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転生した黒猫は悪役令嬢を改造したい 〜極悪非道のはずのお嬢様が、ただの不器用ポンコツだったので断罪エンドを全力で回避します!〜  作者: ゼロブロ
第2章 黒猫、王太子の靴ひもを狙う

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13/58

第13話 悪役令嬢、ありがとうに挑む

完結確定。

毎日朝7時に更新します。

よろしくお願いします。

 シルビア・グランベルは、少しずつ変わっている。


 これは、黒猫である私が胸を張って保証する。

 以前のシルビアなら、何かをしてもらったとき、口から出る言葉は決まっていた。

「当然ですわ」

 あるいは。

「その程度、できて当たり前でしょう」

 または。

「礼を言われるほどのことではありません」

 違う。

 礼を言うのは、あなたの方である。

 何度そう思ったか分からない。


 けれど最近、シルビアは少しずつ「ありがとう」を覚え始めた。

 最初は、私が足を噛んだ。

 エマに新しいインクを用意してもらったとき、シルビアは「当然ですわ」と言いかけたので、そこで足首にかぷりと。

  必要措置である。

 その結果、シルビアは顔を真っ赤にしながらも、小さく言えた。

「……ありがとう、エマ」


 あれは大きな一歩だった。

 その後も、私は地道な教育を続けている。


 言い方がよければ、すり寄る。

 悪役っぽければ、背を向ける。

 危険な発言が出そうになれば、鳴く。

 どうしても止まらなければ、噛む。

 猫にできる教育としては、かなり高度である。


 そして、シルビアは賢い。

 私の反応と自分の言葉を、少しずつ結びつけ始めている。

 たとえば、侍女が髪飾りを直してくれたとき。

「……直してくれて、ありがとう」

 と、小さく言えるようになった。

 だがそのあと必ず。

「で、でも、次は最初からずれないようにしなさい」

 と余計な一言がつく。

 悪役令嬢ポイント、微加算。


 しかし、ありがとうが出るだけ大きな進歩だ。

 また、庭師が季節の花を整えたとき。

「……綺麗に整えましたのね」

 まで来た。

 ありがとうではない。

 だが、褒め言葉にはなっている。

 進歩である。


 問題は、シルビアの「ありがとう」がまだ非常に小さいことだ。

 ……ほとんど聞こえない。

 本人も照れてすぐ顔をそむけるし。

 言われた相手は「今、何かおっしゃった?」という顔をする。

 結果、シルビアがせっかく頑張っても、ほぼ周囲に伝わりきらない。


 悪役令嬢ポイントを下げるには、本人の変化を周囲に認識してもらう必要がある。

 つまり、次の課題はこう。


 人前で、聞こえる声で、ありがとうを言う。

 難易度が高い。


 そんなある日の午後。

 絶好の機会がやって来た。


 屋敷の大広間で、ちょっとした準備が行われていた。

 数日後、グランベル公爵家に親戚筋の客人が来るらしい。

 そのため、使用人たちは花瓶や絨毯、カーテンの配置を整えている。

 シルビアも、母である公爵夫人に連れられて大広間へ来ていた。


「シルビア。客人を迎える場所を見ることも、公爵家の娘として大切な勉強ですよ」

「はい、お母様」

 シルビアは真剣にうなずいた。

 私はその足元にいる。


 大広間には使用人が多い。

 エマの姿もある。

  医務室に荷物を運んでいた少女もいた。

  以前、シルビアに治癒魔法で指を治してもらった少年もいる。


 そして、少し離れた廊下の柱の陰には、灰色のスカートの侍女。

 私は耳を動かした。

 やはりいる。


 シルビアの周囲で人が集まる場所には、だいたい彼女がいる。

 ならば、なおさら好都合だ。


 シルビアが人前で「ありがとう」を言えれば、灰色の侍女がどう切り取ろうとしても、見ている人間が多い。

 噂を悪い方向へ曲げにくくなる。

 私は静かにしっぽを揺らした。

 これは好機である。


