第22話 クラリス、優しい悪役令嬢の従姉妹を演じる
完結確定。
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よろしくお願いします。
クラリス・ローヴェルは、優しい。
少なくとも、周囲からはそう見られている。
困っている生徒には声をかける。
不安そうな新入生には微笑む。
教師には礼儀正しく、令嬢たちには控えめに、令息たちには距離を保って接する。
完璧な伯爵令嬢。
そう呼ばれている。
だが、私は知っている。
あの微笑みの裏には、柔らかい毒がある。
クラリスの言葉は、直接誰かを傷つけない。
むしろ、いたわるように聞こえる。
「シルビア様は、少し誤解されやすい方ですものね」
「悪気はないのですわ」
「怖がらないで差し上げて」
どれも、シルビアをかばっているように聞こえる。
だが、その言葉は同時に、聞いた者の心へ印象を残す。
シルビアは誤解されやすい。
シルビアには悪く見えるところがある。
シルビアは怖がられる人だ。
悪口ではない。
だから、反論しにくい。
善意の顔をした印象操作。
非常に厄介である。
前世の職場にもいた。
「私は味方なんですけど」と言いながら、会議でこちらの弱点を丁寧に並べてくる人。
「念のため共有です」と言いながら、失敗ログを全員に送る人。
「本人のためを思って」と言いながら、本人のいない場所で評価を下げる人。
クラリスは、その貴族令嬢版である。
しかも顔がいい。
柔らかく微笑むので、余計に厄介だ。
雰囲気で周囲はクラリスにのまれていく。
私はその日、学院の中庭でクラリスを見張っていた。
本来なら、シルビアのそばにいたい。
だが、強制力のようなものと噂の広がりを感じた以上、情報源を追う必要がある。
猫の身体は便利だ。
柱の陰、植え込みの下、ベンチの裏。
人間なら怪しまれる場所でも、黒猫ならそこそこ許される。
たまに「可愛い」と言われる。
否定はしない。
しかし今は任務中である。
中庭の噴水のそばに、リーナがいた。
彼女は数冊の本を抱えて、少し困ったように立っている。
その周囲には、数人の令嬢たち。
彼女たちは笑顔だが、距離が近い。
リーナはまだ貴族社会に慣れていない。
相手が親切なのか、からかっているのか、見分けるには時間がかかる。
「リーナ様は、本当に努力家でいらっしゃるのね」
「平民出身で三位なんて、すばらしいですわ」
「でも、シルビア様に教えていただいたのでしょう?」
「王太子殿下とも一緒にお勉強されていたとか」
言葉は明るい。
だが、じわじわ囲んでいる。
私は植え込みの下で耳を伏せた。
リーナは困ったように笑っている。
「はい。シルビア様には、とても分かりやすく教えていただきました」
「まあ、そうなのですね」
「シルビア様はお優しいのね」
「でも、少し怖くはありません?」
出た。
結局そこへ持っていく。
私は低くうなりそうになる。
そのとき、柔らかい声が割って入った。
「皆様、あまりリーナ様を困らせてはいけませんわ」
クラリスだった。
令嬢たちが振り返る。
クラリスは穏やかに微笑んでいる。
淡い薄緑のドレス。
控えめな白いリボン。
柔らかな栗色の髪。
まさに、優しい令嬢。
クラリスはリーナのそばへ行き、そっと令嬢たちとの間に入った。
「リーナ様は、まだ学院に慣れていらっしゃらないのですもの。急にいろいろ聞かれては、驚いてしまいますわ」
リーナは少しほっとした顔をした。
「クラリス様……ありがとうございます」
「いいえ。当然のことですわ」
クラリスは微笑む。
私は植え込みの下で目を細めた。
表面上は救助。
実際にも、リーナは助かった。
だが、クラリスはそれだけで終わらない。
クラリスは令嬢たちへ向き直った。
「シルビア様のことも、あまり怖い怖いと言ってはお気の毒ですわ」
来た。
私は耳を立てる。
「シルビア様は、ただ少し言葉が強く聞こえるだけ。ご本人に悪気はありませんもの」
悪気はない。
またその言葉。
令嬢たちは納得したようにうなずく。
「そうですわね」
「クラリス様は、シルビア様とご親戚ですものね」
「昔からご存じなのですね」
クラリスは少し困ったように微笑む。
「ええ。ですから、心配なのです。シルビア様は昔から、誤解を招きやすい方でしたから」
ほら。
やはり。
シルビアを助けるふりをして、昔から誤解される人だったと印象づける。
リーナは黙って聞いていた。
