第8話 黒猫式・悪役令嬢改造計画、始動
完結確定。
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シルビア・グランベルを悪役令嬢にしないためには、何が必要か。
私は一晩かけて考えた。
場所は、シルビアの部屋の隅に置かれた専用クッションの上である。
大変ふかふかで、思考がよくまとまる。
いや、快適すぎて眠くなる。
だが、私は寝ていない。
目を閉じていた時間はあったが、それは思考を深めるための瞑想である。
断じて熟睡ではない。
現状、シルビアには大きな問題がいくつもある。
言葉選び、表情、視力、兄の教育、周囲の誤解。
問題は山ほどある。
そして何より、高笑いの練習をする。
なんだか問題が増えているが、最後が非常に深刻である。
高笑いは悪役令嬢の必須科目なので、シルビアには禁忌。
あれを放置すると、十年後の断罪イベントで、本人に悪意がなくても「やはり昔から高慢だった」と言われかねない。
それだけではない。
灰色のスカートの侍女。
彼女はシルビアの言動を常に見ていて、おそらく噂のそばにいる。
シルビアが何かをすれば、悪く切り取られる。
シルビアが何もしていなくても、怖い顔をしていれば悪意があったことにされる。
つまり、シルビア本人の改善と、周囲への誤解対策を同時に進めなければならない。
猫には難易度が高い。
普通なら、家庭教師や家族、信頼できる使用人がやるべきことだ。
だが、現実はどうか。
父は娘に甘い。
母は微笑ましく見守っている。
兄は善意でややこしくしている。
使用人は恐れて指摘できない。
結果、黒猫の私に仕事が回ってきている。
職務分担がおかしい。
しかし、文句を言っても始まらない。
私は猫である。
猫にできることは少ない。
だが、ゼロではない。
そこで私は、計画を立てた。
名づけて、黒猫式・悪役令嬢改造計画。
目的、シルビア・グランベルの悪役令嬢ポイントを減らし、断罪エンドを回避する。
第一目標、「ありがとう」を言わせる。
第二目標、「ごめんなさい」を言わせる。
第三目標、命令形を減らす。
第四目標、高笑いを完全封印する。
第五目標、可能なら視力問題に着手する。
最後の難易度が高いが。
猫に何をやらせようとするのだ。
よし、まずは日常会話からだな。
私は朝、シルビアが起きる前にクッションから出た。
窓の外には朝日が差し込んでいる。
屋敷の中はまだ静かだ。
やがて侍女が部屋に入り、カーテンを開けた。
「おはようございます、お嬢様」
ベッドの上で、シルビアがゆっくり目を開ける。
寝起きのシルビアは、いつもの圧が少し弱い。
髪も少し乱れていて、表情もぼんやりしている。
年相応である。
この状態、かなり可愛い。
もう、天使である。
だが、数秒後には公爵令嬢モード起動で背筋が伸びる。
「おはよう」
お、普通だ。
朝の挨拶は、意外にもできているのだ。
侍女が身支度を整え始め、髪をとかし、リボンを選び、ドレスを用意する。
問題はその後だった。
侍女が青いリボンを手に取った。
「本日は、こちらのリボンでよろしいでしょうか」
シルビアは鏡越しにそれを見た。
目を細め、眉間にしわ。
侍女がわずかに身構える。
「……その色は、昨日も使いましたわ」
声が硬い。
侍女の顔が青ざめる。
「も、申し訳ございません。すぐに別のものを」
待て。
ここだ!
ここで言い方を直すのだ。
シルビアはたぶん「別の色がいい」と言いたいのだろう。
しかし、このままだと「昨日と同じリボンを選ぶなんて無能」と聞こえる。
私は床を蹴った。
侍女が持つリボンの箱へ飛び乗る。
色とりどりのリボンが揺れた。
「にゃ」
私は淡い白色のリボンに前足を置いた。
これだ。
今日はこれにしよう。
選択肢を示せば、命令形を減らせるかもしれない。
シルビアが私を見る。
「ノワール、それがよいの?」
「にゃ」
よい。
シルビアは少し考えたあと、侍女へ言った。
「では、それにしなさい」
命令形。
悪役令嬢ポイント、加算。
私は即座にシルビアに背を向けた。
すたすたと、窓辺へ歩く。
「ノワール?」
シルビアが戸惑った声を出す。
思わず振り向きたくなるが、私は振り返らない。
これは教育である。
悪役っぽい言い方をした場合、黒猫は背を向ける。
シルビアには、言葉選びと猫の反応を結びつけてもらうことにした。
「どうしましたの。こちらを向きなさい」
向かない。
「ノワール」
向きません。
「……そのリボンを、お願いできるかしら」
私は振り返った。
よし!
