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転生した黒猫は悪役令嬢を改造したい 〜極悪非道のはずのお嬢様が、ただの不器用ポンコツだったので断罪エンドを全力で回避します!〜  作者: ゼロブロ
第1章 黒猫、悪役令嬢に拾われる

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5/58

第5話 黒猫、最初の悪評イベントを阻止する

完結確定。

毎日朝7時に更新します。

よろしくお願いします。

 シルビア・グランベルが悪役令嬢に見える原因は、だいたい分かってきた。


 言葉選びは壊滅的。

 表情は固い。

 視力が悪いせいで、遠くを見ると睨み顔。

 さらに、兄レオンハルト仕込みの貴族教育により、「優しくしたいときほど厳しく言うべき」という謎解釈まで搭載されている。


 違う、そうじゃない。

 私はクッションの上で丸くなりながら、深いため息をついた。

 猫なので、実際には鼻からフスンと息が出ただけだったけど。


 このお嬢様、かなり難易度が高い。

 だが、放っておくわけにはいかない。

 何しろ、彼女は十年後に断罪される予定である。


 乙女ゲーム『星降る学院と運命の恋』において、シルビア・グランベルは極悪非道の悪役令嬢として語られる。

 その悪評の中でも、最初の方に必ず出てくる事件があった。


 侍女に紅茶を浴びせた事件。

 たしか、ゲームの資料ではこうだった。


 幼い頃から気性の荒かったシルビアは、気に入らない侍女に熱い紅茶を浴びせた。侍女は火傷を負い、屋敷を去った。

 それ以来、グランベル公爵家ではシルビアを恐れる者が急増する。

 彼女が「幼い頃から残酷だった」と示すための、重要なイベントである。


 そして私は、出会い頭に庭で見た。

 シルビアは確かに紅茶にうるさい。

 だが、それは侍女を苦しめたいからではなく、熱すぎる紅茶で火傷しないように、心配していただけだった。


 つまり。

 悪評イベントには、誤解が含まれている可能性が高い。

 そして、もし私の記憶が正しければ。

 その事件は、そろそろ起きる。

 私はクッションの上で、耳を立てた。

 ここからが、本当の任務開始である。


 数時間後。

 私はシルビアの部屋にいた。

 シルビアは窓辺のテーブルで本を読んでいる。

 七歳とは思えないほど分厚い本だ。

 公爵家の娘は大変である。

 私はその足元で丸くなっているふりをしながら、部屋の中を警戒していた。


 そして、扉の向こうから聞こえる足音。

 来た。

 侍女が紅茶を運んでくる。

 私は体を起こした。


 扉が静かに開く。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 入ってきたのは、あの日庭でシルビアに焼き菓子をもらっていた若い侍女だった。

 名前はたしか、エマ。別の侍女がそう呼んでいた。

 まだ新人に近いのか、動きに少し緊張がある。

 シルビアの前では特にそうだ。


 無理もない。

 シルビアは、ただ本から顔を上げただけだが、目元が鋭く、完全に「遅かったわね」と言っている顔である。

 実際には、たぶん何も考えていないだろうが。


 エマは緊張した様子で、ティーポットをテーブルへ運ぶ。

 私は床からその動きを見ていた。


 手が震えている。

 まずい、非常にまずい。

 ティーポットから立ち上る湯気。

 緊張した侍女。

 無表情のシルビア。

 白いクロス。

 熱い紅茶。


 イベントどうぞ、といわんばかりに状況が整いすぎている。

 私はゆっくりと立ち上がった。


 エマがカップを置きポットを傾ける。赤茶色の紅茶が細い線になって注がれる。

 そのとき、シルビアが口を開いた。


「エマ」

「は、はいっ」

「その紅茶、熱すぎませんこと?」

 出た。

 シルビアの紅茶チェックである。

 エマの肩がびくりと跳ねた。


「も、申し訳ございません。すぐに――」

「まだ謝る場面ではありませんわ。確認しているだけです」

 怖い。

 確認なのに、すでに尋問である。

 シルビアは眉を寄せた。


「先日も言いましたでしょう。熱すぎるものを不用意に扱えば、火傷をします。あなたは少し注意が足りませんわ」

 エマの顔色が悪くなる。

 シルビアよ、内容は正しい。

 だが言い方が完全に叱責になっている。

 エマは慌ててカップを持とうとした。


「申し訳ございません、お嬢様。すぐにお取り替えを――」

 まずい。

 焦っている。

 手が震えている。

 カップの縁に指が引っかかり、ソーサーが小さく鳴った。

 シルビアはそれを見て、はっとしたように身を乗り出した。


「危ないですわ!」

 シルビアの小さな手が、カップへ伸びる。

 エマも同時にカップを押さえようとする。

 このままでは、二人の手がぶつかる。


 カップが傾く。

 熱い紅茶がエマの手元か服にかかる。

 ゲームの悪評イベント。


 侍女に紅茶を浴びせた事件。


 これだ。

 私の背中の毛が逆立った。

 考えるより先に、体が動く。

 私は床を蹴った。


 猫の体は軽い。

 前世の私なら絶対に無理な距離を、一息で跳ぶ。

 椅子の脚を蹴り、テーブルクロスの端に爪をかけ、さらに跳ねる。


 視界の中で、カップが傾いていた。

 紅茶がこぼれ始める。

 エマの白い袖へ、熱い液体が落ちようとしていた。

 間に合え!


