「不覚を取りました」
少女は物心付いた時から山の中で暮らしていた。
その隠れ里には老いた女性か、身籠った女性、そして自分のような幼い者しか居ない。
……適齢期を越えた少女が男性の居る人里に放られると知ったのは、自分がそうなった時にようやくだった。
別におかしなことじゃない。里に男性は居ないし、連れ込んでも長生き出来ない。ここはあくまでも隠れ里でしかなく、繁殖のために人里に行くのは当たり前のことだ。
その人里で産んだり、所帯を持って帰って来ない事も珍しくはない。この隠れ里は、生殖能力を失ったり、人里で産めない事情を抱えた者たちの逃げ場でしかない。適齢期を迎えた者は、生気無しでは生きては行けないし、外に出されるのは当然である。
ただ、この場合に於いて問題だったのは、少女を産んだ女性が、子育てをする事なく、さっさと人里へ行ってしまったこと。育ててくれた隠れ里の皆が、「他の人がとっくに教育しただろう」と、人里に放られる事を説明しなかった事にある。
加えて、少女は少々やんちゃだった。里で大人と一緒に内職をするより、野山を駆け巡って山菜採りでもしてる方が得意だったのだ。
結果として、日本人ならお赤飯でも炊かれるお祝いの日。少女は何の説明もなく、知らない人里に放り出される事となったのである。
いや、流石に山に棄てられるのとは違う。自分を掴んで空を飛ぶ大人に、何処に連れて行かれるのか、これからどうなるのかは聞いた。事情はわかっている。出来てないのは心構えだけだ。
大人の話は長くてつまらないと、少女は生きていく為の手練手管を、何一つ身に付ける事なく、独りで放り出される事となった。
斯くして、彼女の種族にしては珍しく、「隙だらけで初心な淫魔」という、方々で需要のありそうな稀有な存在が爆誕したのである。
何故珍しいのか? 答えは簡単、そんなやつは生き残れねーからである。アルビノ草兎並みの絶滅危惧種だ。向こうは向こうで色々と逞しいが、少女は見ての通り風前の灯火である。
はじめの内は、なんとかなっていた。首尾良く飲食店で給仕の仕事にありつけて、賄いも出るし、男性との接触も少なくない。少女の種族にとっては上々の滑り出しだ。
しかし、そこからが続かない。飢えた荒くれ達の満ちた空間、適度なお触り。餓死しないまでも、年頃の、食べ盛りの少女にとっては生殺しのような苦痛を感じる日々。それで男と仲良くなれれば良かったのだが、予備知識もなく、はじめて見る厳めしい男性達は、セクハラをしてくる事も相俟って、あまりお近付きになりたいとは思えなかった。
日々の疲れが取れず、次第に憔悴していく毎日。注意力が散漫になっていたことは否めない。
仕事帰りにふらふらと歩いていた少女は、粗野な男たちに路地裏に連れ込まれた。
それだけなら、人間の女性にとっては不幸だが、淫魔にとっては、荒療治だが、そこまで悪い話ではなかったかも知れない。どちらかと言えばこの場合、男たちの命の方が心配だ。まあ、大抵の男性は笑顔を浮かべて逝くので、ごろつきの末路としては上等な部類だろう。
しかし悪い事は重なるもので、それはただのごろつきではなかった。
手癖の悪い領主の馬鹿息子、その配下だったのである。
路地裏でそのままではなく、裏道からどこかの建物に連れ込まれる少女。常習犯らしく手慣れていて、足が付かないように、事が済めば処理される。流石に市井に種をばら蒔くわけにはいかない、と考えられるだけの知能は持っていた。良くて娼館、奴隷。悪ければ一つ。おこぼれに与れるごろつき達は従順だ。
少女がそこまで察したかはわからない。しかし、向けられる男性の剥き出しの欲望に、服を剥かれて押さえ込まれる恐怖に、恐慌状態に陥り、少女は全力で抵抗した。そりゃあもう全力で。
種族柄、無理矢理男性を襲う事も珍しくない彼女達は、適齢期の少女であっても、成人男性を越える腕力を持っている。押さえ付けられてる状態では勿論力は入らないが、滅多矢鱈に暴れる足が、領主の息子に直撃した。
どこに? ……領主の息子の息子に、である。
筆舌に尽くしがたい痛みに、そして見ていただけで背筋が凍る光景に、男達の動きが止まった一瞬の隙を突いて少女は逃げ出した。扉の鍵はぶっ壊した。
室外に逃げた少女だが、領主の息子を傷物にして追っ手が掛からないと思う程世間知らずじゃない。まして、世継ぎに深刻なダメージを与えたとなれば、重罪は免れないだろう。
都会に馴染めなかった忌避感も相俟って、その夜の内に街から逃げ出した。
着の身着のまま……というか、その着すらまともに機能していなかったが、街を離れる際に擬態は解いている。ほぼ裸みたいなものだが、隠れ里ではずっとこうだったので、男性の目さえなければ恥ずかしくはない。擬態は見た目を騙すものなので、いざとなれば服を着ている振りも出来る。
ほぼ身一つで逃げ出した少女は、夜間というのも相俟って、完全に迷った。力尽き、飛ぶ事すら出来なくなった。
隠れ里から放り出された時も夜だったので、記憶を辿ろうにも帰り道すらわからない。せめて自然の多い所と目指した場所は、噂に聞いた、人を喰らう迷いの森ではないのか。
元々山育ちの少女だ。朝露を含み、食べられる野草を食み、なんとか命を繋ぐ事が出来た。
しかし少女は最初から気付いていた。街を出る以前から、自分はとっくに限界だったと。
淫魔は、生気が無ければ死ぬ。それは人間が、水が無ければ三日で死ぬのと同じように、当たり前の事。流石に三日では大丈夫だが、絶食の苦しみを感じない者など、それこそ生き仏くらいなものだろう。
死ぬ……? わたしは、ここで、おわり……?