思わずガッツポーズをしたが、ただ前足が持ち上がっただけだった。
……。
かなり良い。
命令形ではない、ちゃんとお願いになっている。
私はすぐにシルビアの足元へ戻り、すりっと体を寄せた。
「にゃ」
正解である。
しなさい、ではない。
お願いできるかしら。
そう、それだ。
人類の進歩である。
シルビアは目を丸くした。
「まあ……」
侍女も驚いている。
シルビアは少し不思議そうに私を見下ろした。
「あなた、もしかして、今の言い方がよかったの?」
「にゃ」
そうだ。
その調子だ。
シルビアは首をかしげた。
「変な猫ですこと」
否定はしない。
しかし、最初の一歩としては成功である。
身支度が終わると、次は朝食だった。
食堂には、公爵夫妻と兄レオンハルトがいた。
私はシルビアの足元に控える。
公爵家の食堂は広い。もちろんテーブルも大きい。そして料理も豪華だ。
だが、猫に出されるものは別である。
私には小さな皿に入った鶏肉が用意されていた。
美味しい。
大変美味しい。
私は断罪エンド回避担当であると同時に、猫である。
食事は大事だ、健康のためにも、楽しみのためにも。
シルビアはスープを口にして、少しだけ眉を寄せた。
近くに控えていた料理係が緊張する。
「お口に合いませんでしたでしょうか」
シルビアは言う。
「少し塩が強いですわ」
料理係の顔が青くなる。
まただ。
言っている内容はただの感想かもしれない。
しかしシルビアの言い方が強いせいで、いや顔が強すぎるのもあるが、料理係には叱責に聞こえている。
シルビアは続けようとした。
「こんな味では――」
まずい、その先は危険だ。
私は即座に椅子の下から飛び出し、シルビアの靴に前足を置いた。
「にゃ」
言葉を選べ。
シルビアは少しだけ口を閉じた。
そして、言い直す。
「……けれど、野菜の甘みはよく出ていますわ。次は、もう少しだけ塩を控えなさい」
料理係が目を丸くした。
公爵夫人が、ほんの少し微笑む。
レオンハルトも意外そうにシルビアを見た。
お、かなり良い。命令形だが。
最初に改善点を言ったが、良い点も言えた。
命令形だったが、現時点では合格である。
私はシルビアの足にすり寄った。
「にゃ」
シルビアは足元の私を見下ろし、少し得意げな顔をした。
「ふふん。分かりましたわ。あなた、わたくしがうまく言えると喜ぶのね」
そうだ。
かなり理解が早い。
やはりシルビアは賢い。
方向は劇的に間違えるが。
公爵が不思議そうに言った。
「ノワールは、ずいぶんシルビアに懐いているな」
レオンハルトがうなずく。
「懐いているというより、何かを教えているようにも見えます」
お、レオニーよ、良いところに気づいたね。
シルビアは胸を張った。
「当然ですわ。ノワールは賢い猫ですもの」
私は鶏肉を食べながら、静かにうなずいた。
元人間なので。
朝食後、計画第二段階に入った。
目標、「ありがとう」を言わせる。
これは難関である。
シルビアはお礼を言われるのは苦手だが、自分から言うのはもっと苦手らしい。
なぜか分からないが、「ありがとう」と言おうとすると、代わりに「当然ですわ」が出てくる。
自動変換機能がバグっている。
その機会はすぐに訪れた。
侍女エマが、シルビアの机に新しいインクを用意した。
「お嬢様、こちらのインクが届きました」
シルビアはそれを見て、少しだけ目を輝かせた。
どうやら欲しかったものらしい。
深い青のインク。
光に当たると、わずかに銀色が混ざって見える。
「まあ……」
シルビアは小さく声を漏らした。
今だ!
ここで「ありがとう」だ!
