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転生した黒猫は悪役令嬢を改造したい 〜極悪非道のはずのお嬢様が、ただの不器用ポンコツだったので断罪エンドを全力で回避します!〜  作者: ゼロブロ
第2章 黒猫、王太子の靴ひもを狙う

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15/58

第15話 悪役令嬢の従姉妹は微笑む

完結確定。

毎日朝7時に更新します。

よろしくお願いします。

 クラリス・ローヴェルは、微笑むのが得意だった。


 幼い頃から、そう教えられてきた。

 女の子は、やわらかく微笑んでいる方が愛される。

 言葉は強くしすぎてはいけない。

 自分の意見を通したいときほど、相手に選ばせるように話しなさい。

 怒りは見せず、悲しみは薄く隠し、欲しいものほど欲しそうに見せてはならない。


 ローヴェル伯爵家の娘として、クラリスはそう育てられた。


 グランベル公爵家の分家筋。

 公爵家とは血がつながっている。

 だが、同じではない。


 本家と分家、公爵家と伯爵家。

 その差は、子どものクラリスにもよく分かった。

 親族の集まりに出れば、大人たちはいつもシルビアを見る。


 グランベル公爵家の長女。

 王太子殿下の婚約者。

 まだ幼いのに、誰もが目を引く美貌と、堂々とした態度。

 

