第23話 悪役令嬢、友達を作る
完結確定。
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シルビア・グランベルには、友達がいない。
いきなり重い事実である。
そして、かなり根深く重要な問題だった。
幼い頃から、シルビアの周囲には人がいた。
家族。
使用人。
家庭教師。
親戚。
婚約者であるアレクシス王太子。
皆とても大切な相手ではあるけれど、対等に笑い合う相手とは少し違う。
立場が先に来る関係だった。
シルビアは公爵家の娘で、王太子の婚約者。周囲から見られる存在だ。
同年代の令嬢たちは、彼女に近づきたがるが、それは友達になりたいからとは限らない。
公爵家とつながりたい。
王太子の婚約者に気に入られたい。
逆に、失礼をして目をつけられたくない。
そんな思惑が混ざる。
さらに、シルビアの目つきは鋭い。
表情は固い。
言葉は強い。
結果、同年代の子どもたちは、彼女を遠巻きにした。
シルビア自身も、それに慣れてしまっていた。
人が近づかないなら、それでいい。
公爵家の娘として、孤独に見えても堂々としていればいい。
そんなふうに自分へ言い聞かせてきたのだと思う。
だが、私は知っている。
シルビアは、本当は人を遠ざけたいわけではない。
七歳の頃、侍女を泣かせてしまったあと、彼女は小さく言った。
泣かせるつもりでは、なかったのに。
あの言葉を、私はしっかり覚えている。
この子は、つながり方を知らなかっただけだ。
そして今。
そのシルビアが、友達を作ろうとしている。
本人は、そのつもりがあるかどうか怪しいが。
だが、私は見逃さない。
リーナとの距離が、確実に縮まっている。
きっかけは、図書室での勉強会だった。
リーナは魔法理論に苦戦していた。
シルビアは放っておけなかった。
そこにアレクシスも加わった。
それから、何となく三人で課題を確認する時間が増えた。
最初は、あくまで課題のためだった。
「リーナ嬢、また同じところで止まっていますわ」
「すみません」
「謝る前に、式を見なさい」
「はい」
「殿下も、そこで目をそらさないでくださいませ」
「僕も?」
「当然です」
「にゃ」
「……見直してくださいませ」
このように、シルビアによる厳しめの学習指導が行われた。
私は監督として机の下に待機だ。
アレクシスは、時々苦笑しながらも真面目に聞いた。
リーナは、分からないことを素直に聞いた。
シルビアは、口調こそ強いが、説明は丁寧だった。
そして、リーナはいつも最後に言う。
「ありがとうございます、シルビア様」
シルビアは毎回、少しだけ赤くなる。
「どういたしまして」
これが、だんだん自然になっていった。
そしてある日の放課後。
リーナが、少し迷ったようにシルビアへ声をかけた。
「あの、シルビア様」
「何かしら」
「今日の放課後、少しお時間はありますか?」
私は耳を立てた。
お、リーナから誘い。
これは大きい。
シルビアは表情を変えなかった。
いや、変わらないようにした。
しかし私は見た。
指先が、ほんの少し動き、動揺しているのを。
「課題なら、昨日のうちに確認したはずですわ」
「あ、課題ではなくて」
リーナは少し頬を赤くした。
「中庭の花が綺麗に咲いていたので……もしよければ、一緒に見ませんか?」
友達の誘い。
完全に友達の誘いである。
私の心の中に鐘が鳴り響いた。
シルビア。
ここだ。
ここで変なことを言うな。
普通に「ええ」と言えばいい。
あるいは「嬉しいです」でもいい。
いや、ハードルが高いか。
とにかく断るな。
シルビアはしばらく黙った。
リーナが少し不安そうになる。
シルビアは口を開いた。
「わたくしと花を見ることに、何の意味がありますの?」
私は崩れ落ちそうになった。
なぜだ。
なぜそうなる。
意味などいらない。
花を見るだけだ。
友達とは、意味のない時間を一緒に過ごす存在である。
たとえ生産性がなくても、心の休息には必要なのだ。
でもシルビアにはそれが分からない。
リーナも一瞬、困ったように固まった。
私は急いでシルビアの足を叩く。
「にゃっ」
言い方。
というか、考え方。
シルビアは私を見る。
リーナを見る。
そして、少しだけ顔を赤くした。