エマは少し緊張しながらも、微笑んでいる。
シルビアは口を開いた。
「当然の――」
私は噛んだ。
足首に、かぷりと。
「いたっ」
シルビアが小さく声を上げる。
エマが驚く。
「お嬢様!」
シルビアは私を見下ろした。
「ノワール! あなた、噛みましたわね!」
必要措置である。
私はシルビアを見上げる。
今のは危険だった。「当然の働きですわ」と言うところだった。
せっかくエマが嬉しそうにインクを持ってきたのに、それでは台無しである。
シルビアは私とエマを交互に見た。
そして、少しだけ唇を引き結ぶ。
「……ありがとう、エマ」
部屋が静かになった。
エマが目を丸くする。
私も一瞬、息を止めた。
言えた……。
今、言えた。
シルビアが、自分から「ありがとう」と言った!
エマの顔がぱっと明るくなる。
「はい、お嬢様!」
シルビアは真っ赤になった。
「そ、そんな大げさに喜ぶことではありませんわ! ただの礼です!」
悪役令嬢ポイント、少し加算。
だが、ありがとう成功により大幅減点!
私は満足して、シルビアの足元にすり寄った。
「にゃ」
よくできました。
シルビアはまだ赤い顔で、私を抱き上げた。
「あなた、わたくしにだけ厳しすぎませんこと?」
そうかもしれない。
だが、厳しく導くのが公爵家の務めらしいので。
昼過ぎには、第二の難関が訪れた。
目標、「ごめんなさい」を言う。
これは「ありがとう」以上に難しい。
きっかけは、シルビアが廊下で小さな花瓶にぶつかったことだった。
花瓶は倒れなかったが、中の水が少しこぼれ床に広がった。
近くにいた小間使いの少女が慌てて駆け寄る。
「あっ、お嬢様、お怪我はございませんか」
「怪我などしていませんわ。そんなことより、床を拭きなさい」
はい、悪役令嬢ポイント、加算。
いや、床が濡れているのは危ない、拭くのは正しい。
だが、ぶつかったのはシルビアである。
ここは謝罪だ。
私はシルビアの前に回り込み、じっと見上げた。
「にゃ」
「何ですの」
「にゃっ」
ごめんなさい。
シルビアは目をそらした。
「花瓶がそこにあったのが悪いのですわ」
違う。
花瓶は昨日もそこにあったし、おそらく明日もそこにある。悪いのは距離感を見誤ったシルビアである。
視力問題も絡んでいる可能性が高いが。
私はじっと見た。
シルビアも私を見る。
数秒のにらみ合い。
いや、シルビアは目を細めているだけかもしれないが、見た目は完全ににらみ合いである。
小間使いの少女が困ったように二人を見ている。
私は動かなかった。
ここは譲れない。
シルビアはやがて、少しだけ肩を落とした。
「……わたくしが、少しぶつかったのも事実ですわ」
お、前進。
「その……」
言え。
あと少しだ。
頑張れ!
「……ごめんなさい」
言えた。
言えたーーーっ!!!
私は今度は心の中で拳を高く振り上げた。
小間使いの少女は目を見開いた。
「い、いえ! とんでもございません!」
シルビアは顔を赤くし、ぷいっとそっぽを向く。
「床が濡れていると危ないので、早く拭きなさい」
最後が命令形。
だが今はよい。
謝罪成功である。
私はシルビアの足元で喉を鳴らした。
順調だ。
非常に順調だ。
少なくとも、今日一日だけで「お願い」「ありがとう」「ごめんなさい」のトリプルコンボが出た。
これは大きい。
この調子なら、断罪エンド回避も夢ではない。
そう思った、その日の夕方。
シルビアは庭の東屋に立っていた。
嫌な予感がした。
彼女は片手を口元に添える。
「おほほ――」
私は飛んだ。
迷いはなかった。
シルビアのドレスの裾へ飛びつき、前足で押さえる。
「にゃあ!」
禁止!
高笑いは絶対禁止!
