第28話 悪役令嬢、慈善会で子どもを守る
完結確定。
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慈善会当日。
星降る学院の大広間は、朝から華やかだった。
長いテーブルには、生徒たちが準備した品が並んでいる。
刺繍入りのハンカチ。
小さな香り袋。
焼き菓子。
簡単な魔法灯。
子ども用の教材。
そして、リーナが作った護符。
どれも、慈善会で寄付金を集めるための品だ。
集まった金品は、神殿や孤児院、災害で困っている領地などへ送られるらしい。
貴族としての奉仕精神を学ぶ行事。
目的そのものは、とても立派である。
ただ、私は警戒していた。
なぜなら、この慈善会はゲーム本編で事件が起きる場だからだ。
リーナの品が壊れる。
シルビアが疑われる。
王太子がリーナを庇う。
悪役令嬢ルートが進む。
そんな危険な匂いがぷんぷんする行事である。
しかも今回は、すでに護符に細工がされていた。
それに加えて、クラリスとマリナの不穏な会話。
明らかに誰かが動いている。
慈善会本番で何も起こらないと思う方が無理だ。
私は、リーナの護符が並べられたテーブルの下にいた。
見張りである。
黒猫警備隊、隊員一名。
報酬は魚希望。
リーナは護符を丁寧に並べている。
白い小さな袋に、銀糸で星の模様が刺繍されている。
中には、魔力を落ち着かせる簡単な陣と、小さな祈りの言葉を書いた紙が入っているらしい。
派手ではない。
だが、手に取ると温かい気持ちになるような品だった。
リーナらしい。
その隣で、シルビアが配置を確認している。
「この列は少し曲がっていますわ」
声が硬い。
リーナが慌てて直そうとする。
「すみません」
「謝る必要はありません。見やすくするためです」
お。
修正が早い。
私はテーブル下で満足しつつ、しっぽを揺らした。
シルビアは護符を指さすが、直接触れない。
これも大きな進歩だ。
以前なら、危ないと思えばすぐ手を出していた。
今は違う。
触る前に確認する。
ノワール教育の成果である。
アレクシスもやって来た。
「準備は順調?」
リーナが笑顔で答える。
「はい。シルビア様が見てくださっているので」
シルビアは少しだけ顔を赤くした。
「わたくしは配置を確認しているだけですわ」
アレクシスが微笑む。
「それでも、心強いと思うよ」
「殿下まで……」
シルビアは視線をそらした。
しかし、以前のように「当然ですわ」とは言わなかった。
いい。
かなりいい。
私は先程より多めにしっぽを揺らした。
そのとき、柔らかい声がした。
「まあ、とても可愛らしい護符ですわね」
クラリスだった。
今日の彼女は淡い薄桃色のドレスを着ていた。
控えめで、上品で、慈善会にふさわしい装い。
いつものように完璧な微笑み。
私はテーブルの下からじっと見上げた。
警戒対象、接近。
クラリスはリーナの護符を見て、感心したように目を細める。
「ひとつひとつ、手作りですの?」
「はい。神殿の子どもたちにも持ちやすいように、小さめに作りました」
「リーナ様らしい、優しいお品ですわ」
褒めている。
しかし、私は油断しない。
クラリスは次にシルビアを見る。
「シルビア様も、お手伝いを?」
「配置を見ていただけです」
「まあ。シルビア様に見ていただけるなんて、リーナ様も心強いですわね」
柔らかい。
だが、また少し引っかかる。
シルビアがリーナの品を管理しているように聞こえなくもない。
リーナは、はっきりと言った。
「はい。シルビア様が見てくださると、安心します」
クラリスの笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
リーナの言葉は強い。
クラリスが印象を曲げる前に、本人がまっすぐ言う。
だから曲がり切らない。
これはかなり有効だ。
アレクシスも自然に続けた。
「昨日の件もあったからね。今日は皆で確認している」
昨日の件。
護符の細工と魔法道具の暴走。
教師たちも、今日は巡回を増やしている。
つまり、クラリス側からすれば動きにくい。
クラリスは穏やかにうなずく。
「そうでしたわね。犯人が早く見つかるとよいのですけれど」
犯人。
その言葉を、まるで他人事のように言う。
私は低くうなりそうになった。
そのとき、シルビアが静かに言った。
「ええ。必ず見つけるべきですわ」
クラリスがシルビアを見る。
シルビアの表情は固い。
けれど、いつもの怖さだけではない。
怒りがある。