明確に迫った、己の死。このままではいけないと、けれどなんとかなるだろうと楽観視し、今まで目を逸らして来たそれが、今や当たり前の事実のように目前まで来ている。
どこで間違えたんだろう。どうすれば良かったんだろう。過去を考えたってしょうがないのに、後悔が溢れて止まらない。
怖がらずに男性と積極的に関わっていれば。もっと大人から色んな事を勉強していれば。もしかしたら母親が来るかもと、野山に捜しに行っていなければ。
……自分は結局、なんだったんだろう。
母親は、望んで自分を産んだ訳じゃなかった。里の中でも放置気味で、大人はわたしに関心を払わなかった。お店のお客さんも、誘っても乗れないわたしの態度に不快そうだった。
出来損ないで、役立たず。
……わたしは、なんのためにうまれてきたの?
それでも足は止めず、何かを求めて歩き続ける。川を見付けて空きっ腹を満たすも、限界に渇いたカラダが満たされる事はない。
……その小屋を見付けた時は、それが現実かわからなかった。
かみさまーー
もしも、もしもあの小屋に生きてる人がいるのなら、わたしは生まれ変わります。今度はちゃんと、うまく生きます。
だからどうか、希望をくださいーー
夜中、妙に小綺麗な小屋に期待が高まりつつも、住民が起きてドアを開けてくれるかわからない。それでも、待てが出来る程、我慢出来る渇きじゃない。
ドアを叩くと、待ち構えていたと言っても過言ではないスピードで開かれる。それにも驚いたが、外に出なかっただけで、内心では天を仰ぐ程に驚愕していた。
かみさま……。
小屋から出て来た人間は、他に類がない程に生気で溢れていたのだ。手を握るだけで、いや、小屋に泊めて貰えるだけで、飢えを満たせる程の生気。
この世に救いはあるのだと、自分は生きていてもいいのだと、祝福されたような気分。
……その気持ちが続いたのも、目の前で扉を閉められた時までだった。
「ぁ……」
瞼を焼く日射しに、駆け巡っていた走馬灯が消えるように目を覚ます。
頭に霞がかかったように、目の前に靄がかかったように。視界が霞んではっきりしない。全身が軋んで動かない。口の中がずたずたで鈍痛が止まない。虚脱感で尻尾一つぴくりともしない。
喉が渇く。呼吸が浅い。眼球すらからからで、唾液よりもふんだんな血が口内を満たし、それを飲めばえづき、喉の痛みは却ってひどくなる。
全身を縛る錠は、日射しを受けて熱を蓄え、逆さ吊りにされた頭には否が応にも血が昇り、気持ちの悪さに拍車をかける。
つまりーーベストコンディションだ。などと宣えるほど少女は強くはないし、余裕もない。そう間を置かずして死ぬ、間違いなく。それだけはわかる。
目の前の小屋に向かって叫び声を上げた。命乞いを。
しかし、か細い命の叫びに、冷たい木組みの丸太は応える事なく沈黙を保つ。応急措置であろう、自分の空けた大穴を塞ぐ土の壁に、万に一つも交渉の余地はないのではと心が折れかける。
それでも少女は叫んだ。血を吐いても、喉が裂けても。声が枯れて掠れるまで。命を請えなければ、問答無用で死ぬのだから。大したことはない。
命の限り、声を振り絞る。とっくに限界は越えている。許して貰っても死ぬライン。それでも僅かばかりの可能性に賭けて、命を尽くして命を請う。許して貰えなければ死ぬのだから。大したことはない。
目を覚ましてから日が沈むまで。夜の帳が下りてから日が昇るまで。体力の続く限り、掠れた声が戻る度に、少女は命乞いを続けた。
一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日目。もう、声は出なかった。気持ちは潰え、心は完全に、折れた。
◆
ベッドでごろごろと微睡みながら、私は、段々とか細くなっていく命乞いを、聞くことなしに聞いていた。
あんなに自分の存在を主張して、肉食獣を呼び寄せても知らないが、この辺りには危険な生物などはいないのだろう。
世界など、どこまで行っても、どんなジャンルであろうとも、この世の理は弱肉強食である。
弱き者は強者に食われる。そうでなくても弱き者は死ぬ。それを糧にした者は、少なくとも死んだ者よりは強き者だ。
少女は弱かった。だから死ぬ。それは当然のことだ。そこに同情だとか、可哀想だとか、傲慢な感情の割り込む隙間はない。