 シルビア・グランベルは、何もしなくてもいつも中心にいた。

 クラリスは、その少し後ろで微笑んでいる子どもだった。


「クラリスは本当に愛らしい子ね」

「おとなしくて、優しくて」

「シルビア様とはまた違った可愛らしさがあるわ」

 また違った。

 大人たちは悪気なくそう言った。


 けれど、クラリスはいつも思っていた。

 違うのではない。

 足りないのだ。


 シルビアのような強さが。

 シルビアのような美しさが。

 シルビアのような身分が。

 シルビアのような未来が。

 自分には、少しずつ足りないから、微笑むしかなかった。

 優しく、控えめに、誰からも好かれるように。


 シルビアは違った。

 シルビアは笑わない。

 目つきは鋭く、言葉は強い。

 使用人にも同年代の子どもにも、どこか命令するように話す。

 それなのに、シルビアは公爵家の長女だった。

 王太子の婚約者だった。

 父も母も兄も、彼女を大切にしていた。


 なぜ。

 クラリスは幼い頃から、その疑問を胸の奥にしまってきた。


 あんなに不器用で、あんなに怖がられて、あんなに人を遠ざけるのに。

 どうして、シルビア様ばかり。

 そう思うたびに、クラリスは微笑んだ。


 欲しがっていると知られてはいけない。

 羨ましいと思っていると悟られてはいけない。

 微笑んでいれば、大人たちは言う。


「クラリスは本当に良い子ね」

 良い子。

 それが、クラリスが手に入れられる一番強い武器だった。


 だから彼女は、それを磨いた。

 人の表情を見る。

 声の調子を聞く。

 誰が誰を好いているか。

 誰が誰を苦手に思っているか。

 どの言葉をかければ相手が安心するか。

 どの言葉を混ぜれば、相手の心に小さな棘が残るか。


 クラリスは、よく見ていた。


 だから、気づいていた。

 アレクシス王太子が、シルビアを少し苦手としていることに。


 初めてそれを見たとき、クラリスは胸の奥がほんの少し軽くなった。

 その婚約は絶対ではない。

 王家と公爵家の結びつきは強い。

 だが、王太子本人が婚約者を心から嫌えば、いつか見直される可能性もある。


 そして、そのとき。

 もし、シルビアの代わりに誰かが必要になったなら。


 穏やかで、優しくて、王太子を支えられる令嬢が必要になったなら。

 自分にも、可能性があるかもしれない。

 ただ、心の中で静かに思っていただけだ。

 いつか。


 いつか、シルビア様がその場所から降りる日が来るかもしれない。

 その日まで、クラリスは微笑んでいればいい。

 優しい従姉妹として。

 シルビアを心配する親族として。

 王太子にも、公爵家にも、周囲にも、好かれる少女として。


 そして今。

 クラリスは、グランベル公爵家の客室で紅茶を飲んでいた。

 目の前には、シルビアがいる。

 そして、その足元には黒猫。

 ノワール。


 噂の黒猫。

 クラリスは、カップを口元に運びながら、そっと視線を落とした。

 黒猫はじっとこちらを見ている。


 金色の目。

 艶のある黒い毛並み。

 妙に落ち着いた態度。

 ただの猫にしては、賢い。

 まるで、人の言葉を理解しているようだ。


 クラリスは微笑んだ。

 噂は聞いている。

 最近、シルビアが変わったと。

 使用人を助けた、ありがとうと言った、治癒魔法で怪我を治した。

 王太子殿下とも、以前より話すようになった。

 そして、そのそばにはいつも黒猫がいる。


 シルビアが強い言い方をすると、黒猫が鳴く。

 シルビアが言い直すと、黒猫がすり寄る。

 王太子殿下との会話でも、その猫が奇妙な邪魔をして、空気を変えたらしい。


 馬鹿馬鹿しい噂だと、最初は思った。

 猫一匹で、人が変わるはずがない。

 けれど、実際に見てみると、少し違った。


 シルビアは確かに変わっている。

 以前のシルビアなら、クラリスの言葉にもっと分かりやすく反発した。

 強い声で言い返し、周囲に「やはりシルビア様は怖い」と思わせたはずだ。

 だが今日は違う。


 シルビアは言葉に詰まり、困ったように黙る。

 そして、たびたび黒猫を見る。

 まるで、その猫に答えを探しているように。


 面白くない。

 クラリスはカップを置いた。

「シルビア様は、本当にノワールを大切になさっているのですね」

 柔らかい声で言う。

 シルビアは、少しだけ誇らしげに黒猫を見た。


「ええ。ノワールはわたくしの猫ですもの」

 黒猫が、すぐにシルビアを見上げる。

 シルビアははっとした顔をした。

 そして、少しだけ頬を赤くする。

「……とても、大切なのです」

 クラリスは微笑んだまま、内心で目を細めた。


 言い直した。

 今、シルビアは自分の言葉を直した。

 誰かに命じられたわけでもない。

 黒猫の視線だけで。


 なるほど。

 噂は、まったくの嘘ではないらしい。

 クラリスは優しくうなずいた。


「素敵ですわ。シルビア様は昔から、お気に入りのものをとても大切になさいますものね」

 お気に入りのもの。

 その言葉に、黒猫の耳がぴくりと動いた。

 クラリスは気づかないふりをした。

 シルビアは少しだけ眉を寄せる。


「もの、ではありませんわ」

 クラリスは目を丸くしてみせた。

「ごめんなさい。そんなつもりではありませんでしたの」

 すぐに謝る。

 柔らかく、相手に責める隙を与えないように。


 シルビアは言葉を失ったように黙った。

 クラリスはさらに微笑む。

「ノワールは、ご家族のような存在なのですね」

 今度は正しい言葉を選ぶ。

 シルビアの表情が少し緩んだ。


「……ええ。そうですわ」

 黒猫がシルビアの足元に寄り添う。

 クラリスは、その様子を静かに見ていた。

 気に入らない。

 なぜなら、シルビアが柔らかく見えたからだ。


 昔のシルビアなら、もっと尖っていた。

 言葉の刃をむき出しにして、周囲を遠ざけていた。

 その方がよかった。


 シルビアが怖がられれば怖がられるほど、クラリスは優しく見える。

 シルビアが高慢に見えれば見えるほど、クラリスは控えめに見える。

 シルビアが王太子に避けられれば避けられるほど、自分にも希望が見える。


 なのに。


 黒猫が来てから、シルビアの印象が変わり始めている。

 使用人の見方が変わり、王太子の態度も少し変わり、シルビア自身も、言葉を選ぶようになっている。


 それは困る。


 クラリスは、紅茶の水面に映る自分の顔を見た。

 微笑んでいる。

 いつも通り、柔らかく。


「そういえば、アレクシス殿下とも、最近よくお話しされているとか」