その表情は、少し複雑だった。
以前のリーナなら、そのまま「そうなのですね」と受け取ったかもしれない。
だが、今のリーナは違う。
彼女はシルビアを自分の目で見始めている。
火傷を治してもらった。
課題を教えてもらった。
ドレスの裾を気にしてもらった。
言い方は怖い。けれど、行動は優しい。
その経験がある。
クラリスはそれを感じ取っているのだろう。
だから、より丁寧に近づく。
「リーナ様」
クラリスは優しく声をかけた。
「シルビア様のこと、怖がらないで差し上げてくださいませね」
リーナは瞬きをした。
「はい」
「シルビア様は王太子殿下の婚約者として、ずっと気を張っていらっしゃるのです。だから、少し人に厳しくなってしまうことがあるのかもしれません」
言葉だけ聞けば、思いやりだ。
だが、私は気づいている。
王太子殿下の婚約者。
その単語を、クラリスはリーナの前でわざと出した。
リーナは聖女候補。
ゲーム本編では、王太子と結ばれるヒロイン。
そのリーナに、シルビアは王太子の婚約者だと意識させる。
同時に、シルビアは立場ゆえに厳しい人だと印象づける。
巧妙。
かなり巧妙。
リーナは少し考えるように目を伏せた。
「シルビア様は、いつも気を張っていらっしゃるのですか?」
「ええ。きっと」
クラリスは寂しそうに微笑む。
「公爵令嬢で、王太子殿下の婚約者で。皆様から見られている立場ですもの。おかわいそうに思うこともありますわ」
かわいそう。
今度はそれか。
シルビアを下げすぎず、けれど対等でもない位置に置く言葉。
リーナの中で、シルビアを「かわいそうな人」にする。
それは悪口ではない。
だが、シルビア自身が望む見られ方ではない。
リーナは小さく言った。
「でも、シルビア様は強い方です」
クラリスの目が、ほんの少し動いた。
「そうですわね」
「でも……」
リーナは少し迷ったあと、続けた。
「強いだけではないと思います」
お、私は植え込みの下で身を乗り出した。
リーナ。
言うのか。
クラリスは微笑んだまま首をかしげる。
「と、おっしゃいますと?」
「うまく言えませんけれど」
リーナは抱えていた本を少し握り直した。
「シルビア様は、怖い言い方をなさることがあります。でも、ちゃんと見てくださいます。私が困っているところも、失敗したところも、見ないふりをせずに教えてくださるんです」
令嬢たちが少し驚いたようにリーナを見る。
クラリスも、ほんの一瞬だけ笑みを薄くした。
リーナは続ける。
「だから、怖がらないで差し上げる、というより……私がちゃんと、分かってあげられるようになりたいと思いました」
すごい。
私は心の中で、前足をこれでもかというほど突き上げた。
リーナ。
かなり強い。
ただ優しいだけではない。
自分で見たことを、自分の言葉で言える。
これなら、クラリスの柔らかい毒に簡単には飲まれない。
クラリスは一拍置いてから、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ。リーナ様は本当にお優しいのですね」
出た。
褒めながら話をずらす。
「シルビア様にも、きっとそのお気持ちは伝わりますわ」
クラリスはそう言って、リーナの手元の本を見る。
「その本、重そうですわね。よろしければ、少しお持ちしましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
リーナは首を振った。
「このあと図書室へ返すだけなので」
「そうですか。では、ご一緒しても?」
クラリスはにこりと微笑む。
ここで距離を詰める気だ。
私は植え込みから出ようとした。
その瞬間。
「リーナ嬢」
別の声がした。
シルビアだった。
私は振り返る。
シルビアは回廊の入口に立っていた。
背筋を伸ばし、表情はいつものように固い。
その横にはアレクシスもいる。
どうやら、図書室へ向かう途中だったらしい。
リーナの顔が明るくなる。
「シルビア様」
クラリスの微笑みが、わずかに硬くなった。
シルビアはリーナの本を見た。
目を細める。
周囲の令嬢が少し身構える。
「その量を一人で持つつもりですの?」
出た。
第一声が怖い。
リーナは一瞬驚いたが、すぐに小さく笑った。
「図書室までなので、大丈夫です」
「大丈夫そうには見えませんわ」
シルビアは近づく。
そして、リーナの返事を待たずに本の上半分を取った。