 私はカップそのものではなく、ソーサーの端に体をぶつけた。

 傾きかけたカップが、エマの方ではなく、テーブルの奥へ倒れる。

 軽い陶器の音と銀のスプーンが跳ねる音。

 エマの悲鳴。

 シルビアの息をのむ音。


 カップは横へ弾かれ、紅茶はエマではなく、テーブルの上と床へこぼれた。

 そして一部は、私にかかった。

 熱いっ!


「にゃっ!」

 私は情けない声を上げて、テーブルから床へ落ちた。

 着地はした。

 猫なので。

 そこはきちんと着地した。


 だが、背中の毛に熱い紅茶が染みている。

 痛いというほどではない。

 けれど熱い。とても熱い。そしてとても不快である。


 床に着地した私は、ぶるぶると体を震わせた。

 紅茶のしずくが飛ぶ。

 白い床に茶色い点が飛び立った。

 エマは呆然としていた。

 シルビアも呆然としていた。


 数秒の沈黙。

 その後、シルビアが声を上げる。


「ノワール!」

 彼女は椅子から立ち上がり、私のもとへ駆け寄った。

 ドレスの裾が床の紅茶を吸い込んでも、そんなことを気にする様子もなく、シルビアは私を抱き上げた。

「あなた、何をしているのですか!」

 怒っている。

 いや、違う。

 言い方は怒っているが、声も手も震えていて顔色が悪い。


 心配している。


 シルビアは私の背中を見て、さらに眉をつり上げた。

「こんなに濡れて……!」

 エマが我に返り、慌てて頭を下げる。

「も、申し訳ございません! 私が不注意で……!」

「違いますわ!」

 シルビアの声が鋭く響いた。

 エマがびくりとする。

 シルビアは私を抱いたまま、唇を噛んだ。


「あなたではなく、この子が勝手に飛び込んだのです!」

 言い方。

 それでは私が、ただの暴れ猫ではないか。

 いや、実際、外から見ればそうかもしれない。

 シルビアとエマの間に飛び込み、カップを弾き、紅茶を床にぶちまけた黒猫。


 完全にいたずら猫にしか見えないだろう。

 だが、目的は達成した。


 エマに紅茶はかかっていない。

 ゆえに火傷もしていない。

 ということは、シルビアが侍女に紅茶を浴びせた、という事実は発生していないことになる。


 イベント阻止成功。


 ただし、私は紅茶まみれである。

 成功とは何か、再考の余地がある。

 シルビアは私の背中を見て、目に涙をためていた。

 だが、すぐにきゅっと口元を引き結ぶ。


「エマ、濡らした布を。早くなさい」

「は、はい!」

「いえ、違いますわ。水は冷たすぎていけません。ぬるいものを。あと、清潔な布を何枚か。急いで」

「かしこまりました!」

 エマが部屋を飛び出す。

 シルビアは私を抱きしめたまま、小さく息を吐いた。


「まったく。わたくしの猫が、こんなにみすぼらしくなったら困りますわ」

 出た。

 みすぼらしい。

 本心は「大丈夫?」だろう。

 だが、口から出るのは「みすぼらしい」。


 私は濡れた毛のまま、シルビアを見上げた。

 シルビアの紫の瞳が、近くにある。

 今は目を細めていない。

 けれどその瞳は、ひどく不安そうで、涙の幕が張っていた。


「……熱かったでしょう」

 小さな声だった。

 私はピクピクと耳を動かした。

 今、ちゃんと言った。

 熱かったでしょう、と。

 責める言葉でも、命令でもなく、心配の一言。


 ほんの小さな一歩である。

 だが、確かに一歩だ。

 私はシルビアの腕の中で、短く鳴いた。

「にゃ」

 大丈夫。

 いや、少し熱いけど。


 エマが布を持って戻ってきた。

 シルビアは布を受け取ると、私の背中をそっと拭いた。

 手つきは不器用だが、とても丁寧だった。

 エマはその様子を見て、少し驚いていた。


 無理もない。

 シルビアは、ついさっきまで怖い顔で注意していた。

 だが今は、紅茶まみれになった黒猫を必死で拭いている。

 眉を寄せながらも、触れる手はとても優しい。


 エマの目が、少し変わった。

 怯えだけではない、戸惑いと、驚きと、ほんの少しの理解。


「お嬢様……」

「何ですの」

 言い方きつい。

 シルビアは顔を上げずに答えた。

 エマは少し迷ったあと、小さな声で言った。


「ノワール様が飛び込まなければ、私に紅茶がかかっていたかもしれません」

 シルビアの手が止まった。

「……そうですわね」

「お嬢様も、止めようとしてくださったのですよね」

 シルビアは一瞬、固まった。

 それから、ぷいっと顔をそむける。


「当然ですわ。あなたが火傷などしたら、仕事に差し障りますもの」

 またそれか。

 だが、今回はエマが少しだけ笑った。

 ほんの少し、けれど、確かに。


「ありがとうございます」

 シルビアの頬が、かすかに赤くなる。

「お礼など不要ですわ」

 いつもの言葉。