誰かの善意を壊そうとした者への怒り。
「慈善会は、困っている方々のためのものです。それを利用して誰かを陥れようとするなど、許されることではありません」
大広間の空気が少し変わった。
近くにいた生徒たちが、シルビアを見た。
クラリスも一拍遅れて微笑む。
「本当に、その通りですわ」
声は穏やか。
だが、目の奥が冷えている。
シルビアは引かなかった。
「ですから今日は、わたくしもよく見ております」
宣言。
かなり堂々とした宣言だった。
昔のシルビアなら、ただ怖く聞こえたかもしれない。
だが、今は違う。
リーナの護符を守るため。
慈善会を壊させないため。
そういう意味だと、周囲にも少し伝わっている。
リーナが小さくうなずいた。
「ありがとうございます、シルビア様」
シルビアは少しだけ顔を赤くする。
「どういたしまして」
よし。
私はテーブル下で満足した。
慈善会が始まると、大広間には学院関係者や来賓が入ってきた。
生徒たちが自分の品を紹介し、寄付を募る。
リーナの護符は人気だった。
派手な品ではないが、神殿の子どもたちのために作ったという話に、多くの人が足を止めた。
「これは、持っていると心が落ち着く護符です」
リーナは緊張しながらも、一生懸命説明している。
「大きな魔法ではありません。でも、不安なときや眠る前に握ると、魔力の揺れを少し整えてくれます」
来賓の夫人が微笑んだ。
「優しい品ですね」
リーナは嬉しそうに頭を下げる。
その横で、シルビアは少し離れて立っていた。
出すぎない位置。
しかし、何かあればすぐ動ける位置。
私は彼女の足元にいる。
アレクシスはさらに少し後ろで、周囲を見ている。
王太子が見張り役をしている。
かなり贅沢な警備体制である。
しばらくは何も起きなかった。
護符は順調に手に取られ、寄付も集まっていく。
リーナの顔にも、少しずつ笑顔が増えていった。
このまま終わればいい。
そう思った。
だが、やはりそうはいかなかった。
午後に入った頃。
大広間の入口近くが、少しざわめいた。
見ると、小さな男の子が立っている。
神殿から招かれた子どもの一人だろう。
年は六、七歳くらい。
緊張した様子で、大広間の中を見回している。
付き添いの神官が別の来賓に声をかけられ、ほんの少し目を離した隙に、男の子は一人で歩き出してしまったようだ。
彼はリーナの護符を見つけると、ぱっと目を輝かせた。
そして、こちらへ小走りに近づいてくる。
リーナも気づき、笑顔になる。
「こんにちは」
男の子は少し恥ずかしそうに頷いた。
「これ、神殿の子にくれるの?」
「ええ。気に入ったものがあれば、手に取ってみて」
男の子は白い護符に手を伸ばした。
その瞬間。
私は違和感を覚えた。
護符ではない。
男の子の袖。
そこに、細い魔法糸が引っかかっている。
透明に近い糸。
私が礼拝堂裏で見たものと似ている。
まずい。
あの糸が護符の列に絡めば、男の子が手を引いた瞬間に護符が落ちる。
もしくは、何かが作動する。
男の子が壊したように見えるかもしれない。
あるいは、リーナが慌てる。
シルビアが動く。
そして、事件になる。
私は机の下から飛び出した。
「にゃあ!」
リーナが驚く。
「ノワールさん?」
私は男の子の袖へ飛びついた。
男の子を傷つけるわけにはいかない。
私は魔法糸だけを爪で引っかけた。
糸がぴんと張った。
その先は、テーブルの脚の下。
見えにくい位置に、小さな魔法石が固定されていた。
やはり罠。
男の子が護符を取ろうとした瞬間、糸が引かれ、魔法石が作動する仕組みだ。
何が起きるかは分からない。
だが、良いことではない。
私は爪を立て、糸を切ろうとした。
しかし、魔法糸は意外と硬い。
爪だけでは切れない。
男の子が驚いて身を引こうとする。
糸がさらに張る。
まずい。
「動かないでください!」
声を上げたのはリーナだった。
男の子がびくりと止まる。
リーナはすぐに男の子の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫。怖くないから、そのままじっとしていて」
いい。
リーナ、落ち着いている。
シルビアも動いた。
ただし、今度は直接触ろうとしない。
彼女は魔法糸と魔法石を見て、即座に判断した。
「殿下、教師を。リーナ嬢はその子を動かさないで」
「分かった」
アレクシスがすぐに走る。
シルビアは近くの展示布を手に取り、魔法石の周囲を覆うように置いた。
「ノワール、その糸を離してはいけません」
「にゃ」
