第7話 悪役令嬢ポイント、加算されすぎ問題
完結確定。
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何か含みのある、灰色のスカートの侍女。
私は彼女を、ひとまずそう呼ぶことにした。
本当の名前はまだ分からない。
年齢は二十代前半くらいで、髪は暗い茶色。いつもきれいに一つにまとめている。
動きは静かで、無駄がない。表情も穏やかだ。
ただし、目が笑っていない。
昨日の紅茶騒ぎのあと、扉の隙間から見えた灰色のスカート。
今日、荷物を運ぶ少女をシルビアが助けたあと、廊下ですれ違った侍女。
同一人物だ。
猫の感と鼻がそう言っている。
彼女は、シルビアの周りで起きる出来事を見ている。ただ見ているだけならいい。
問題は、彼女の視線に好意がないことだ。
あの目は、情報を拾っている目だった。
前世の仕事で、私は何度も似たような目を見たことがある。
仕様の穴を探す目。
責任の押しつけ先を探す目。
障害報告書で「なぜこの実装にしたのですか」と静かに詰めてくる人の目。
笑っているのに、笑っていない。
かなり危険である。
とはいえ、現時点では証拠がない。
灰色の侍女が何かをしたわけではないし、シルビアの悪評を広めている場面を見たわけでもない。
だからまずは観察だ。
私は黒猫ノワール。
悪役令嬢断罪エンド回避担当。
そして現在、屋敷内監視業務も兼任している。
正直なところ業務範囲が広すぎる。
いつも言うが、猫一匹に任せる量ではない。
だが、やるしかない。
私はシルビアの部屋の窓辺で丸くなりながら、今日の観察計画を立てていた。
対象、シルビア・グランベル。
年齢、七歳。
身分、公爵家長女。
属性、悪役令嬢予定。
実態、善意の出力に重大な不具合を抱えたポンコツお嬢様。
直近の課題は三つ。
一つ目、シルビア本人の言葉選び。
二つ目、シルビアの表情と視力問題。
三つ目、周囲がシルビアを悪く受け取る土壌。
そしてこの三つが合わさると、悪役令嬢ポイントが加算されるように、私は昨日から勝手にその指標を作った。
名づけて、悪役令嬢ポイント。
捻りはないが、まあ、良しとしよう。
シルビアが悪役っぽく見える行動をするたびに、私の中で加算される。
減点方式ではない。
残念ながら、加点方式である。
なお、ポイントが一定数を超えると、将来の断罪エンドに近づく気がする。
完全に私の感覚だが、今はそれしか頼れるものがないので仕方がない。
私は前足で顔を洗いながら、今日も監視業務を始めた。
最初の加算は、朝食前だった。
シルビアが侍女に髪を結ってもらっているときのことだ。
侍女の手が、少しもつれた髪に引っかかった。
「痛っ」
シルビアが小さく声を漏らす。
侍女が青ざめた。
「申し訳ございません、お嬢様!」
シルビアは鏡越しに侍女を見た。
目を細めて。
眉間にしわを寄せて。
完全に睨んでいる。
「次からは、もっと丁寧になさい」
内容は正しい。
髪を結うなら丁寧にした方がいいのは間違いない。
だが顔が怖い、声も硬い。
侍女の肩が震える。
悪役令嬢ポイント、五点加算。
シルビアは少し間を置き、ぽつりと続けた。
「……あなたの手も、痛めるでしょう」
お!