屠畜場の豚が鳴いていても、解体人は気にしない。それだけだ。干からびた淫魔など煮ても焼いても食いたくないが。
少女の末期に然したる興味はないが、一応は最後まで見届ける必要はある。死体の匂いはわかるので、寝てて気付かないことはないだろう。どうでもいいもののために、私が睡眠を阻害する必要などどこにもない。
徐々に弱くなっていく命の音を子守唄に、死体の処理を考えながら、私は眠りについた。ついでとばかりに、この世界の言葉を聞いて覚えつつ。
少女を晒して三日。もう殆ど命は聴こえない。よく持った方だろう。ここに来た時に限界だったのだ。人間だったらとうに死んでいる。
起きてるんだか寝てるんだかわからないような微睡みにあって、その幽かな声を聴いていた。
「ゃ……ぁ。しにたく、ない……。しにたく……ないよぉ……。たすけ、……たぅ……。たすけ、て……ぇ……」
『やだ! やだぁ! 死にたくない! 死にたくないよぉ! 許してっ、許してください! お願い、死にたくないっ、死にたくないっ、死にたくない! やだぁ……っ、やだよぉ……っ、やだぁっ!!』
ーー不覚、にも。
ドアを開けて小屋の外に出る。今日は良い夜だ。ここは敢えて、死ぬには良い日だと言うべきかな? 死ぬのは貴様だ。私が殺すもの。
吊るされた死にかけは、私の姿が見えているのかいないのか、焦点を失った目で見ることなしにこちらを向いている。眼球の動きから、ほぼ視界は無さそうだがまーいいだろう。
処刑台の鎖を切って地面に落とす。ついでに集っていた虫もパーンする。パーンしてパーンでパーンだ。慈悲はない。卵とか産み付けられてないだろうな? それもまあいい。乱暴だが別に、死んだら死んだでいい。別に生かしてやろうだとか、そんな傲慢で意味のないことを……、いや。
言い訳をするのは、もうやめよう。ここは私の知ってる世界ではないし、私は私の知ってる私じゃない。私を知るものは誰もいないし、私を覆う柵の何もない。
建前だとか諦めだとか外聞だとか、生前のくそみたいな目に見えないルールなんて、もうどうでもいいんだ。
私の気が変わった。私が生かしたいから私が生かす。私の感情が私にそう言ったのだ。逆らうものなど誰もいない。
指を鳴らす要領で、爪を立てて中指を弾く。乱暴に刻まれた裂傷から血が滲み、すぐに表面張力で留まる。
淫魔の生命維持に必要な、生気。それを得る方々はいくつかある。肌に触れる、唾液を交わす、精を受ける、そして、血を得る。
男性の精液の原材料は血だ。女性の方は言わずもがな。ついでに母乳なども同じく。材料が同じだから、一定以上の効果はある。醤油を原液で飲むようなものだが、死ぬよかマシだろう。
それがわかるからか、木材の台に落とされた少女の焦点が合い、指先を見詰めて息を荒げる。
「ぁ……ぁ、ぁっ」
拘束はそのまま。石の重さで、身動ぎはしても這うことは出来ない。視線は強く、零れそうなほど眼球を剥き出し、必死に舌を伸ばして少しでも近付こうとする。
正味死にかけの野良犬の方がまだ見れた姿だが、そのみすぼらしい格好に、逆に愛着が湧いて来た。届かないのをいいことに、血を一滴垂らして目の前に溢してやる。
死にかけは必死に舌を這わせるが、どう頑張っても血には届かない。
「欲しいか?」
言葉に、目を爛々に輝かせて私を見上げる死にかけのソレ。最早頷く余力すらないらしく、唇が微かに動くが、意味のある言葉は出て来ない。私はそれの口元に、血を浮かせた指先を差し出してやる。
震える唇……、震えは全身のもので、その姿も野良犬のようだ。顔を動かして必死に指先に口を近付けーー私は指を上げて、取り上げた。
「ダメだな。そのまま野垂れ死ね」
隠れ里の名誉のための本編に入らなかった補足をば。
別にこの子は冷たくされてたわけではありません。
丁度隠れ里では出産ラッシュで、里の大人はてんてこ舞い。年長さんだった少女は、むしろ子供の面倒を見る側だったので、あんまり構っては貰えなかったのです。
聡い子なので事情は理解していますが、だからって寂しい気持ちに蓋をしろと言われても、幼い子供には酷ですよね。
そういうわけで初心でオカン属性でサバイバル能力の高く育った淫魔。彼女に明日はあるのか。




