第12話 悪役令嬢、治癒魔法は優しいのにカツアゲに見える
完結確定。
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シルビア・グランベルは、治癒魔法が得意らしい。
それを私が知ったのは、王太子アレクシスに魔法理論の本を貸してから数日後のことだった。
ちなみに今日は、アレクシス王太子がその本を返しに来る予定の日でもある。
そのせいか、シルビアは朝から少しだけ落ち着かない。
治癒魔法に関してだが、最初に言っておく。
とても似合わない。
いや、シルビア本人に治癒魔法が似合わないという意味ではない。
本質的には、かなり似合っている。
この子は、困っている人や怪我をしている人を放っておけないし、相手を助けようとする気持ちがとても強いから。
問題は、見た目と口調である。
目つきが鋭い。
表情が固い。
言い方が強い。
父親似の超絶美形による圧もある。
そんなシルビアが治癒魔法を使うと、どうなるか。
善行なのに、取り立てに見えるのである。
または、カツアゲにも見える。
その日、私はシルビアと一緒に屋敷の廊下を歩いていた。
シルビアは午前の授業を終え、少し疲れているようだった。
それに、今日はアレクシス王太子が来る予定もある
そのせいか、いつもより少しだけ背筋が硬い。
「疲れてなどおりませんわ」
まだ誰も何も言っていないのに、そう言った。
分かりやすい。
私は彼女の足元を歩きながら、ちらりと顔を見上げる。
少し顔色が悪い。
たぶん目も疲れている。分厚い本を長く読んでいたせいだろう。
視力問題は、やはり早急に対応すべきだ。
だが、今の私にできることは少ない。
メガネ職人を探すにも、猫の足では限界がある。
私は小さくため息をついた。
そのとき、廊下の向こうから慌ただしい声が聞こえた。
「あっ」
続いて、何かが落ちる音。
金属が床に当たり、かしゃんと響く。
シルビアが足を止めた。
私も耳を立てる。
角を曲がった先で、若い使用人が膝をついていた。
少年だ。
年は十三、四歳くらいだろうか。
銀のトレイを運んでいたらしいが、足元に落としてしまったようだ。
トレイの上に乗っていた小さなナイフが、床に転がっている。
そして、少年の指から血が出ていた。
浅い傷ではあるようだが、白い手袋に赤がにじんでいる。
少年は慌てて傷を隠そうとした。
「申し訳ございません、お嬢様!すぐに片づけます!」
シルビアの眉が寄る。
まずい。
この顔は怖い。
本人はたぶんすごく心配している。けれど外見は完全に「失態を責める公爵令嬢」である。
「あなた」
「は、はいっ!」
「その手を見せなさい」
出た。
命令形。
少年の顔色が悪くなる。
「こ、これは大した傷では」
「大した傷かどうかは、わたくしが見てから判断しますわ」
怖い。
「早く出しなさい」
……カツアゲ。
治療前の台詞ではなく、脅しの台詞である。
少年は震えながら手を差し出した。
シルビアはその手袋を見て、さらに眉を寄せる。
「血が出ているではありませんか」
「すぐに洗って参ります」
「そのまま動けば、床に血が落ちますわ」
言い方。
そうではない。
たぶん「動くと傷が開くからじっとしていて」と言いたいのだろう。
だが、今の言い方では「床を汚すな」に聞こえる。
悪役令嬢ポイント、加算。
私はシルビアの足元で鳴いた。
「にゃ」
言い直せ。
今のは危険だ。
シルビアは一瞬、私を見た。
そして、少しだけ口を閉じる。
「……傷が開きます。じっとしていなさい」
お、改善。
命令形は残ったが、意味はかなり良くなった。
少年も少し驚いたように顔を上げる。
シルビアは少年の手を取り、手袋を外した。
白い指先に、小さな切り傷がある。
シルビアはその傷を見て、静かに息を吐いた。
「まったく。その程度の傷で仕事の質を落とされては困りますわ」
惜しい。
非常に惜しい。
だが次の瞬間、シルビアの手元に淡い光が灯った。
金色に近い、やわらかな光。
私は目を見開く。
魔法だ。
シルビアの小さな手が、少年の指先を包む。
光が傷口に触れ、じんわりと広がる。
切れていた皮膚が、ゆっくり閉じていく。
