第18話 悪役令嬢、謝罪に失敗する
完結確定。
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ドレス破り事件は、未遂で終わった。
歓迎会の場で「シルビア様がリーナ様のドレスを破ったらしい」などという悪評が広がることは、ひとまず防げた。
そう、ひとまずである。
クラリス・ローヴェル。
あの優しい従姉妹が、リーナに声をかけた。
「シルビア様は、少し言い方が厳しいところがありますけれど、悪気はない方ですの」
表面上は、シルビアをかばっている。
だが、その言葉は危険だった。
悪気はない。
つまり、悪く見える言動はあるということだ。
言い方が厳しい。
つまり、慣れていない相手には怖いということだ。
慣れれば大丈夫。
つまり、慣れるまでは大変ということだ。
柔らかいし、優しい、そして親切そう。
だからこそ、厄介である。
ああいう言葉は、噂よりずっと深く残る。
人は、悪意丸出しの言葉よりも、善意の顔をした言葉を信じやすい。
前世の職場でもそうだった。
「責めているわけではないんですが」
だいたい責めている。
「確認なんですけど」
だいたい詰めている。
「今後のために共有です」
だいたい晒し上げである。
人間の言葉は難しい。
そして、クラリスはその難しさをよく分かっている。
私は警戒をさらに強めた。
一方、シルビアは歓迎会のあとから、少し静かだった。
大きく落ち込んでいるわけではない。
背筋は伸びているし、授業もきちんと受けている。
教師への返答も完璧。
同級生への挨拶も、いつものように隙がない。
だが、リーナの姿を見かけるたびに、シルビアの視線が少し止まる。
何か言いたそうにする。
けれど、結局何も言わない。
そしてそのたびに、私を見る。
完全に相談されている。
私は猫なので、返せるのは鳴き声だけだが。
しかし八年の付き合いだ。
シルビアも、ある程度は私の意図を読み取る。
その日の放課後。
学院の中庭に面した回廊で、シルビアは足を止めた。
遠くにリーナがいた。
リーナは一人で、手に授業で使ったらしい本を抱え、花壇のそばに、立っている。
周囲に令嬢たちはいない。
アレクシスもいない。
クラリスもいない。
話しかけるなら、今だ。
シルビアもそう思ったのだろう。
彼女は私を見下ろした。
「ノワール」
「にゃ」
「昨日のこと……」
言葉が途中で止まる。
昨日のこと。
歓迎会で、リーナを怖がらせたこと。
第一声で「頼りなさそう」と言ってしまったこと。
ドレスの裾を指摘するとき、また強い言い方をしたこと。
シルビアは気にしている。
それは良いことだ。
気にしているなら、謝れる。
問題は、謝り方である。
シルビアの謝罪能力は、まだ不安定で、変な出力をすることの方が多い。
屋敷の使用人相手なら、だいぶ改善した。
だが、リーナは別だ。
ヒロインであり、聖女候補。
王太子が気にかける少女。
周囲の注目を集める存在。
シルビアにとっては、心がざわつきやすい相手である。
つまり、言語バグが発生しやすいのだ。
私はシルビアの足にすり寄った。
「にゃ」
行け。
ただし、慎重に。
とにかく、慎重に。
シルビアは小さくうなずいた。
「分かっていますわ」
本当に分かっているんだろうか。
不安である。
シルビアはリーナへ向かって歩き出した。
私は当然、足元につく。
距離が縮まる。
リーナが気づいた。
彼女は一瞬、肩を揺らした。
やはりまだ怖がっている。
無理もない。
昨日の今日である。
シルビアの顔は、緊張で固い。
目元にも力が入っていて、美しさが完全に圧になっている。
通行人の生徒たちが、ちらりとこちらを見る。
公爵令嬢が聖女候補に近づいている。
それだけで、視線が集まる。
まずい。
この時点ですでに舞台が整っている。
私は小さく鳴いた。
「にゃ」
柔らかく。
柔らかくだ。
とにかくソフトに。