「……いえ。違いますわね」
お。
自力修正。
「花を見ること自体に、特別な意味が必要なわけではありませんものね」
いい。
かなりいい。
シルビアは視線をそらす。
「時間はあります」
リーナの顔が明るくなった。
「では」
「ええ」
シルビアは小さくうなずいた。
「ご一緒します」
言えた。
私は心の中で大拍手した。
悪役令嬢、友達からの誘いを受ける。
これは歴史的瞬間である。
アレクシスも近くでそのやり取りを見ていた。
彼は少し嬉しそうに笑っている。
「僕は邪魔しない方がいいかな」
シルビアが即座に言う。
「別に、殿下がいらしても」
私は見上げる。
シルビアは言葉を止めた。
リーナを見る。
それから、少し考えた。
「……今日は、リーナ嬢と約束しましたので」
お。
友達との約束を優先した。
アレクシスは驚いたあと、柔らかく笑った。
「うん。楽しんできて」
シルビアの顔が赤くなる。
「楽しめるかどうかは、花の出来によりますわ」
照れ隠し。
だが、リーナはもう笑っている。
「綺麗でしたよ」
「なら、確認します」
確認。
花を見ることを確認と言うな。
しかし、誘いは成立した。
放課後、中庭へ向かったのは、シルビア、リーナ、そして私だった。
当然、私も同行する。
友達イベント監督である。
中庭には、白と淡い紫の花が咲いていた。
風に揺れる花びらが、夕方の光を受けて柔らかく光っている。
リーナは嬉しそうに花壇の前で立ち止まった。
「ほら、綺麗でしょう?」
シルビアは花を見た。
少し目を細める。
リーナはもう、それを睨みだとは思わない。
少しだけ身を乗り出し、シルビアが見やすいように花の位置を指さす。
「このあたりの花が、色が少し違うんです」
シルビアは驚いたようにリーナを見た。
リーナは首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「……いえ」
シルビアは花へ視線を戻した。
「よく見ていますのね」
リーナは嬉しそうに笑う。
「はい。神殿にも花壇があったので」
「神殿にも?」
「ええ。小さな花壇でしたけれど、季節ごとに花が変わるんです。私は水やりを手伝っていました」
シルビアは少し興味を持ったようだった。
「聖女候補も、水やりをしますの?」
「候補というより、神殿で暮らしていた子どもは皆、できることを手伝っていました。私は花が好きだったので」
リーナは懐かしそうに笑った。
シルビアは黙って聞いている。
いい。
非常にいい。
相手の話を聞いている。
遮らず、否定せず、質問もしている。
シルビアにしては大きな進歩である。
しばらく花を見たあと、リーナが少し照れたように言った。
「シルビア様は、どんな花がお好きですか?」
好きな花。
シルビアは考え込んだ。
彼女が自分の好みを聞かれることは、意外と少ないのかもしれない。
公爵家にふさわしい花。
客人を迎える花。
季節に合う花。
そういう基準で花を見ることは多かっただろう。
だが、自分が好きな花。
シルビアは少し迷ったあと、白い小さな花を指した。
「……あの花は、悪くありませんわ」
悪くありませんわ。
シルビア語で「好き」である。
リーナはすぐに笑った。
「あの花がお好きなんですね」
シルビアが固まった。
「好きとは言っていませんわ」
「でも、悪くない、とおっしゃったので」
リーナは楽しそうに言う。
シルビアは顔を赤くした。
「あなた、最近わたくしの言葉を勝手に訳しますわね」
「違っていましたか?」
リーナは少しだけ不安そうに聞いた。
シルビアは黙る。
私は足元から見上げた。
素直に。
ここは素直に。
シルビアは小さく息を吐いた。
「……違ってはいません」
言えた。
リーナの顔がぱっと明るくなる。
私は感動した。
リーナ、シルビア語翻訳精度が上がっている。
中級合格も近い。
その後、二人は花壇の周りをゆっくり歩いた。
会話はぎこちない。
だが、途切れても不思議と気まずくはなかった。
リーナが神殿の花壇の話をする。
シルビアが公爵家の庭師の話をする。
リーナが水やりで失敗した話をする。
シルビアが昔、花の配置に口を出して庭師を困らせた話をする。
いや、そこは笑い話にするにはまだ早いかもしれない。
