第3話 黒猫、悪役顔の正体を知る
完結確定。
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シルビア・グランベルに拾われて、三日が経った。
私は正式に、グランベル公爵家で飼われる猫になったらしい。
らしい、というのは、細かい経緯を私がよく分かっていないからである。
初日にシルビアは、私を抱えて屋敷の中へ入り、堂々と言い放った。
「この子は今日から、わたくしの猫ですわ」
決定事項だった。
その後、公爵夫妻に報告がされ、あっという間に、私はシルビアの猫になった。
そう、公爵夫妻はシルビアに甘かった。
父であるグランベル公爵は、シルビアが私を抱いている姿を見るなり、口元をゆるめた。
「シルビアがそこまで気に入ったのなら、よいだろう」
母である公爵夫人は、上品に微笑んだ。
「まあ、本当に美しい黒猫ね。シルビアによく似合っているわ」
似合っている。
飼育許可の基準が、似合っている。
公爵家の危機管理は大丈夫なのだろうか。
そう思ったが、私としては都合がいい。
断罪エンドを回避するためには、シルビアのそばにいる必要がある。
こうして私は、ノワールという名前と、シルビアの部屋の隅に置かれた専用クッションを手に入れた。
クッションは高級品だった。
ふかふか、ふわふわである。
前世の社畜時代、こんな寝具で眠ったことはない。
人間時代より高待遇で、正直かなり気に入った。
私は黒猫ノワール。
元二十六歳Webプログラマー。
現、悪役令嬢断罪エンド回避担当。
さて、クッションで丸くなっているだけでは、任務は進まない。
名残惜しいが、まずは観察である。
シルビア・グランベルが、なぜ悪役令嬢に見えるのか。
その原因を突き止めるのがファーストミッションである。
そして三日間の観察で、すでに分かったことがある。
シルビアは、悪い子ではない。
むしろ、かなり優しい。
庭師が重そうな鉢を運んでいれば、気にしている。
侍女が咳をすれば、チラチラ見る。
小間使いの少女が失敗して泣きそうになれば、そばへ行く。
だが、問題はそこからだった。
「そんな鉢ひとつでふらつくなんて、鍛え方が足りませんわ」
本心は、おそらく「大丈夫?」。
「その咳、耳障りですわ。早く休みなさい」
本心は、おそらく「無理しないで」。
「泣けば済むと思っているのなら、大間違いですわ。次から気をつければよいだけでしょう」
本心は、おそらく「泣かなくていいよ」。
惜しい。
非常に惜しい。
いや、惜しいで済ませてよいのか。
善意の方向性は合っているのに、口から出た瞬間に全てトゲになる。
なぜだ。
言語の変換機能が壊れている。
入力フォームに「優しさ」と入力したら、出力画面に「威圧」と表示されるようなものだ。
完全なバグである。
しかも納品済みの、本番環境で動いている。
かなり深刻な状態だ。
だが、シルビアが悪役令嬢に見える原因は、それだけではなかった。
問題は、顔である。
顔が悪い、という意味ではない。
むしろ逆、顔が非常に良すぎるのだ。
顔立ちは、恐ろしく整っていて、七歳にしてすでに超絶美少女。
しかも父親似の鋭い目つき。
その美貌に、鋭い目つきと固い表情が加わるとどうなるか。
圧が出る。
それがとんでもない圧である。
シルビアが黙って立っているだけで、周囲の使用人が背筋を伸ばす。
シルビアがじっと相手を見るだけで、相手は「何か失礼をしただろうか」と怯える。
シルビアが少し眉を寄せるだけで、その場の空気が凍る。
本人は何もしていない。
ただ、顔が強いだけ。
美形の圧というものを、私はこの屋敷で初めて思い知った。
七歳でこれなら、成長後はどうなるのか。
ゲームのシルビアが「存在するだけで悪役令嬢」と言われていた理由が、分かってしまった。
何もしないで、コレである。
そんなある日の午後。
私はシルビアに抱かれ、屋敷の庭へ出ていた。
シルビアは、私を抱くのがだいぶ上手くなった。
最初はぎこちなかったが、今ではきちんと支えてくれるので、腕の中は安定しているし、体温もあたたかい。