シルビアはリーナの前で足を止めた。
「リーナ嬢」
声が硬い。
リーナは慌てて頭を下げる。
「は、はい。シルビア様」
その反応に、シルビアの表情が少し強張る。
怖がられた、と感じたのだろう。
ここで傷ついてはいけない。
謝罪を続けろ。
私は足元から見上げた。
シルビアは一度、息を吸った。
「昨日のことですが」
「昨日、ですか」
「歓迎会でのことですわ」
リーナの顔に緊張が戻る。
当然だ。
昨日、リーナはドレスを踏まれそうになり、菓子で汚されそうになり、シルビアに強い口調で注意された。
良い思い出ではない。
シルビアは口を開いた。
「あなたのドレスの裾が長かった件です」
私は固まった。
そこから入るのか。
謝罪ではなく、問題点の指摘から入るのか。
リーナも少し目を瞬いた。
「は、はい。仮留めしていただきました」
「当然ですわ。あのままでは、誰かに踏まれていたでしょうから」
悪役令嬢ポイント、加算。
まずい。
これは謝罪ではない。
改善指導である。
私はシルビアの足を前足でパシパシ叩いた。
「にゃっ」
違う。
目的を思い出せ。
謝罪だ。
シルビアは一瞬、私を見る。
そして、少しだけ唇を引き結んだ。
「……その」
リーナは不安そうに待っている。
シルビアは言葉を探す。
頑張れ。
ここだ。
「わたくしの言い方が、少し強かったことは認めますわ」
少し……とは……。
かなりだ。
だが、認めた。
第一歩としては良い。
リーナは驚いたようにシルビアを見た。
「え……」
「ですから」
シルビアの表情がさらに固くなる。
謝る直前の顔である。
公爵令嬢としての矜持と、素直に謝りたい気持ちが、顔面上で戦っている。
私は息を詰めた。
なぜかリーナも緊張している。
そしてシルビアは、ついに言った。
「あなたが必要以上に怯えたのなら、謝りますわ」
失敗。
私はその場で崩れ落ちそうになった。
必要以上に怯えたのなら。
これは謝罪ではない。
謝罪の皮をかぶった責任転嫁である。
リーナの顔が、少し困ったように曇った。
通りすがりの令嬢が足を止める。
まずい。
非常にまずい。
このままでは、「シルビア様がリーナ様に、怯えすぎだと責めた」という噂になる。
私は即座にシルビアの足首を噛んだ。
かぷり。
「いたっ」
シルビアが小さく声を上げる。
リーナが驚く。
「シルビア様?」
シルビアは私を見下ろした。
「ノワール、あなた……!」
緊急停止、必要措置である。
労災申請は受け付けない。
私はシルビアをじっと見上げた。
今のはだめだ。
完全にだめ。
シルビアも、私の目を見て気づいたのか、はっと口を閉じた。
少しの沈黙。
風が中庭の花を揺らす。
シルビアはリーナへ向き直った。
今度は、さっきより少しだけ目元の力が抜けていた。
「……違いますわね」
リーナが首をかしげる。
「違う、とは」
「今の言い方も、よくありませんでした」
お、自分で修正した。
かなり良い。
シルビアは視線を少し下げる。
「昨日、わたくしはあなたに失礼なことを言いました」
リーナが目を丸くする。
シルビアは続ける。
「頼りなさそう、などと。初対面で言うべきことではありませんでした」
言えた。
ちゃんと自分の言葉で、何が悪かったか言えた。
私は内心で前足を上げる。
よし。
そのままいけっ。
「それに、ドレスの裾についても、もう少し別の言い方があったはずです」
シルビアの声はまだ硬い。
だが、内容はまっすぐだ。
「怖がらせたのなら……いえ」
彼女は一度言い直した。
「怖がらせました。ごめんなさい」
言った。
リーナの目が大きく開かれる。
周囲で見ていた生徒たちも、驚いたように息をのむ。
公爵令嬢シルビア・グランベルが、平民出身の聖女候補に謝った。
これはかなり大きい。
悪役令嬢ルートから、かなり外れる一歩だ。
私は満足しかけた。
しかし、シルビアはここで終わらなかった。
終わればいいのに!
