家や風呂を作る際の木材なんかは手で加工するが、特に拘りのないものは便利グッズで時短である。遂にグッズ扱いされる物質創造。
物質創造したハサミを手に、少女の背後に立った。この鋏も私の手から離れば雲散霧消以下略。
しゃきんしゃきんと鳴らす私に、手足も出ない少女は怯えた様子。散髪ハサミくらいあるだろうに。私に刃物を持たれるのが怖いのかそうですか。くびりころすのに武器など必要ないから安心するといい。
そう言って首筋を撫ぜると、血の気が引く音が聴こえるレベルで青くなる。大人しい分には良いことだ。子供は髪を切るのを退屈するから。
昔得った首塚……じゃない、杵柄とばかりに少女の髪を肩口で切り揃える。森で生活するのに長い必要はない。それに種族的にどうせすぐ伸びるだろう暴論。
暴論と言えば、「髪の短い女は女じゃない」とか暴論をかましていた侍従がいたな。縛ったり括ったり染めたり、目が覚める度に印象が変わっていたのを覚えてる。
……私は、寂しかったんだろうか。
誰とも関わらず、引きこもって暮らして行こうなどとほざいていた癖に、こうして見知らぬ少女を生かして、面倒を見ようとしている。
労働力なんて建前だ。焦る必要はない。一人でちまちま進めても、私から文句は出ない。考えれば考えるだけ面倒ばかり増え、利潤など殆ど出ない。それが私にとっての人付き合いで、だからそれを避けたいとずっと思っていた。
だのに、いざ独りで生活していれば、こうして他人を拾っているのだから。私の二律背反に涙が出てくる。隠遁と人恋しさ、両立しないといけないのが私の辛いところだな。それが出来るのはネットか。それもラインや顔本ではなく、不特定多数の匿名掲示板辺り。つくづく魔性の箱である。
若干ブルー入りながらも少女の散髪が終わり、切った髪を食んでいると、少女から引き攣った視線が飛んで来る。口から髪を垂らしたまま、がらりとこざっぱりした印象になった少女を見上げると、視線そのものの引き攣った顔にかち合った。小首を傾いで疑問を呈じるも、少女の視線は私の口にある髪から離れない。よく咀嚼して嚥下し、膝を伸ばして改めて少女の背後に回った。
「それで、非常食」
「あっ、やっぱりわたし食べられるんですね!?」
ウィットに富んだ小粋なジョークというやつだよ。子供には少々苦味が利きすぎたかな?
次は髪を洗うことを伝え、椅子に座らせたままの少女と木桶を持って川原まで移動。木桶に溜めた川の水をぬるま湯にして頭からかける。数回流し、ぬるま湯を入れた桶の底に小さい穴を複数空け、シャワー状にして少女当人に木桶を持って貰う。空いた両手で少女の髪の汚れを念入りに落とし、散髪後特有の髪の切れ端も残さないようにする。
若さもあって、頭皮の汚れがしつこい。そろそろシャンプーに移行しよう。配合は皮脂を落とす成分を優先的に。頭皮の脂を落とし過ぎると髪がパサパサになるが、若いんだから多少は我慢して貰う。
そもそもシャンプーとは諸刃の刃だ。朝シャンなんかか流行ったが、時間が無い時に焦ってすると、洗い残しの成分が毛根に詰まって、却ってハゲの原因にもなる。人によっては頭皮脂を落とし過ぎて髪のダメージになるので、毎日シャンプーはせずに、二日に一回、お湯で洗い流すだけに止めた方がいい場合すらある。
ほぼ薬品のようなものなのだから、地肌の質に合わせて配合を確かめ、用法用量を守って適切に使うのは当たり前のことだ。
今回は初回なので二度やろう。石油系の界面活性剤でしっかり泡立て、汚れをよく洗い流したらもう一度、今度はアミノ酸系のリンスインで、頭皮をマッサージするようにじっくりと肌に馴染ませる。
このシャンプーも私の手を離れれば消えてしまうので、浸透保水の効果はわからないが、とりあえず頭皮を指の腹で撫でられている現状は気持ちいいようだ。毛穴の脂が落ちる落ちる。マッサージは得意な部類だ。……しかし、私はどうして披露する相手もいないのに、こんなスキルを磨いてしまったのだろう。人に教えるくらいしか使い途がないぞ。いま使えてるので、人生に無駄なことなど無いのであるとか薫陶。
私の手を離れても霧散しないシャンプーも作れるは作れるが、シャンプーとなると材料が結構必要だしな……。現代と違って、手作りは材料調達のハードルが高い。ヤシ油とか、この森にはなさそうだ。手間を考えると、躍起になって作る必要はなさそうだ。私には必要ないし。
二度目のシャンプーも洗い流したら、ついでとばかりにヘアトリートメントもしてそれも流す。ぬるま湯とは言え、下着以下で水場にいていい加減冷えただろうと、毛布を物質創造して少女に巻き付け、ドライヤーを物質創造して、タオル越しに髪を乾かす。毛布は私の身体に触れてないと雲散霧消なので、端を踏んでいるのはご愛嬌。
木材にそうしているように、少女の水分を奪い取ってもいいのだが、まかり間違って干からびでもしたら怖い。熱風も気持ち良さそうだし、これで正解だ。私は面倒なので、いつも水分を取り除いているが。
うん。美人さんになったな。汚れた野良犬が洗った後の野良犬レベルにはなった。かわいいかわいい。
ドライヤーでふんわり仕上がった髪に、なにやら嬉しそうな様子の少女。年齢一桁でも綺麗になると嬉しいらしい。女の子というのは早熟だな。後は栄養面だが、三食食わせてやればその内よくなるだろう。
で、次は服だ。絹しかないが、いいか。下着は自前のがあるし。
……私が寂しい人間という前提だと、少女を代替品として、メイド服でも着せてみようか?
んー……。いいか。絹では再現出来ないし、この少女が侍従とか、なんかイメージと合わない。この少女の背丈や雰囲気に似合いそうな、絹製の服を仕立てて見る。この辺のセンスもきっちり指導されてるから、見れない格好にはならんだろう。
うん、いいとこのお嬢さん風に仕上がった。森の中で暮らす服装ではないが、どうせ桑の葉からした物質創造だ。傷んだら、その絹で物質創造し直せばいい。桃色の髪が色々アレだが、二次元には腐るほど転がってるしへーきへーき。似合う似合う。……いざとなったら髪を物質創造して別の色に。いや、そこまでは止めよう。なんとなく。
「……あるじさまは、魔法使いの方なのですか?」
いや、ただの物質創造なんだが……。
魔法ね。ファンタジー異世界なのは間違いないようだが、やはり私には縁遠いかな。
さらっとメイドがいた事を仄めかしていますが、別に生前そういう身分だったわけではありません。
メイド服を着ていた人に、あなたの侍従になりたい、と言われたので好きなようにさせていただけです。なんだこのエピソード。たまげたなぁ。
生前から偏屈で人付き合いを嫌っていましたので、それでも傍にいた人間にはかなり気を許していたみたいですね。メイドへの拘りが見えます。