リーナは驚いたあと、くすりと笑った。
「シルビア様らしいです」
「どういう意味ですの」
「ちゃんと見ている、という意味です」
リーナはそう言った。
シルビアは言葉を失った。
ちゃんと見ている。
それは最近、アレクシスも言った言葉だ。
シルビアは少しだけ顔を伏せる。
「……そう、ですか」
「はい」
リーナは柔らかくうなずく。
風が吹き、白い花が揺れた。
私は二人の足元で座っていた。
なんだか、不思議な気分だった。
ゲーム本編なら、ここでシルビアはリーナを見下ろし、何か嫌味を言っていたかもしれない。
リーナは傷つき、周囲はシルビアを悪役として見る。
だが今、二人は同じ花を見ている。
少し不器用な少女と、素直な少女が、一緒に花を見ているのだ。
私は喉を鳴らした。
悪くない。
とても悪くない。
そのとき、リーナが少し緊張したように言った。
「あの、シルビア様」
「何かしら」
「また、一緒に見に来てもいいですか?」
シルビアはリーナを見る。
リーナは少し頬を赤くしている。
勇気を出して言ったのだろう。
これはつまり。
また誘ってもいいですか。
つまり。
友達になってもいいですか。
そういう意味だ。
たぶん。
シルビアは黙った。
長い沈黙。
リーナの表情に不安が浮かぶ。
私はシルビアの足を前足で軽く叩いた。
シルビアは私を見る。
それから、リーナを見る。
そして、少しだけ視線をそらした。
「……好きになさい」
そっけない。
だが、拒否ではない。
リーナは少しだけ目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。
「はい、ありがとうございます」
シルビアの耳が赤い。
私はしっぽを立てた。
成立。
これはもう、友達成立でいいのではないだろうか。
いや、シルビア本人は認めないかもしれないが。
だが、実質友達である。
花壇友達。
勉強友達。
シルビア語学習者。
リーナは強い。
その日の帰り道。
シルビアは、珍しく少しぼんやりしていた。
私は彼女の腕に抱かれている。
「ノワール」
「にゃ」
「リーナ嬢は、変わった方ですわね」
私は彼女を見上げた。
「わたくしの言葉に、あまり怒らないのです」
「にゃ」
それは、あなたの本意を見ようとしているからだ。
あなたの言葉だけではなく、あなたを見ているからだ。
シルビアは私の背を撫でる。
「怖くないのかしら」
小さな声だった。
私は少し胸が痛くなった。
シルビアはずっと、自分が怖がられていることを知っていた。
知っていて、どうすればいいか分からなかった。
だから、怖がらない相手が不思議なのだ。
私は彼女の手に頭をすり寄せた。
「にゃ」
大丈夫。
リーナは怖いだけでは終わらせない。
シルビアは少しだけ笑った。
「あなたも、変な猫ですわ」
それは知っている。
元人間の猫ですし。
だが、今はそれでいい。
廊下の向こうで、アレクシスが待っていた。
「楽しかった?」
シルビアは一瞬、固まった。
そして、いつものように言いかける。
「別に、楽しいなどと――」
私は見上げた。
シルビアは言葉を止めた。
少し沈黙。
それから、小さく言った。
「……悪くありませんでした」
アレクシスは笑った。
「そっか」
私は喉を鳴らした。
シルビア語で「楽しかった」である。
アレクシスも、もう分かっている。
良い。
とても良い。
その様子を、回廊の影から見ている者がいた。
クラリスだった。
彼女は微笑んでいた。
だが、その微笑みはいつもより少し薄い。
シルビアがリーナと並んで歩く。
アレクシスがそれを受け入れる。
リーナがシルビアを怖がらない。
シルビアも、少しずつそれを受け入れる。
それは、クラリスの望む流れではない。
私は彼女に気づき、じっと見返した。
クラリスは一瞬、私と目を合わせる。
そして、静かに踵を返した。
私はしっぽを揺らす。
悪役令嬢、友達を作る。
しかもヒロインと。
それは、ゲーム本編にはなかった展開だ。
だからこそ、これから先、何が起きるか分からない。
だが今日は、少しだけ喜びを噛みしめたい。
シルビアに、友達ができた。
たぶん本人はまだ認めない。
けれど。
花壇の前で交わした「また」は、確かに未来への約束だった。