了解。
私は必死に糸を押さえる。
猫の仕事としては、かなり危険である。
男の子は涙目だ。
リーナが優しく声をかける。
「大丈夫です。ノワールさんも、シルビア様も助けてくれていますから」
男の子は小さく頷いた。
シルビアは魔法石を見つめる。
「これは、引かれると小さな閃光を出す魔法石ですわ」
「閃光?」
「驚かせるためのものです。けれど、この距離で子どもの目に入れば危険です」
シルビアの声は冷たかった。
怒っている。
男の子を巻き込んだことに。
周囲の人々もざわめき始めた。
教師がアレクシスとともに駆けつける。
シルビアは状況を短く説明した。
教師が魔法石を確認し、慎重に解除する。
糸の張りが緩んだ。
私はようやく前足を離す。
疲れた。
かなり疲れた。
しかし、事件は防いだ。
男の子に怪我はない。
護符も無事。
閃光も出なかった。
リーナはほっと息を吐き、男の子の手をそっと握った。
「怖かったですね。でも、もう大丈夫です」
男の子は涙目でうなずく。
そして、小さな声で言った。
「黒猫、助けてくれた」
私は胸を張った。
「にゃあ」
そうです。
黒猫が助けました。
シルビアが私を抱き上げる。
「ノワール、怪我は?」
「にゃ」
たぶんない。
前足は少し疲れた。
シルビアは私の前足を見て、眉を寄せる。
「少し赤くなっていますわ」
え。
そうなのか。
猫の前足は黒いのでよく分からない。
シルビアはすぐに治癒魔法を灯した。
「まったく、無茶をして」
声はきつい。
だが手は優しい。
リーナが微笑む。
「シルビア様、ノワールさんのこと、本当に大切なんですね」
シルビアは少し顔を赤くした。
「当然ですわ。ノワールは……」
私は見上げる。
シルビアは言い直す。
「……わたくしの大切な家族ですから」
周囲にいた生徒たちが、少し驚いた顔をした。
公爵令嬢が、猫を家族と言った。
それも、人前で。
リーナは嬉しそうに笑った。
アレクシスも柔らかい顔をしている。
その一方で、私は見た。
大広間の奥。
クラリスが立っていた。
表情は、いつもの微笑み。
だが、扇を持つ手がわずかに震えている。
今回も失敗した。
しかも、失敗しただけではない。
シルビア、リーナ、アレクシス、そして私が協力して、子どもを守った。
多くの来賓と生徒の前で。
これは悪評にしづらい。
むしろ、シルビアの評価が上がる。
シルビアは、男の子へ視線を向けた。
「もう一人で走ってはいけませんわ。危ないものに巻き込まれる可能性があります」
言い方。
やや強い。
男の子が少しびくりとする。
私は鳴こうとした。
だが、その前にシルビアは少しだけ声を柔らかくした。
「……怖かったでしょう。怪我がなくて、よかったです」
男の子は目を丸くした。
それから、小さく頷く。
「ありがとう、きれいなおねえさん」
シルビアが固まった。
きれいなお姉さん。
その通り。
直球である。
周囲が少し笑った。
悪意のない、温かい笑い。
シルビアは顔を真っ赤にした。
「ど、どういたしまして」
完璧。
非常に完璧な受け答え。
私はシルビアの腕の中で満足した。
慈善会は一時中断されたが、大きな混乱にはならなかった。
教師たちは魔法石と糸を回収し、調査を約束した。
来賓たちは、むしろシルビアたちの対応を評価していた。
「グランベル公爵令嬢は冷静でしたね」
「聖女候補のリーナ嬢も、子どもへの声かけが見事でした」
「王太子殿下もすぐに教師を呼ばれて」
「黒猫も大活躍でしたわ」
黒猫も。
当然である。
私は功労者である。
その後、男の子はリーナの護符をひとつ受け取った。
リーナはそれを丁寧に渡した。
「怖いことがあったあと、少し落ち着きたいときに持っていてください」
男の子はうなずく。
「うん」
シルビアは、その様子を静かに見ていた。
彼女の表情は、いつもより少し柔らかい。
リーナの護符は、壊されなかった。
神殿の子どもへ、ちゃんと渡った。
ゲーム本編のイベントは、また一つ形を変えた。
悪役令嬢の悪行ではなく。
誰かを守る場面として。
私はシルビアの腕の中で、静かに目を細めた。
勝った。
少なくとも、今日は。
慈善会はまだ続く。
敵もまだいる。
けれど、この場にいた多くの人が見た。
シルビアはリーナを傷つけなかった。
リーナの護符を壊さなかった。
むしろ守った。
子どもも助けた。
噂より強いのは、目撃した事実だ。
私はそう信じたい。
クラリスは、大広間の奥から静かに姿を消した。
その背中は、いつもより少しだけ早足だった。