今のはいい。
侍女が顔を上げる。
「え?」
「髪を無理に引っ張れば、あなたの指にも負担がかかりますわ。道具を変えなさい。引っかかりにくい櫛があったはずです」
言い方はやや硬い。
だが、侍女の手を気にしていることは伝わる。
悪役令嬢ポイント、二点減点。
いや、加点方式なのに減点するのか。
まあ、細かいルールはこの際置いておこう。
私はクッションの上でうなずいた。
改善の兆しあり。
しかし、その直後。
侍女が「ありがとうございます」と言うと、シルビアは顔をそむけた。
「当然ですわ。わたくしの髪を整える者が、手を傷めていては困りますもの」
当然ですわ……。
悪役令嬢ポイント、三点加算。
惜しい。
実に惜しい。
午前の授業中にも加算された。
家庭教師がシルビアに歴史の質問をする。
シルビアはすらすら答える。
やはりかなり優秀である。
家庭教師は感心したように微笑んだ。
「よく勉強されていますね、お嬢様」
シルビアは胸を張る。
「当然ですわ。グランベル公爵家の者として、この程度も答えられないようでは恥ですもの」
はい、当然ですわ。
悪役令嬢ポイント、四点加算。
そこは「ありがとうございます」でいい。
「ありがとう」たった五文字だ、なぜ出ない。
家庭教師は慣れているのか、微笑んだままだった。
だが、部屋の隅に控えていた別の侍女が小さく肩をすくめるのを、私は見逃さなかった。
まただ。
シルビアの言葉は、周囲に「高慢」として届いている。
まあ確かに、何も知らずに見たらそうなんだけど。
でも本人は努力しているだけなんだよな。
私は前足で床を軽く叩いた。
問題は根深い。
昼前には、大きな加算があった。
廊下で、幼い小姓が書類の束を落としたのだ。
ばさばさと紙が散らばる。
小姓は慌てて膝をつき、拾い集めようとする。
そこへシルビアが通りかかった。
私は警戒した。
この状況、かなり危ない。
シルビアが助けようとする。
だが言い方を間違える。
周囲には叱っているように見える。
昨日の荷物事件と同系統である。
案の定、シルビアは足を止めた。
「何をしているのです」
小姓がびくりとする。
「も、申し訳ございません!」
「謝っている暇があるなら、早く拾いなさい」
悪役令嬢ポイント、七点加算。
そう言いながら、シルビアは自分もしゃがみ込んで紙を拾い始めた。
行動は善行。
言葉は悪役。
判定が難しすぎる。
「お、お嬢様! そのようなことは私が……!」
「あなた一人では遅いでしょう。急ぎの書類なのでしょう?」
シルビアは紙を拾いながら言う。
「角が折れていますわ。こういうものは、扱い方で仕事の質が分かります。次からはもっとしっかり持ちなさい」
悪役令嬢ポイント、追加五点。
いや、手伝っている、確かに手伝っているが。
そして言っていることは正しい。
が、しかし、言い方が強い、圧が強い。
小姓は泣きそうになりながらも、シルビアと一緒に書類を拾った。
私は慌てて近づき、一枚だけ離れた紙の上に前足を置いた。
ここにもあるぞ。
「にゃ」
小姓が気づく。
「あ、ありがとうございます、ノワール様」
……様。
だが今はいい。
小姓が紙を拾い、書類をまとめる。
シルビアは最後に束を整え、彼へ差し出した。
「二度と落とさないように」
「はい……!」
小姓は震えながら受け取る。
そして、少し迷ったあと、小さく言った。
「でも、助かりました。ありがとうございます」
シルビアはぴしりと固まった。
まただ。
お礼に弱い。
彼女は視線をそらし、顔を赤らめながら早口で言う。
「わ、わたくしは、廊下に紙が散らばっているのが目障りだっただけですわ」
悪役令嬢ポイント、三点加算。
だが、小姓はそれを見て少し笑った。
昨日の医務室の少女と同じだ。
シルビアの言葉の裏にあるものを、少しだけ感じたのかもしれない。
悪役令嬢ポイント、二点減点。
いや、本当にこの採点方式はどうなっているのか。
ブレブレである。
私は自分で作ったルールに少し混乱した。
午後になると、謎の動揺してしまうような事件が起きた。
庭での散歩中、シルビアは庭の東屋で立ち止まり、おもむろに片手を口元に添えた。
「おーほほほほ!」
……。
「んっ、ん、(スーッ)おーっほほほほほ!」
なぜ……。
なぜ高笑いの練習をする。
私は思わず足を止めた。
悪役令嬢ポイント、二十点加算。
高い。
圧倒的に高い。
高笑いは危険である。
それだけで悪役令嬢感が出る。
しかもシルビアは顔が強い。
子どもとは思えない美貌と鋭い目つきで高笑いをすると、もう完全に似合い過ぎて、将来の悪役令嬢まっしぐらである。
近くで剪定をしていた庭師が、びくりとした。
通りがかった侍女が足を止めた。
数羽の小鳥が飛び立った。
……生態系にも影響が出るのか。
私は駆け寄り、シルビアのドレスの裾を前足でパシパシ叩いた。
俗に言う猫パンチである。
「にゃっ」
やめろ。
今すぐやめろ。
シルビアは不思議そうに私を見下ろした。
「何ですの、ノワール」
「にゃあーっ!」
その笑い方は危険だ。
似合い過ぎて、悪役令嬢ポイントが高すぎる。
シルビアは首をかしげた。
「お兄様がおっしゃったのです。公爵家の者は、堂々としていなければならないと」
兄。
また兄。
「ですから、堂々とした笑い方を練習しているのですわ」
それは堂々ではない。
悪役である。
いや、もしかすると貴族令嬢としての笑い方を練習しているつもりなのかもしれないが、そこでなぜ高笑いに到達したのか。
解釈の飛躍が激しい。
私はシルビアの足元に座り、じっと見上げた。
「にゃ」
やめろ。
シルビアは少しむっとした。
「何ですの。その目は。まるで、わたくしが間違っているようではありませんか」
「にゃっ」
かなり間違っている。
私は前足で顔を洗った。
するとシルビアは、なぜか少し真面目な顔になった。
「……変ですの?」
「にゃ」
変です。
非常に。
シルビアはしばらく黙った。
それから、口元に当てていた手を下ろした。
「では、やめますわ」
お、素直。
シルビアは素直である。
一度納得すると、ちゃんとやめる。
ただ、その納得に至るまでが難しいんだが。
彼女はふいっと顔をそむける。
「別に、あなたの言うことを聞いたわけではありません。喉に悪そうだと思っただけです」
悪役令嬢ポイント、一点加算。
だが高笑い中止により、二十点減点。
合計では大勝利である。
私は満足して、しっぽを立てた。
夕方。
私は一日の観察結果を整理していた。
シルビアの悪役令嬢ポイントは、加算されすぎである。
朝、侍女を睨む。
午前、褒め言葉を受け流す。
昼、書類を拾いながら小言を言う。
午後、高笑いの練習をする。
点数だけ見れば、かなり危険。
だが、内訳を見れば違う。
侍女の手を心配していた。
勉強を頑張っていた。
小姓を手伝っていた。
堂々とした振る舞いを身につけようとしていた。
根は悪くない。
むしろ、かなり真面目で優しい。
問題は、そのすべてが悪役っぽく出力されること。
そして周りも、彼女の真意を見ずに、悪い方向へ受け取る確率が高い、ということも問題だ。
つまり!