「貸しなさい」
命令形。
ただし、手伝っている。
私は急いでシルビアの足元へ行き、鳴いた。
「にゃ」
言い方。
シルビアは私を見る。
そして、リーナへ視線を戻す。
「……半分、持ちます」
よし。
言い直した。
リーナは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
シルビアは少しだけ顔を赤くした。
「どういたしまして」
令嬢たちがざわめく。
クラリスは静かに見ていた。
アレクシスが少し笑う。
「僕も持とうか?」
シルビアは即座に言った。
「殿下にそのようなことをさせるわけには」
私は見上げる。
シルビアは途中で止まった。
「……いえ。では、こちらをお願いいたします」
さらに本を一冊、アレクシスに渡す。
アレクシスは嬉しそうに受け取った。
「うん」
不思議な光景だった。
公爵令嬢。
王太子。
聖女候補。
三人が並んで本を持ち、図書室へ向かおうとしている。
ゲーム本編なら、シルビアがリーナを邪魔する場面だったかもしれない。
今は違う。
シルビアがリーナを手伝い、アレクシスも荷物持ちに参戦。
クラリスは、それを穏やかな顔で見送った。
「皆様、本当に仲がよろしいのですね」
声は柔らかい。
だが、私は聞き逃さなかった。
仲がよろしい。
その言葉に、ほんの少し棘がある。
王太子と聖女候補が仲良くしている。
婚約者のシルビアがそれを許している。
あるいは、三人の関係が近すぎる。
どんな噂にも変えられる言葉だ。
シルビアは振り返った。
「同じ課題に取り組む学友ですもの。助け合うのは自然でしょう」
お、良い。
かなり良い。
クラリスの言葉を、変な方向に受け取らず、学友として返した。
アレクシスも頷く。
「そうだね」
リーナも笑った。
「はい」
クラリスは一瞬だけ黙った。
そして、また微笑む。
「ええ。素敵ですわ」
その笑みは美しい。
だが、私はその奥の苛立ちを感じた。
クラリスは、リーナを孤立させたいのかもしれない。
あるいは、シルビアとリーナの間に小さな棘を置きたいのかもしれない。
しかし今、リーナはシルビアへ歩み寄り始めている。
シルビアも、不器用ながらリーナを助けている。
アレクシスも、二人の間に立って誤解を防ぐようになっている。
クラリスにとって、それは面白くない。
図書室へ向かう途中、リーナは小さな声でシルビアに言った。
「シルビア様」
「何かしら」
「先ほど、クラリス様が心配してくださいました」
シルビアの表情が少し硬くなる。
私は足元で耳を立てた。
リーナは続ける。
「シルビア様は誤解されやすい方だから、怖がらないで差し上げて、と」
シルビアは黙った。
その横顔は、少し読みにくい。
怒っているのか、傷ついているのか。
それとも、また「そう見える自分が悪い」と思っているのか。
私は心配になり、彼女の足に体をすり寄せた。
しかし、リーナは続けた。
「でも、私は……怖がらないで差し上げる、ではなくて、ちゃんと分かれるようになりたいと思いました」
シルビアが足を止めた。
アレクシスも立ち止まる。
リーナは少し恥ずかしそうに笑った。
「まだ、びっくりすることはありますけれど」
正直。
良い。
「でも、シルビア様が何を伝えたいのか、考えたいです」
シルビアは、しばらく何も言わなかった。
それから、顔をそむける。
「……好きになさい」
声はそっけない。
だが、耳が赤い。
リーナはもう、それを怖がらなかった。
「はい」
アレクシスはその様子を見て、少しだけ笑った。
私は喉を鳴らす。
クラリスの分断は、今のところ失敗。
むしろリーナの決意を強くした。
だが、クラリスはこれで諦めるような相手ではない。
優しい従姉妹の仮面の下で、次の手を考えているはずだ。
私は振り返る。
中庭の向こうで、クラリスがこちらを見ていた。
彼女は微笑んでいる。
いつものように。
けれど、その指先は、扇の柄を少し強く握っていた。
私は静かに目を細めた。
クラリス・ローヴェル。
優しい従姉妹を演じる少女。
その演技が剥がれる日は、まだ先かもしれない。
だが、少しずつ綻びは出ている。
私は黒猫ノワール。
悪役令嬢断罪エンド回避担当。
今日の成果。
リーナ、クラリスの毒に飲まれず。
シルビア、本を半分持つ。
アレクシス、荷物持ちに参戦。
そしてクラリス、苛立ちを隠しきれず。
学園の空気は、少しずつ変わり始めている。