 大広間の中央では、数人の使用人が大きな花瓶を運んでいた。

 白い陶器の花瓶で、子どもの背丈ほどもある。

 そこに季節の花を生けるらしい。

 使用人たちは慎重に動いている。


 その中に、エマもいた。

 彼女は花瓶そのものではなく、花を入れた籠を運んでいる。

 籠には白い花と淡い青の花がたっぷり入っていた。

 おそらく、シルビアの今日のドレスに合わせた色だろう。

 シルビアはそれを見て、少し目を細めた。

 ……見ようとしているだけである。


 だが、使用人たちが一瞬身構えた。

 まだまだ表情問題は根深い。

 公爵夫人が穏やかに言う。


「シルビア、どう思いますか?」

 シルビアは広間を見渡した。

 目を細める、眉間にしわ、美形の圧。

 使用人たちの背筋が一瞬で伸びる。


「……花の色は、悪くありませんわ」

 悪くありませんわ。

 褒め言葉である。

 シルビア基準ではかなり褒めている。

 だが、相変わらず伝わりにくい。

 公爵夫人は慣れているのか、微笑んだ。


「そう。では、この配置でよさそうね」

 そのときだった。

 エマが花の籠を持って移動しようとした瞬間、床に仮置きされていた布の端に足を引っかけた。

「あっ」

 籠が大きく傾く。

 花が落ちる。


 その先には、先ほど運ばれてきた大きな花瓶。

 花が散るだけならまだいい。

 だが、エマが体勢を崩したまま花瓶にぶつかれば、花瓶も倒れる。

 大惨事である。

 使用人たちが息をのむ。


 シルビアが動いた。

 反応は早かった。

 彼女はすぐに駆け寄り、エマの腕をつかんだ。

「危ないですわ!」

 シルビアの小さな手が、エマを支える。


 同時に、私は床を蹴った。

 落ちかけた花の籠へ飛びつく。

 さすがに籠を支えることはできない、猫なので。


 だが、私は籠の端に体をぶつけ、落ちる向きをずらした。

 籠は花瓶ではなく、床の空いた場所へ倒れる。


 白と青の花が床に散らばる。

 花瓶は無事。

 エマも転ばなかった。


 シルビアはエマの腕をつかんだまま、ほっと息を吐いた。

 そして。

「何をしているのですか!」

 出た。

 心配が怒声になる現象。

 大広間の空気が凍る。

 エマは青ざめた。


「も、申し訳ございません、お嬢様!」

 シルビアは眉を寄せている。

 怖い。

 本人はたぶん心配しているだけなんだが、完全に叱っている。


 悪役令嬢ポイント、急上昇。

 灰色の侍女が、柱の陰でかすかに目を細めた。

 まずい。


 このままでは、「エマが転びかけたところを、シルビアが叱りつけた」という噂になる。

 違う、シルビアは助けたのだ。

 私はすぐにシルビアの足元へ行き、短く鳴いた。


「にゃ」

 違うだろう。

 ここだ。

 ここで言い直せ。

 シルビアは私を見る。


 まだエマの腕をつかんでいる。

 エマは震えている。

 大広間の使用人たちは、固唾をのんで見守っている。

 公爵夫人も、少しだけ真剣な目でシルビアを見ていた。


 ここで変われるか。

 私はもう一度鳴いた。

「にゃ」

 シルビアは唇を引き結んだ。

 そして、エマの腕をそっと離す。


「……怪我は?」

 小さな声だった。

 だが、大広間は静かだったので、その声はよく通った。

 エマが目を丸くする。

「え……」


「怪我はありませんの?」

 今度は、もう少しはっきり。


 エマは慌てて自分の腕や足を確認した。

「は、はい。ございません」

 シルビアの肩から、ほんの少し力が抜けた。

「そう。なら、よろしいですわ」

 いい。

 かなりいい。

 私は内心でうなずいた。

 だが、ここで終わってはいけない。


 エマを助けたし無事。

 そして花瓶も守られた。

 しかし、花は床に散らばっている。

 使用人たちが動こうとした。

 するとシルビアは、さっと視線を落とした。


「花が……」

 シルビアは床に散らばった白い花を見た。

 少しだけ残念そうな顔をする。

 それから、膝を折った。

 大広間がざわめく。

 公爵令嬢が、自分で床の花を拾おうとしているのだ。