悪くない。
いや、任務中である。
決して心地よさに気を取られていたわけではない。
シルビアは庭の小道を歩きながら、花壇のそばにいる庭師の少年へ顔を向けた。
少年は、赤い花を植え替えているところだった。
「あなた」
シルビアが声をかける。
庭師の少年は、びくりと肩を跳ねさせた。
「は、はい、お嬢様!」
声が裏返っている。
無理もない。
今のシルビアは、少年の方を向いている。
そして、目を細めている。
眉間に少ししわが寄り、紫色の瞳がすっと鋭くなる。
小さな口元はきゅっと結ばれ、表情はほとんど動かない。
これは完全に睨んでいる。
いや、本人はたぶん普通に見ているだけなのだろうが、外から見ると完全にガンを飛ばしているように見えるのだ。
庭師の少年の顔色がみるみる悪くなった。
まずい。
悪役令嬢ポイントが加算されている。
私はシルビアの腕の中から、少年を見た。
彼は明らかに怯えていて、手に持った小さなスコップまで震えている。
シルビアはそんな少年をじっと見つめたまま、言った。
「その花」
「は、はいっ!」
「少し、曲がっていますわ」
庭師の少年は、まるで処刑宣告を受けたかのような顔をした。
「も、申し訳ございません!」
違う。
シルビアはただ、花が斜めに植えられているのが気になっただけだ。
しかし言い方と顔の圧が強すぎるせいで、完全に叱責になっている。
少年は慌てて花を直そうとするが、手が震えているせいで、逆に土が崩れそうになった。
シルビアの眉間のしわが深くなる。
まずい。
さらに強面になっている。
「違いますわ。そうではなくて――」
シルビアが一歩近づこうとした瞬間、少年はさらに身を縮めた。
ああ。
これはよくない。
このままだと、「庭師の少年を泣かせた」事件になる。
悪役令嬢ポイント、加算待ったなしだ。
私は短く鳴いた。
「にゃあ」
シルビアが私を見る。
「どうしましたの、ノワール」
今だ!
私はじっとシルビアの目を見た。
そして、前足を伸ばして。
彼女の眉間にそっと肉球を当てた。
フニフニ。
しわを伸ばす。
物理的に。
「……何をしていますの?」
シルビアは不思議そうに瞬きをした。
私はもう一度、肉球で眉間を押した。
フニフニ。
ここだ、ここに問題がある。
表情筋の運用が悪い。
眉間にしわを寄せるな。
目を細めるな。
圧が出る。
だが、当然ながら私の意図は伝わらない。
シルビアは首をかしげた。
それから、少し得意げに微笑む。
「ああ、分かりましたわ。あなた、わたくしの顔に興味があるのね」
違う。
いや、全く違うわけでもないが、そうではない。
シルビアは私を抱き直すと、庭師の少年から少し離れた場所へ移動し、ベンチに腰を下ろした。
「ノワール。あなたには特別に教えてあげますわ」
何をだ。
私は嫌な予感を覚えた。
「わたくし、少し離れると、お顔がぼーっとしてしまいますの」
……ん?
「でもね、こうやって目を細めると、少しお顔が分かるのよ」
シルビアはそう言って、きゅっと目を細めた。
庭師の少年が、少し離れた場所でびくりと震える。
「すごいでしょう?」
…………。
近視かっ!
いや、この歳なら遠視かっ!
私は心の中で叫んだ。
メガネは!?
いや、待て。
メガネがある世界なのかどうか、分からない。
でも公爵家だよ、医師はいるだろう。家庭教師もいるだろう。執事も侍女も両親も兄もいるだろう!
……誰か気づけ。
この子は人を睨んでいるのではない。ただ見えないから目を細めているだけだった。
悪役令嬢顔の正体、まさかの視力問題。
私は頭を抱えたくなった。
猫なので、前足で顔を洗うような動きになったけど。
シルビアはそれを見て、満足げにうなずく。
「ふふん。驚きましたのね」
驚いた。
これにはかなり驚いた。
なんせ悪役令嬢ポイントの大部分が、視力のせいで加算されている可能性が出てきた。
これは重大問題である。
シルビアは庭師の少年をもう一度見た。
また目を細める。
少年が硬直する。
やめて!
その顔はやめてあげて!