「ですが」
私は耳を伏せた。
ですが、は危険。
「あなたも、もう少し堂々となさい」
なぜ。
なぜ続ける。
リーナが瞬きをする。
シルビアは真剣な顔で言った。
「ここは学院です。身分の高い者も、あなたを珍しがる者もいるでしょう。いちいち怯えていては、足元を見られます」
内容は。
内容は悪くない。
むしろ助言である。
リーナを心配している。
だが、言い方が強い。
「昨日のようにドレスの裾が危ないなら、すぐに直させるべきです。誰かに囲まれて困ったなら、教師を呼ぶなり、近くの者に助けを求めなさい。黙って困っているだけでは、また同じことになりますわ」
怖い。
完全に怖い。
助言というより指導。
リーナはぽかんとしている。
私はシルビアの足元で頭を抱えたくなった。
謝罪は成功した。
そのあと説教が始まった。
総合評価が難しい。
だが。
シルビアは最後に、少し顔をそむけて言った。
「……次に困ったことがあれば、わたくしに言いなさい」
リーナはさらに驚いた。
「シルビア様に、ですか?」
「そうですわ」
シルビアは腕を組む。
やめて!威圧感が増すって!
「あなたが学院で倒れたり、怪我をしたり、妙な噂を立てられたりすれば、学院全体の問題になります。ですから、困る前に言いなさい」
違う。
いや、違わない。
心配している。
ものすごく心配している。
でも言い方が、学院運営のリスク管理者である。
リーナはしばらくシルビアを見つめていた。
怖がっている。
戸惑っている。
けれど、その奥に少しだけ、別の感情が見えた。
この人は、今、謝った。
そして、怒っているように見えるのに、自分が困ったら言えと言っている。
怖い。
でも、もしかして心配している?
困惑。
そんな顔だった。
だよね、その感情よくわかるよ。
リーナはゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございます」
シルビアが固まった。
礼を言われた。
ヒロインに。
私は足元から見上げる。
受け取れ。
ここで変なことを言うな。
シルビアは、数秒の沈黙のあと、ぎこちなく答えた。
「どういたしまして」
よし。
成功。
かなり危なかったが、成功である。
リーナは少しだけ笑った。
「あの、シルビア様」
「何かしら」
「ノワールさんは、いつもああやって止めてくれるのですか?」
私?
突然、話題が私に来た。
シルビアは少しだけ顔を赤くした。
「ええ。ノワールは、わたくしに厳しいのです」
「厳しい……」
リーナが私を見る。
私は短く鳴いた。
「にゃ」
教育係なので。
リーナはくすりと笑った。
初めて見る、少し自然な笑顔だった。
「賢い猫さんですね」
シルビアは得意げに胸を張る。
「当然ですわ」
私は見上げる。
シルビアは、はっとする。
「……わたくしの大切な猫ですから」
修正成功。
リーナはまた笑った。
その笑顔を見て、私は少し安心した。
リーナは、シルビアを完全に怖い人だと決めつけてはいない。
この子は見ている。
シルビアの失敗も、言い直しも、私の介入も。
そして、そこに違和感を持っている。
悪い違和感ではない。
もしかして、という小さな疑問。
その疑問が育てば、リーナはきっと気づいてくれる。
シルビアは悪役令嬢ではない。
ただ、壊滅的に不器用で、ポンコツなだけだと。
そのときだった。
背後から柔らかい声がした。
「まあ。シルビア様とリーナ様、お話しされていたのですね」
クラリスだった。
いつの間に。
私は即座に振り返る。
クラリスはいつものように穏やかに微笑んでいた。
淡い色のドレス。
控えめな髪飾り。
優しげな表情。
完璧な親切令嬢。
だが、私は騙されない。
クラリスはリーナへ近づいた。
「昨日のことを気にしていらしたのですね。シルビア様はお優しいですもの」
シルビアの表情が、少し硬くなる。
リーナはクラリスに軽く頭を下げた。
「はい。シルビア様が、謝ってくださいました」
クラリスの笑みが、ほんの一瞬だけ固まった。
本当に一瞬。
人間なら見逃したかもしれない。
だが、私は猫である。
目はいい。
いや、シルビアと違って目はいい。
クラリスはすぐに微笑みを戻した。
「まあ。それはよかったですわ」