 エマが慌てた。


「お嬢様! そのようなことは私どもが」

「わたくしが落としたわけではありませんけれど、ノワールが飛び込んだせいで散らばった花もありますわ」

 私のせいにされた。

 いや、半分合っている。

 必要措置だったが、言い方というものがある。


 シルビアは花を一輪拾い上げた。

「それに、花が踏まれたらかわいそうでしょう」

 私は耳を立てた。

 今の言葉。

 とても良い。

 花が踏まれたらかわいそう。

 七歳の女の子らしい優しさが、そのまま出た。


 大広間にいた使用人たちも、少し驚いたように見ている。

 シルビアは自分が何を言ったか気づいたのか、すぐに顔を赤くした。


「……いえ。床が汚れるからですわ」

 戻った。

 照れ隠しで戻った。

 しかし遅い。


 今の「かわいそう」は聞こえていた。

 エマが少しだけ笑った。

「はい。踏まれないように、すぐ拾いますね」

 シルビアは顔をそむけた。

「そうなさい」

 命令形。


 だが、今のは許容範囲だ。

 エマと数人の使用人が花を拾い始める。

 シルビアも一輪だけ拾ったまま立ち上がった。

 その花は、茎が少し折れていた。

 白い小さな花だった。

 シルビアはそれを見つめる。

「これは、もう飾れませんわね」

 少し寂しそうな声だった。


 エマが申し訳なさそうに頭を下げる。

「申し訳ございません」

「あなたのせいだけではありませんわ」

 お、私はシルビアを見る。

 今のはいい。

 シルビアは続けた。


「わたくしも、もう少し早く気づけばよかったのです」

 大広間が静かになった。

 使用人たちが、一斉にシルビアを見た。

 公爵夫人も、少し驚いたように目を細める。

 シルビアは、自分が注目されていることに気づき、さらに顔を赤くした。


「な、何ですの。皆でこちらを見て」

 照れている。

 完全に照れている。

 かわいい。


 今のは大きい。

 シルビアが、自分にもできることがあったと認めた。

 誰かを一方的に責めなかった。

 悪役令嬢ポイント、大幅減点である。

 私はシルビアの足元にすり寄った。


「にゃ」

 よく言えた。

 シルビアは私を見下ろす。

 その顔には、少しだけ不安があった。

 たぶん、今の言葉が正しかったのか分からないのだろう。

 私はもう一度すり寄った。


「にゃ」

 正解だ。

 そのまま進め。

 エマが花を拾い終え、シルビアの前に立った。


「お嬢様、助けてくださってありがとうございました」

 来た。

 私は耳を立てた。

 ここだ。

 ここである。


 人前で、ありがとうを受け取れるか。

 そして、必要なら自分からも言えるか。

 シルビアは固まった。


 大広間中の視線が集まっている。

 使用人たち、公爵夫人、灰色の侍女。

 全員が見ている。

 シルビアの顔がみるみる赤くなっていく。

 逃げたいのだろう。


 分かる。

 この子は、お礼を言われることにも慣れていない。

 ましてや、人前で感謝を受け取るなど、かなり難しい。


 いつものシルビアなら、こう言う。

 当然ですわ。

 あるいは。

 あなたが転びそうだったから仕方なくです。

 だが、それではだめだ。

 私はシルビアの足に前足を置いた。


「にゃ」

 大丈夫。

 言え。

 シルビアは私を見る。

 それから、エマを見る。

 唇が震える。


「と……」

 と?

 当然、ではないだろうな。

 私は少しだけシャキンと、シルビアに見えるように、爪を出した。

 シルビアがビクッとする。


「……当然、ではなくて」

 おお。

 自分で止めた。

 シルビアはぎゅっと手を握った。

 それから、エマへ向き直る。


「無事で、よかったですわ」

 大広間が、ふっと息をのんだ。


 エマの目が丸くなる。

 シルビアはさらに顔を赤くした。

 だが、逃げなかった。

「それと……花を、拾ってくれて」

 言葉が途切れる。

 頑張れ!!

 あと少しだ。


「……ありがとう」

 言った。

 言ったーーーーー!

