第45話 断罪の空気が、立ち上がる
完結確定。
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大広間の空気が変わった。
つい先ほどまで流れていた音楽は止まり、人々の視線が展示台の周辺へ集まっている。
リーナの護符。
割れた魔法石。
青ざめる桃色令嬢。
心配そうに立つクラリス。
神殿関係者たち。
王太子アレクシス。
そして、シルビア。
役者が揃った。
ゲーム本編の断罪イベントが、頭の中でちらつく。
私はシルビアの腕の中で、息を詰めた。
物語の強制力というものがあるなら、今まさに働いているのかもしれない。
シルビアを悪役令嬢の位置へ戻そうとしている。
リーナを被害者に置き、アレクシスを裁く側に立たせようとしている。
周囲の視線を、疑いに変えようとしている。
だが、今回は違う。
アレクシスは、もう噂をそのまま信じない。
リーナは、シルビアを疑わない。
シルビアは、感情のままに動かない。
そして、私はここにいる。
抱っこ固定だが。
動けないが。
見ている。
アレクシスが展示台の前に立った。
「状況を確認する。誰かがこの護符に触れたところを見た者は?」
声はよく通った。
王太子としての声だった。
ざわめきが少し静まる。
桃色令嬢が震えながら言う。
「わ、わたくしは、触れておりません。ただ、近くを通っただけで」
「では、なぜここに?」
桃色令嬢は、今にも泣き出しそうな顔で答えた。
「クラリス様に、護符の刺繍がとても綺麗だから、近くで見てみてはと……」
クラリスの名前が出た。
大広間の視線が、彼女へ向く。
クラリスは驚いたように目を見開いた。
「ええ。確かにそう申しましたわ。ですが、触れるようにとは言っておりません」
柔らかい声。
完璧な返答。
桃色令嬢は慌てて首を振る。
「も、もちろんです。クラリス様は、ただ勧めてくださっただけで」
クラリスは心配そうに桃色令嬢を見る。
「大丈夫ですわ。落ち着いて」
優しい。
とても優しい。
だが、その優しさが場を支配しようとしている。
桃色令嬢はクラリスにすがるような目を向けた。
私は耳を伏せる。
利用されている。
桃色令嬢は、たぶん全体を知らない。
護符を壊すつもりもなかった。
ただ、クラリスに言われて近づいただけ。
そして、罠の中心に立たされた。
アレクシスは表情を変えずに続けた。
「展示台には触れていない?」
「はい」
「護符や魔法石にも?」
「触れておりません」
アレクシスは護衛を見る。
護衛は展示台の下を確認していた。
私は鼻をひくつかせる。
かすかな匂い。
魔法薬。
慈善会や馬車事故で感じたものと似ている。
私は小さく鳴いた。
「にゃ」
シルビアがすぐに私を見る。
「ノワール?」
私は展示台の脚を見た。
シルビアも視線を向ける。
アレクシスが気づいた。
「展示台の脚を」
護衛が屈み込む。
そして、小さな何かを見つけた。
透明な糸。
光にかざさなければ見落としてしまいそうな、極細の魔法糸だ。
展示台の脚から、近くのカーテンの飾りへ伸びている。
護衛が慎重にそれを持ち上げる。
「殿下、魔法糸です」
大広間がざわめいた。
魔法糸。
慈善会の事件を知る者たちの間に、緊張が走る。
アレクシスの目が鋭くなる。
「触らないように。学院の教師と魔法道具の専門家を」
教師が急ぎ、専門家が呼ばれる。
その間に、神官の一人が口を開いた。
「しかし、護符が壊れたことは事実です」
先ほどリーナに話しかけていた、年上の神官だった。
穏やかな顔。
しかし声には圧がある。
「聖女候補の品が、星祝祭の場で壊された。これは軽い問題ではありません」
来た。
私は目を細める。
神官は続ける。
「リーナ嬢、あなたは先ほど、グランベル令嬢と親しいとおっしゃいましたね」
リーナの顔が強張る。
「はい」
「では、その親しさが本当にあなたの意思によるものなのか、この場で確認しておくべきかもしれません」
大広間がざわめく。
シルビアの腕に力が入る。
神官は一見、リーナを守ろうとしているように見える。
だが、違う。
この場でリーナに確認することで、シルビアとの関係を疑いの場に引きずり出そうとしている。
リーナが少しでも迷えば、こう言える。
聖女候補は公爵令嬢の圧力を受けていたのではないか。
神官は穏やかに言った。
「グランベル令嬢は高位の貴族です。王太子殿下の婚約者でもある。あなたが断れなかったとしても、誰も責めません」