 シルビアの手が、わずかに止まった。

 分かりやすい。

 クラリスは心の中で、そっと笑った。


「殿下はお優しい方ですものね。シルビア様のことも、きっとよく見てくださっているのでしょう」

 表面上は褒め言葉。

 だが、シルビアの顔が少し硬くなる。

 よく見てくださっている。

 この言葉は、シルビアにとって痛いはずだ。


 王太子が自分を見ていないのではないか、嫌っているのではないか。

 そう不安に思っていることを、クラリスはなんとなく察していた。

 もちろん、本人から聞いたわけではない。

 けれど、見れば分かる。


 王太子の話題になると、シルビアの表情は固くなる。

 声が少し高くなる。

 手元がわずかに落ち着かなくなる。

 好きなのだろう。

 幼いなりに。


 そして、うまくいっていないのだろう。

 それが、クラリスには手に取るように分かった。

 シルビアは少し遅れて答えた。


「殿下は、お忙しい方ですもの。わたくしのことばかり見ているわけではありませんわ」

「まあ。ご立派ですわね。婚約者として、殿下のお立場をよく理解していらっしゃるのね」

 クラリスはそう言って、少しだけ目を伏せた。


「わたくしなら、寂しく思ってしまうかもしれません」

 シルビアの肩が、ぴくりと動いた。

 黒猫が低く鳴いた。

「にゃ」

 警戒するような声。


 クラリスは黒猫を見た。

 やはり。

 この猫は、ただの猫ではない。

 少なくとも、シルビアの感情の揺れに敏感だ。


 邪魔な猫。

 クラリスは、心の中でそう思った。

 顔には出さない。


「ごめんなさい、シルビア様。余計なことを言いましたわ」

 すぐに引く。

 深追いはしない。

 相手の心に小さな棘を残せば、それで十分だ。

 シルビアは、少しだけ唇を引き結んだ。


「別に、寂しくなどありませんわ」

 嘘。

 クラリスには分かった。

 そしておそらく、黒猫にも分かっている。


 シルビア本人だけが、分かっていないふりをしている。

 クラリスは優しく微笑んだ。

「ええ。シルビア様はお強い方ですもの」

 強い。

 その言葉は、シルビアを縛る。

 クラリスは知っていた。

 シルビアは「強い」と言われると、弱さを見せられなくなる。


 公爵家の娘として、王太子の婚約者として、強くあらねばならないと思っている。

 だから、あえて言う。

 あなたは強い。

 そう言えば、シルビアは自分から弱音を隠す。

 黒猫が、また低く鳴いた。


「にゃあ」

 シルビアははっとしたように黒猫を見る。

 その表情が、少しだけ揺れた。

 クラリスは心の中で舌打ちした。

 表には出さない。


 この猫は、やはり邪魔だ。

 しばらくして、クラリスは席を立った。


「今日はお会いできて嬉しかったですわ、シルビア様」

「ええ。わたくしも」

 シルビアの返事は、いつもより少し硬かった。

 クラリスは丁寧に礼をする。


「またお話ししてくださいませ。シルビア様が変わっていかれるのを見るのは、とても楽しみですもの」

 シルビアは何も言わなかった。

 黒猫だけが、じっとクラリスを見ていた。


 客室を出ると、廊下の空気は少し冷たかった。

 クラリスは案内の侍女に微笑み、穏やかに歩く。

 角を曲がったところで、灰色のスカートの侍女が静かに頭を下げた。

 マリナ。


 クラリスは足を止めない。

 ただ、すれ違いざまに小さく言った。


「噂ほど、変わってはいませんでしたわ」

 マリナは顔を上げない。

「左様でございますか」

「ええ。少し猫に影響されているだけ。シルビア様は、やはりシルビア様です」

 クラリスは微笑む。


「ただ、殿下のお心が揺れるほど変わられては困ります」

 マリナの目が、わずかに動いた。

「承知しております」

 短い返事。

 それだけで十分だった。


 クラリスは廊下を進む。

 窓の外には、よく整えられた庭が見えた。

 広く、美しく、完璧な公爵家の庭。

 シルビアは、これを生まれたときから持っている。

 家も、名も、未来も、王太子の婚約者という座も。

 全部。


 それなのに、彼女はそれを大切にしているようには見えなかった。

 王太子に好かれようと努力するわけでもなく、使用人に慕われるよう振る舞うわけでもなく、自分がどれほど恵まれているかも分かっていない。

 それが、クラリスには許せなかった。


 持っているのに、分かっていない。

 欲しがらなくても与えられる。

 大切にしなくても守られる。

 どうして、あの子ばかり。

 胸の奥に黒いものが沈む。

 クラリスは、それを微笑みで覆った。


 王太子殿下は、まだ完全にシルビア様を信じているわけではない。

 それは分かっている。

 以前より少し態度が柔らかくなったとしても、幼い頃からの印象は簡単には消えない。


 シルビアは怖い。

 言葉がきつい。

 高慢に見える。

 その印象は、まだ残っている。

 なら、急ぐ必要はない。

 ただ、少しずつ思い出させればいい。


 シルビア様は誤解されやすい方。

 シルビア様は強すぎる方。

 シルビア様は優しいけれど、人を傷つけてしまう方。


 優しい言葉で、心配する顔で、誰にも悪意と分からないように。

 いつか王太子が、やはりシルビアでは無理だと思うように。


 そのとき、隣にいるべきなのは誰か。


 クラリスは窓に映る自分の姿を見た。

 穏やかに微笑む、伯爵令嬢。

 控えめで、優しくて、誰からも好かれる少女。


 自分なら、もっとうまくやれる。

 クラリスはそう信じていた。


 屋敷を出る前、彼女は一度だけ振り返った。

 遠くの廊下の先に、黒猫が座っていた。

 金色の目で、じっとこちらを見ている。

 クラリスは微笑んだ。


「本当に、邪魔な猫」

 声には出さなかった。

 唇だけが、そう動いた。

 黒猫は動かない。

 まるで、聞こえているかのようだった。

 クラリスは静かに礼をし、馬車へ向かう。


 いつか。

 シルビアが、その座にふさわしくないと誰かが気づく日まで。

 その日まで、自分はただ微笑んでいればいい。

 優しい従姉妹として。

 誰よりも、シルビアを心配する顔で。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


続きが何か気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。

黒猫一匹と作者が喜びます。

ありがとうございました!

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