 だが、声はさっきより少し小さかった。

 私はシルビアの腕の中で、ぐったりしながらも満足した。


 エマに火傷はない。

 シルビアが紅茶を浴びせた事実もない。

 悪評イベントは阻止した。

 そして、エマはシルビアの本心に少しだけ気づいた。


 これは大きい。

 いや、かなり大きい。

 ただし、部屋も私も紅茶まみれ。

 シルビアのドレスの袖にも、少し紅茶がついている。


 損害はある。

 しかし必要経費である。

 そのとき、扉の外から別の侍女たちの声が聞こえた。


「どうしたの?」

「大きな音がしたけれど」

「お嬢様が、また何か……?」

 また?

 その一言に、私は耳を動かした。


 エマが慌てて扉の方を見た。

 シルビアの表情が固くなる。


 まずい。

 このままだと、別の誤解が生まれる。


 シルビアが侍女に紅茶を浴びせた事件は防いだ。

 だが、「シルビアの部屋で紅茶がこぼれた」「侍女が青ざめていた」「黒猫が濡れていた」という情報だけが伝われば、噂は別の形で広がる可能性がある。

 悪評とは、事実よりも速く走るのだから。

 私は猫である。

 説明はできない。

 どうする。


 エマが小さく息を吸った。

 そして、扉へ向かって声を上げた。

「大丈夫です。ノワール様が少し驚いて、カップに飛び込んでしまっただけです」

 おお!

 エマ!

 あなた、なかなかできる!


 扉の外が静かになる。

「ノワール様が?」

「ええ。お嬢様もすぐに布を用意するよう指示してくださいました。大事ありません」

 シルビアが驚いたようにエマを見た。

 エマは少し緊張しながらも、シルビアに向き直る。


「……そう、ですよね。お嬢様」

 シルビアはしばらく黙っていた。

 それから、小さくうなずく。

「ええ。大事ありませんわ」

 声はまだ少し固いが、怒ってはいなかった。


 扉の外の侍女たちは、ほっとしたように去っていく。

 私は心の中で大きく息を吐いた。

 私の名誉は少し失われた。

 だが、シルビアの悪評よりは安い。


 噂の拡散、一次防止成功。

 しかし油断はできない。

 この屋敷には、シルビアを誤解する土壌がすでにある。

 何か起きれば、すぐに「お嬢様がまた」と言われる。

 ゲームの悪評は、きっとこうやって作られていくのだ。


 ほんの小さな事故。

 きつい言い方。

 怯えた使用人。

 断片だけを聞いた者の想像。


 そしていつの間にか、「シルビア様は侍女に紅茶を浴びせた」となる。

 今回は防げたが、次も防げるとは限らない。

 シルビアは私の背中を拭き終えると、清潔な布で私をくるんだ。


「まったく。あなたは本当に、手のかかる猫ですわ」

 違う。

 手がかかるのはあなたです。


 そう言いたかったが、私は鳴くだけにした。

「にゃ」

 シルビアは私を抱き、少しだけ微笑んだ。

 その笑みは、エマにも見えたらしい。

 エマが目を丸くし、それから、どこかほっとしたように表情をゆるめた。


 小さい、本当に小さい変化だ。

 だが、確かに変わった。

 シルビアの悪評イベントを一つ潰した。

 そして、侍女一人の見方を少しだけ変えた。


 私は布にくるまれながら、真剣に考える。

 シルビアの善意を、周囲に正しく伝える必要がある。

 それができなければ、この子は本当に悪役令嬢にされてしまうだろう。


 私は黒猫ノワール。

 魔法は使えない。

 人間の言葉も話せない。

 だが、カップに体当たりすることはできる。

 ……できれば、次はもう少し熱くない方がいい。


 エマはやはりもう少し、紅茶の温度に気を配るべきだろう。


 そう思った瞬間、廊下の向こうで小さな足音が止まった。

 私は耳を立てた。

 誰かが、今の騒ぎを聞いていた。

 扉の隙間の向こう。

 一瞬だけ、灰色のスカートの裾が見えた。


 足音はすぐに遠ざかっていく。

 私はシルビアの腕の中で、目を細めた。

 最初の悪評イベントは防いだ。

 けれど、この屋敷にはまだ、シルビアを見ている誰かがいる。

 その視線が、味方のものとは限らない。


 断罪エンドまで、あと十年。

 どうやら、私の仕事は思っていた以上に多そうだ。

「エマは本当にいい子や。見ているとドジっ子で危なっかしくて、ハラハラするが。いい子や。個人的にも成長に期待しているのだ!by ノワール」


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


続きが何か気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。

黒猫一匹と作者が喜びます。

ありがとうございました!

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