赤い血が止まり、痛みが消えたのか、少年の表情が変わった。
ほんの数秒。
傷は跡形もなくなっていた。
治癒魔法。
私は思わずシルビアを見上げた。
悪役令嬢シルビアが、治癒魔法。
ゲームでは、そんな描写はなかったはずだ。
少なくとも、私は印象に残っていない。
でも、考えてみればおかしくはない。
シルビアは魔法理論も学んでいるし、公爵家の娘として教育も受けている。
努力家で、真面目だ。
そして何より、困っている人を放っておけない。
治癒魔法が得意でも、不思議ではない。
ただし、言い方がカツアゲだが。
「これでよろしいでしょう」
シルビアは少年の手を離した。
「次からは、刃物の扱いに気をつけなさい。怪我をされると迷惑ですわ」
迷惑。
またそれ。
少年は呆然としていた。
怒られたのか、助けられたのか、理解が追いついていない顔である。
しかし、やがて自分の指を見て、小さく息をのんだ。
「治ってる……」
シルビアはぷいっと顔をそむける。
「当然ですわ」
少年は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます、お嬢様!」
シルビアは一瞬固まった。
お礼に弱い。
何度見ても分かりやすい。
「お礼など……」
私はすかさず鳴いた。
「にゃ」
だめだ。
受け取れ。
シルビアは私をちらりと見る。
それから、少しだけ頬を赤くしながら言った。
「……どういたしまして」
言えた。
私は心の中で前足を振り上げた。
黒猫式・悪役令嬢改造計画、順調である。
少年はますます驚いた顔をしていた。
だが、その表情には怯えだけではなく、少しの感謝があった。
よし。
ここまでは良い流れだ。
そう思ったときだった。
「シルビア嬢?」
廊下の向こうから声がした。
私は耳を立てる。
そこにいたのは、アレクシス王太子だった。
なぜいる。
私は一瞬固まった。
今日は、彼が魔法理論の本を返しに来る日だった。
公爵と少し話したあと、シルビアに直接返す予定だったはずだ。
分かっていた。
分かっていたが、使用人の怪我で意識が完全にそちらへ持っていかれていた
アレクシスは、少し驚いた顔でこちらを見ていた。
手には、シルビアが貸した本を抱えている。
彼の後ろには、案内役の使用人が控えていた。
シルビアはすぐに背筋を伸ばした。
「ごきげんよう、アレクシス殿下」
声が硬い。
顔も硬い。
治癒魔法を使っていたときの柔らかさが、一瞬で消えた。
公爵令嬢モード起動である。
アレクシスは礼を返した。
「ごきげんよう。今のは……治癒魔法?」
「ええ」
シルビアは何でもないことのように答えた。
「少し手を切っていたようでしたので、処置をしただけですわ」
処置。
言葉が硬い。
少年は慌てて頭を下げた。
「お嬢様に治していただきました」
アレクシスは少年の指を見たあと、シルビアへ視線を戻した。
「シルビア嬢は、治癒魔法も使えるんだね」
シルビアは少しだけ目を伏せる。
「基礎程度ですわ」
嘘だ。
今のはかなり綺麗だった。
傷を一瞬で塞ぐだけでなく、少年の痛みも消えているようだ。
七歳の子どもの基礎程度ではない。
アレクシスも同じことを思ったのか、素直に言った。
「すごいと思う」
シルビアが固まった。
褒められた。
王太子に。
シルビアの頬が、じわじわ赤くなる。
だが、ここで素直に「ありがとうございます」とは言えないのが、シルビアである。
「こ、この程度、公爵家の娘として当然ですわ」
悪役令嬢ポイント、加算。
私は即座に鳴いた。
「にゃ」
シルビアは私を見る。
それから、少し悔しそうな顔で言い直した。
「……お褒めいただき、ありがとうございます」
よし。
アレクシスは少し驚いたあと、微笑んだ。
「うん」
良い。
かなり良い。
だが、問題はここからだった。
少年が落としたトレイを拾おうとすると、シルビアはそれを見てまた眉を寄せた。
「あなた、治ったからといってすぐに動くのはおやめなさい。少しは自分の体を大事になさい」
お、今のはかなり良い。
少しきついが、意味は伝わる。
少年は驚いたように目を丸くした。
「は、はい!」