リーナの手が震える。
シルビアが一歩前に出ようとした。
だが、私は小さく鳴いた。
「にゃ」
待て。
シルビアは止まった。
その表情は苦しそうだった。
リーナが傷つけられているのに、すぐ助けに入れない。
だが、ここでシルビアが強く出れば、神官の思う壺だ。
リーナは深く息を吸った。
そして、神官を見た。
「私は、シルビア様を怖いと思ったことがあります」
大広間が静まる。
シルビアの顔がわずかに青ざめた。
私は彼女の腕の中で身を固くする。
リーナ。
何を言う。
だが、リーナは続けた。
「最初は、言い方も表情も怖くて、どうしていいか分かりませんでした」
周囲がざわめく。
神官の目が、わずかに満足げになる。
クラリスは心配そうな顔をしている。
シルビアは、唇を引き結んでいる。
逃げない。
目をそらさない。
リーナの言葉を聞いている。
リーナは続けた。
「でも、シルビア様は私を傷つけませんでした」
空気が少し変わる。
「ドレスの裾が危ないとき、教えてくださいました。火傷をしたとき、治してくださいました。課題が分からないとき、教えてくださいました。護符に細工があったとき、気づいてくださいました。馬車事故のあとも、私を責めませんでした」
リーナの声は震えている。
でも、はっきりしていた。
「怖いと思ったことはあります。でも、それはシルビア様が私を傷つけたからではありません。私が、シルビア様を知らなかったからです」
大広間が静まり返った。
リーナは神官をまっすぐ見た。
「私は、自分の意思でシルビア様のそばにいます」
強い。
とても強い。
私は胸が熱くなった。
リーナ、すごい。
完全に自分の言葉で立った。
神官の表情がわずかに硬くなる。
アレクシスが静かに言った。
「リーナ嬢の意思は、確認できたようですね」
王太子の声。
神官は口を閉じる。
だが、そこでクラリスがそっと前へ出た。
「リーナ様がそうおっしゃるなら、きっとそうなのでしょう」
優しい声。
だが、終わらせる気はない。
「ただ、護符が壊されたことは事実ですわ。しかも、これまで何度もリーナ様の周囲で不審なことがありました」
大広間の視線が彼女へ集まる。
クラリスは悲しげに目を伏せる。
「わたくし、ずっと心配しておりました。リーナ様が、知らぬうちに誰かの事情に巻き込まれているのではないかと」
誰か。
曖昧な言葉。
だが、周囲は誰を思い浮かべるか。
シルビアだ。
クラリスは直接言わない。
だからこそ厄介だ。
シルビアが少しだけ息を吸った。
私は彼女を見る。
今か。
言うのか。
シルビアは一歩前へ出た。
大広間の視線が、彼女へ集まる。
悪役令嬢。
そう呼ばれるはずだった少女。
ゲーム本編なら、ここで感情的に反論して、さらに悪く見られたかもしれない。
だが、今のシルビアは違った。
彼女は私を抱いたまま、静かに立った。
そして言った。
「わたくしも、確認したいことがあります」
声は震えていない。
強い。
けれど、威圧するための強さではない。
「その護符が落ちた理由。割れた魔法石。展示台に仕掛けられた魔法糸。そして、慈善会と馬車事故に使われたものとのつながり」
大広間がざわめく。
クラリスの微笑みが、ほんの少し固まった。
シルビアは続ける。
「これまで、わたくしは多くの場面で誤解されてきました。言葉が強く、表情も硬く、怖いと思われることもあったでしょう」
自分で言った。
シルビアが、自分の弱さを。
シルビアはリーナを見る。
「リーナ嬢が最初にわたくしを怖いと思ったことも、当然だと思います」
リーナの目に涙が浮かぶ。
シルビアは続けた。
「ですが、わたくしはリーナ嬢を傷つけようとしたことはありません」
大広間が静まる。
「そのことを、証明するためのものがあります」
その瞬間、アレクシスが動いた。
彼は護衛に合図する。
大広間の扉が開いた。
大広間の奥の扉が開いた。
そこから進み出たのは、グランベル公爵。
公爵夫人。
レオンハルト。
そして、数人の騎士と、学院の教師だった。
空気が一気に変わった。
クラリスの顔から、初めて微笑みが消えかけた。
私はシルビアの腕の中で、静かに目を細めた。
断罪の空気が立ち上がった。
断罪されるのは、もうシルビアではない。
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