声は柔らかいが、目は笑っていない。
「シルビア様は昔から、誤解されやすいところがありますものね。リーナ様も、あまり怖がらないで差し上げてくださいませ」
出た。
まただ。
誤解されやすい、怖がらないで。
シルビアをかばう言葉の形で、怖い印象を補強する。
リーナは少し考えるようにクラリスを見た。
以前なら、そのままうなずいたかもしれない。
だが、今のリーナは少し違った。
彼女はシルビアを見る。
次に、私を見る。
そして、クラリスへ向き直った。
「はい。でも、シルビア様は怖いだけの方ではないと思います」
私は耳を立てた。
お、リーナ。
言った。
クラリスの表情が、また一瞬だけ止まる。
シルビアも驚いたようにリーナを見る。
リーナは少し頬を赤くしながら続けた。
「言い方は、少しびっくりしますけど……でも、昨日も今日も、私のことを気にしてくださったので」
シルビアの顔が赤くなる。
「そ、そこまで気にしていたわけではありませんわ!」
台無し。
私は足元で鳴いた。
「にゃ」
シルビアは口を閉じた。
リーナは、なぜか笑った。
怖がるのではなく、少しだけ楽しそうに。
「はい」
はい、ではない。
でも、たぶん伝わっている。
シルビアの否定が、否定になっていないことが。
これは大きい。
リーナはシルビア語の初級に入りかけている。
クラリスは静かに微笑んだ。
「リーナ様は、お優しいのですね」
「そんなことは……」
「きっと、誰とでも仲良くなれる方なのだわ」
褒め言葉。
だが、私は警戒した。
クラリスは次に、シルビアへ目を向ける。
「シルビア様も、リーナ様のように素直な方がおそばにいれば、きっと良い刺激になりますわね」
柔らかい声。
だが、意味は危険だ。
リーナは素直でシルビアは素直ではない。
そう聞こえる。
シルビアの眉がわずかに動いた。
私はすぐに彼女の足元にすり寄る。
乗るな。
その棘に乗るな。
シルビアは一度、息を吸った。
「そうですわね」
お、落ち着いている。
「リーナ嬢は、わたくしとは違うものの見方をなさるようですから」
クラリスが目を細める。
シルビアはリーナを見た。
「学ぶところも、あるかもしれません」
私は驚いた。
シルビア。
かなり良い。
リーナも目を丸くしている。
クラリスだけが、静かに微笑んでいた。
「まあ。シルビア様がそのようにおっしゃるなんて、本当にお変わりになりましたのね」
また。
その言葉。
シルビアは少しだけ表情を硬くしたが、今度は黙った。
私を見る。
私は短く鳴いた。
「にゃ」
それでいい。
全部に反応しなくていい。
クラリスは、それ以上深追いしなかった。
「では、わたくしはこれで。リーナ様、またお話ししてくださいませ」
「はい、クラリス様」
クラリスは優雅に去っていく。
その後ろ姿を、私はじっと見つめた。
やはり危険人物
ただし、今日分かったことがある。
リーナは、クラリスの言葉をそのまま全部飲み込むわけではない。
シルビアの行動を自分で見ようとしている。
本当に良い子だ。
これは希望。
クラリスが去ったあと、シルビアは少し気まずそうにリーナを見た。
「……先ほどのこと」
「はい?」
「謝罪の途中で、余計なことを言いましたわ」
自己認識。
素晴らしい。
リーナは少し考えてから、ふわりと笑った。
「少し驚きました」
正直。
「でも、心配してくださったんですよね」
シルビアはまた固まる。
「……何度も言わせないでちょうだい」
いや、言っていない。
でも、表情が真っ赤なので、肯定である。
リーナは今度こそ、小さく笑った。
シルビアは顔をそむける。
私はその二人を見上げながら、静かに喉を鳴らした。
悪役令嬢、謝罪に失敗。
しかし、完全失敗ではない。
謝罪は事故った。
説教も混ざった。
噛む必要もあった。
だが、リーナには少し伝わった。
怖いだけではなく、悪意だけではない。
シルビア・グランベルという少女は、とても分かりにくい。
その第一印象を、リーナの中に植えられたなら。
今日は成功と言っていい。
私は黒猫ノワール。
悪役令嬢断罪エンド回避担当。
今日の成果。
リーナ、シルビア語初級に一歩踏み込む。
そして、クラリス警戒レベルはさらに上昇。
学院生活は、まだ始まったばかりである。