本人は「少しお顔が分かるのよ。すごいでしょう」と思っている。
だが相手には「お前を見ているぞ。失敗は許さない」と伝わっている。
通信障害である。
それも深刻な。
私はシルビアの腕からするりと抜け出し、地面に降りた。
そして庭師の少年のそばへ歩いていく。
少年は驚いて私を見た。
「あ……ノワール様」
……様。
猫に様……。
いや、今はそこではない。
私は、少し曲がって植えられていた赤い花のそばに座った。
前足で、土の端を軽く押す。
ここ、ここを直すのだ。
少年はおそるおそる私の動きを見た。それから、小さく息をのんだ。
「ここ、ですか?」
「にゃ」
少年は震える手で、花の向きを少し直した。
今度は真っすぐになった。
私はシルビアを振り返る。
シルビアは目を細めていた。
だから怖いって。
だが、しばらくして、彼女は小さくうなずいた。
「ええ。よくなりましたわ」
庭師の少年は、今度は叱られなかったことに驚いたようだ。
「ありがとう、ございます」
シルビアは少しだけ表情をゆるめた。
ほんの少し口元がわずかにほどけ、目元の力が抜ける。
さっきまでの圧が、ふっと消えた。
「次からは、最初からそうなさい」
言い方。
相変わらず言い方はきつい。
けれど、今の一瞬の表情は柔らかかった。
庭師の少年も、その変化に気づいたのか、少しだけ顔を上げた。
「はい、お嬢様」
声の震えが、さっきより少しだけ小さくなっている。
私はほっと息を吐いた。
とりあえず、庭師泣かせ事件は回避だ。
しかし課題は大きい。
シルビアは視力が悪い。
それを自覚しているようでいて、問題だとは思っていない。
むしろ「目を細めれば見える」という独自解決で満足している。
ピンホール効果である。
その結果、睨み顔が常態化していることがわかった。
さらに、顔が良すぎるのもある意味困りものだと思う。
超絶美形で、父親似の目つきが鋭く、表情が固い。
これが合わさると、子どもなのに圧が強すぎる。
もはや存在だけで威圧。
美形は武器である。
扱いを間違えれば凶器になる。
シルビアは完全に、無自覚で凶器を振り回している状態だった。
「ノワール」
シルビアが私を呼んだ。
私は彼女のもとへ戻る。
すると、シルビアは私を抱き上げ、先ほどより少しだけ小さな声で言った。
「あなた、賢いのね」
「にゃ」
賢いです。
元人間ですので。
シルビアは私の背をそっと撫でる。
「わたくしが分かりにくいこと、あなたには分かるのかしら」
私はシルビアを見上げた。
その声は、ほんの少しだけ不安そうで、七歳の少女の声だった。
公爵家の長女でも、悪役令嬢でも、小さな女王様でもない、ただ、相手にうまく伝わらないことを、どこかで感じている子どもの声だった。
私は何も言えない。
だから、代わりに彼女の手に額をすり寄せた。
「にゃ」
分かる。
少なくとも、私には分かるよ。
あなたは人を睨みたいわけではない。
怖がらせたいわけでもない。
ただ、相手の顔を見たいだけ。
それなのに、周囲は勝手に怯える。
勝手に誤解する。
勝手に悪役令嬢の形へ押し込んでいく。
悲しくなっちゃうよね。
なら、私が見ていよう。
この子が本当は何を見て、何を伝えようとしているのか。
シルビアは少し黙ったあと、ふっと笑った。
本当に、ほんの一瞬だった。
固い表情がほどけて、紫色の瞳が柔らかくなる。
目元の鋭さが消え、子どもらしい無防備な笑みが浮かぶ。
私は息をのんだ。
何だ、今の。
破壊力がすごい。
いや、待て。
今の笑顔を外に出すのは危険だ。
変な虫が寄りつく可能性が高い。
王太子あたりがうっかり見たら、将来的に何か面倒な方向へ動くかもしれない。
シルビア。
その笑顔、今しばらくステイだ。
私は抱かれた体勢から少し伸び上がり、シルビアの頬に頭をこすりつけた。
「にゃ」
「まあ。どうしましたの?」
シルビアはきょとんとした顔をした。
その顔も、やはり可愛い。
まずい。
この子は、自分の顔面戦闘力をまったく理解していない。
顔は超絶美形。
視力は怪しい。
表情は固い。
言葉選びは壊滅的。
笑うと破壊力がハンパない。
……問題が多い。
だが、原因が分かれば対策はできる。
私はシルビアの腕の中で、真剣に考えた。
まずは視力問題だ。
メガネが存在するのか調べる必要がある。なければ、作らせる。
最悪、レンズ技術の発展から始めるしかない。
断罪エンド回避計画。
まさかの視力改善からの着手である。
私は空を見上げた。
道のりは長い。
けれど、やるしかない。
このままではシルビアは、何もしていないのに睨んだことにされ、心配しただけなのに脅したことにされる。
笑えば笑ったで変な虫が寄ってくる。
悪役令嬢への道は、本人の性格だけではなく、顔面と視力と表情筋にも連結されているらしい。
私は小さく息を吐いた。
まずい。
このお嬢様、思っていた以上に手がかかる。
「まさかの視力問題。猫には中々にハードルが高い案件です。少々、出だしから途方に暮れ気味のノワールですが、応援お願いします!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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黒猫一匹と作者が喜びます。
ありがとうございました!