シルビアは驚いて私を見下ろした。
「ノワール! まだ何もしていませんわ!」
今からするところだったでしょうが。
「わたくしはただ、優雅な笑い方を練習しようと」
それは優雅とは言わない!悪役である。
私は断固としてドレスの裾を離さなかった。
シルビアは困ったように眉を寄せる。
「そんなにだめですの?」
「にゃ」
だめです。
「……では、どう笑えばよいのです」
私は固まった。
どう笑えばよいのか。
猫に聞くな。
しかし、ここで答えなければ高笑いが復活する。
私は少し考えたあと、シルビアの足元でころんと転がった。
腹を見せる。
いわゆる、猫の信頼ポーズである。
そして、小さく喉を鳴らした。
「ごろごろ」
シルビアが目を丸くする。
「……それが、笑い方?」
違う。
いや、違うが、力を抜けという意味では合っている。
シルビアはしばらく私を見ていた。
そして、ふっと小さく笑った。
口元がゆるみ、目元が柔らかくなる。
ほんの一瞬だけの自然な笑み。
私は固まった。
破壊力。
やはり高い。
これは確実に変な虫が寄る、非常に危険。
だが、高笑いよりはいい、ずっといい。
シルビアはすぐに表情を引き締めた。
「……今のように笑えばよいの?」
「にゃ」
そう。
それだ。
今のだ。
ただし外で乱発するな。
シルビアは少しだけ照れたように顔をそむける。
「変な猫ですこと。笑い方まで教えようとするなんて」
教育である。
悪役令嬢改造計画は、順調に進んでいる。
だが、順調な時間は長く続かなかった。
夜。
シルビアが部屋で本を読んでいると、扉がノックされた。
入ってきたのは私の名付け親でもある、執事のセバスチャンだった。
シルビアは本から顔を上げる。
「何かしら?グロース」
ん?
グロース?
セバスチャンじゃないの?
「お嬢様。旦那様よりお伝えするよう申しつかっております」
執事の名前に動揺して、話の内容が頭に入らない。
まあ、勝手にセバスチャン呼びしてたのは私だけど。
でも、執事って言ったらセバスチャンじゃない?
「三日後、王太子殿下がこちらへお越しになります。お嬢様とのお茶会が予定されております」
私はここで耳を立てた。
王太子。
アレクシス王太子。
シルビアの婚約者であり、ゲーム本編では彼女を断罪する中心人物。
そして、幼い頃のシルビアを誤解し、彼女の心に傷を残す相手。
来る。
ついに来る。
シルビアは一瞬、固まった。
それから、すぐに背筋を伸ばす。
「分かりましたわ。婚約者として、失礼のないようにいたします」
声は落ち着いている。
だが私は見逃さなかった。
シルビアの指先が、ほんの少し震えているのを。
緊張している。
いや、たぶんそれだけではない。
王太子に会えることを、楽しみにしているのかもしれない。
しかし、その気持ちをどう出せばいいか分からない。
そして、アレクシスはおそらく、それを読み違える。
まずい。
非常にまずい。
今日までの相手は、使用人や家族だった。
多少の失敗は、まだ取り返せる。
だが、王太子は違う。
ここで誤解を積み重ねれば、十年後に大きく響く。
私はシルビアの足元で、静かにしっぽを揺らした。
黒猫式・悪役令嬢改造計画。
大きな試練が来た。
目標。
王太子アレクシスに、シルビアを誤解させないこと。
難易度は非常に高い。
相手は王太子。
シルビアは緊張すると悪役令嬢化するし、私は猫なので話せない。
だが、やるしかない。
私はシルビアを見上げた。
その横顔は、すでに少し悪役令嬢に見えた。
違う。
この子は、悪役ではない。
ただ、不器用で、緊張していて、恋にもまだ名前をつけられないだけ。
ならば私が止める。
悪役台詞も、誤解も、断罪イベントへつながる小さなひびも。
必要なら、王太子であっても噛んでやる。
私は決意を込めて鳴いた。
「にゃ」
シルビアが私を見下ろす。
「ノワール?」
私は彼女の足元にすり寄った。
大丈夫。
いや、保証はできないけれど、全力は尽くす。
断罪エンドまで、あと十年。
まずは三日後のお茶会を、何としても乗り切らなければならない。
「賢いとポンコツは同居可能なのか。シルビアを見ていると、賢いの?ポンコツなの?と混乱すること多数。早期の仕様書送付を望む。by ノワール」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
続きが何か気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。
黒猫一匹と作者が喜びます。
ありがとうございました!