このままでは、シルビアは何をしても悪役令嬢ポイントを爆稼ぎしてしまうということ。
善行でも加算。
努力でも加算。
照れ隠しでも加算。
高笑いは問答無用で大量加算。
これは詰む。
断罪イベント以前に、日常生活で詰む。
私はシルビアの部屋のクッションで、深刻な顔をしていた。
そこへ、シルビアがやって来る。
「ノワール」
彼女は私を抱き上げ、膝の上に乗せた。
「今日は、あなたがずっとわたくしを見ていましたわね」
「にゃ」
見ていました、業務です。
「わたくし、何かおかしかったのかしら」
私はシルビアを見上げた。
おかしい。
かなりおかしい。
だが、それを責めたいわけではない。
この子は、変わる余地があり、すでに少しずつ変わり始めている。
ありがとうはまだ言えない。
ごめんなさいも苦手。
命令形は標準装備。
高笑いは危険。
視力問題は未解決。
兄の教育方針も要修正。
……課題が多すぎる。
しかし、だからこそ計画が必要だ。
私はシルビアの膝の上で、すっと立ち上がった。
そして、彼女の手の甲に前足を置く。
「にゃ」
決めた。
明日から、本格的に始めよう。
黒猫式・悪役令嬢改造計画。
目標は三つ。
ありがとうを言わせる。
ごめんなさいを言わせる。
命令形を減らす。
あと、高笑いは永久禁止。
シルビアは私を見つめ、首をかしげた。
「何だか、あなた、とてもやる気に満ちた顔をしていますわね」
その通りである。
私はやる気だ。
このままでは、シルビアは悪役令嬢ポイントを日々積み上げてしまう。
ならば、減らすしかない。
猫にできることは少ない。
だがゼロではない。
シルビアは私の前足を見て、少しだけ笑った。
「変な猫」
私は短く鳴いた。
「にゃ」
変で結構。
悪役令嬢改造担当なので。
そのとき、廊下の向こうから小さな声が聞こえた。
「今日もお嬢様が、庭で高笑いをなさっていたそうよ」
私は耳を立てた。
別の声が答える。
「まあ……やはり、気性が激しいのね」
「でも、小姓の書類を拾ってくださったとも聞いたわ」
「それも、叱りながらでしょう?」
噂がもう回っている。
早い。
早すぎる。
屋敷内の情報伝達速度が、前世の社内チャットより速い。
私は膝の上から飛び降り、扉の方へ向かった。
シルビアが不思議そうに言う。
「ノワール?」
私は扉の隙間から廊下をのぞく。
侍女たちの姿はすでになかった。
ただ、廊下の角に一瞬だけ、灰色のスカートが見えた。
やはりいた。
灰色の侍女。
彼女は、噂のそばにいる。
シルビアの行動を見て、切り取り、広げる。
悪意があるのか、誰かに命じられているのかは分からない。
だが、このまま放置すればかなり危険だ。
私はしっぽを低く揺らした。
シルビア本人の改造。
それと同時に、悪評の発信源の調査。
二正面作戦である。
やはり猫一匹にやらせる量ではない。
だが、やるしかない。
私は振り返り、シルビアを見た。
彼女は何も知らず、首をかしげている。
悪役令嬢になる予定の、不器用で素直な少女。
その未来を変えるために。
まずは明日から、徹底的に教育である。
「何だか怪しいヤツが出てきたよ。灰色のスカートの侍女の観察にシルビア改造計画。脳内環境のこのタスク管理は多すぎる。スマホが欲しい。by ノワール」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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黒猫一匹と作者が喜びます。
ありがとうございました!