 もちろん私は、内心で飛びあがりながらガッツポーズをした。


 聞こえる声だった。

 小さいけれど、ちゃんと大広間に届く声だった。

 エマはしばらく固まっていたが、それからぱっと顔を輝かせた。


「はい、お嬢様!」

 その声があまりにも嬉しそうだったので、シルビアは完全に真っ赤になった。


「そ、そんなに大きな声で返事をしなくてもよろしいですわ!」

 悪役令嬢ポイント、微加算。

 だが問題ない。

 今の「ありがとう」で、すべて帳消しである。

 使用人たちの間に、小さなどよめきが広がった。


「お嬢様が……」

「ありがとうって……」

「今、確かに……」

 聞こえている。

 見られている。

 シルビアが人前で感謝を伝えたことが、ちゃんと共有されている。


 これは大きい。

 かなり大きい。

 灰色の侍女は、柱の陰で表情を変えなかった。

 だが、その指先がわずかに動いた。

 面白くないのだろう。

 今日の場面は悪評にしにくい。


 エマを助け、怪我を確認し、自ら花を拾った。

 そして人前で「ありがとう」と言った。

 どこを切り取っても、完全な悪役にはしづらい状況だ。

 私は心の中で勝利を確信した。


 黒猫式・悪役令嬢改造計画。

 大きく前進。


 その後、公爵夫人がそっとシルビアに近づいた。

「シルビア」

「は、はい、お母様」

 シルビアはまだ赤い顔のまま、背筋を伸ばす。

 公爵夫人は優しく微笑んだ。

「とてもよくできましたね」

 シルビアは固まった。

 褒められた。

 母に。

 人前で。

 顔がさらに赤くなる。


「こ、この程度、当然ですわ」

 ……戻った。


 しかし、公爵夫人は気にしなかった。

 むしろ、少し楽しそうに微笑む。

「そうね。でも、あなたの言葉で伝えられたことが、とても大切なのですよ」


 シルビアは何も言えなくなった。

 軽くドレスを両手で握り、少しだけうつむく。

 その耳は真っ赤だった。

 私は足元からその様子を見上げて、満足した。

 いい。

 今日はとてもいい。

 そしてかわいい。


 シルビアは、ちゃんと変われる。

 本人も、周囲も、それを少しずつ分かり始めている。


 大広間の片づけが再開された。

 使用人たちの空気は、先ほどまでと少し違っていた。


 まだ緊張はある。

 まだシルビアを怖がっている者もいる。

 けれど、そこに少しだけ、別の感情が混ざった。

 驚きと戸惑い、そして、好意。


 小さな変化だ。

 だが、悪役令嬢への道を逸らすには、こういう小さな変化が必要なのだ。

 シルビアは大広間を出ると、すぐに私を抱き上げた。


「ノワール」

「にゃ」

「あなた、さっき爪を出しましたわね」

 目をそらす。


「にゃ」

 気のせいです。

「気のせいではありませんわ。しっかり見えましたもの」

 必要措置である。


 シルビアはむっとした顔をしていたが、怒ってはいなかった。

 むしろ、どこか落ち着かない様子だった。


「……わたくし、変ではありませんでしたかしら」

 私はシルビアを見上げた。

 変ではなかった。

 とてもよかった。

 あなたはちゃんと、自分の言葉で伝えられた。

 私は彼女の胸元に頭をすり寄せた。


「にゃ」

 シルビアの腕の力が、少しだけ抜ける。

「そう」

 彼女は小さく息を吐いた。

「なら、よかったですわ」

 その声は、とても小さかった。

 けれど、少しだけ嬉しそうだった。


 その日の夕方。

 屋敷の中で噂が回っていた。


 お嬢様が、エマを助けたらしい。

 お嬢様が、花を拾ったらしい。

 お嬢様が、ありがとうとおっしゃったらしい。


 信じられない、と言う者もいた。

 でも、見た者が多かった。


 エマは嬉しそうに話した。

 医務室の少女も「お嬢様は本当はお優しいのかも」と言った。

 指を治してもらった少年は「治癒魔法もすごかった」と言った。


 少しずつ。

 本当に少しずつ。

 シルビアの評判が、屋敷の中で揺れ始めている。

 悪い方だけではなく。

 良い方へも。


 私は廊下の窓辺に座り、その噂を聞いていた。

 すると、背後から静かな足音がした。

 振り返る。

 灰色の侍女がいた。

 彼女は私を見下ろしている。

 穏やかな顔、丁寧な所作。

 けれど、やはり目は笑っていない。


「賢い猫ね」

 彼女は小さく言った。

 私はじっと彼女を見返した。


「お嬢様が変わられたのは、あなたのせいかしら」

 声は柔らかい。

 だが、その奥に冷たさがある。

 私はしっぽをゆっくり揺らした。

 灰色の侍女は、薄く笑う。

「困る人も、いるでしょうね」

 そう言って、彼女は何事もなかったように歩き去った。

  足音は静かで、廊下にほとんど残らなかった。


 私はその後ろ姿を見つめた。

 やはり。


 シルビアが変わることを、面白く思わない人間がいる。

 屋敷の中に。

 あるいは、その外に。

 私は静かに爪を出した。


 シルビアは今日、初めて人前でありがとうを言えた。

 この小さな一歩を、壊させるわけにはいかない。


 悪役令嬢断罪エンド回避担当、黒猫ノワール。

 次の任務は、もう決まっている。


 灰色の侍女の正体を探ること。

 そして、シルビアの変化を守ることだ。

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