アレクシスも、その言葉を聞いていた。
シルビアはさらに続ける。
「あなたが倒れたら、周囲の者が困ります。仕事は一人でしているのではないのですから」
これも良い。
言い方は相変わらず堅いが。
でも、周りへの影響を考えろという教えになっている。
シルビア、今日は調子が良い。
私は満足しかけた。
その瞬間。
灰色のスカートが、廊下の角に見えた。
例の侍女だ。
彼女は少し離れた場所で、こちらを見ている。
私は目を細める。
シルビアの治癒魔法を見た。
使用人を助けた場面を見た。
これをどう広めるか。
「お嬢様が使用人を助けた」と広めるのか。
それとも、「怪我をした使用人に仕事の質を落とすなと叱った」と広めるのか。
前者と後者では、印象がまるで違う。
私は一歩、灰色の侍女の方へ進んだ。
しかし、その前にアレクシスが口を開いた。
「シルビア嬢は、優しいんだね」
廊下が静かになった。
私は固まった。
シルビアも固まった。
使用人の少年も固まった。
灰色の侍女だけが、わずかに眉を動かした。
アレクシスは、少し照れたように続ける。
「言い方は、その……少し厳しいけれど。でも、怪我をした人を放っておけないんだと思った」
私はアレクシスを見上げた。
見えているではないか。
少しだけだが。
ちゃんと見えているではないか。
観察力、微増どころではない。
今のはかなり大きい。
シルビアは顔を真っ赤にした。
「や、優しいなど、そのような……!」
完全に動揺している。
「わたくしはただ、使用人が怪我をしたままでは、屋敷の運営に支障が出ると思っただけですわ!」
照れ隠しがひどい。
だが、アレクシスは今度は怯まなかった。
「それでも、治してあげたでしょう」
シルビアは言葉に詰まった。
私は内心でうなずく。
そうだ。
そこを見ろ。
言葉ではなく、行動を見ろ。
アレクシスは、シルビアの行動を初めて少し正しく見た。
これは大きな一歩である。
ただし、シルビア本人は対応できていない。
「……殿下は、少し変わっていらっしゃいますわ」
なぜそうなる。
優しいと言われて、返答がそれか。
アレクシスは目を瞬いた。
「僕が?」
「ええ。わたくしを、そのようにおっしゃる方は、あまりいませんもの」
その声は少しだけ小さかった。
私はシルビアを見た。
彼女は視線をそらしているが頬は赤いまま。
でも、その奥にほんの少しだけ、戸惑いがあった。
優しい。
そう言われ慣れていない。
家族はきっと言ってくれる。
兄も「お前は優しい」と言った。
だが、家族以外から、特に王太子からそう見られるとは思っていなかったのだろう。
アレクシスは少し考えてから言った。
「変でもいいよ。僕は、そう思ったから」
そう言って笑う。
おお。
王太子。
今日、かなり頑張っている。
私は見直した。
顔はいい、身分もいい、礼儀もある。
観察力はまだ不足。
ただし、改善傾向あり。
国家運営への不安、さらに少し軽減。
その後、アレクシスは本を返した。
「借りた本、とても分かりやすかった。ありがとう」
シルビアはまだ少し動揺していたが、ちゃんと言った。
「どういたしまして」
よし。
完璧ではないが、非常によい。
アレクシスが帰る頃には、シルビアの表情はまだ硬かった。
だが、前回ほど悲しそうではなかった。
むしろ、少し混乱しているように見える。
優しいと言われたこと。
治癒魔法を褒められたこと。
アレクシスが自分を少し違う目で見たこと。
それらを、どう受け取ればいいのか分からないのだろう。
帰り際、アレクシスは私を見ると小さく笑った。
「今日は靴ひもを引っ張らなかったね」
「にゃ」
今日は自力で少し頑張ったからな。
アレクシスは少し身をかがめる。
「僕、少しは正しく言えたかな」
私は目を丸くした。
王太子が、猫に確認している。
非常に奇妙な光景だ。
だが、悪くない。
私は短く鳴いた。
「にゃ」
及第点。
アレクシスは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、攻略対象らしい爽やかなものだった。
ただし、まだ油断はしない。
この少年は、少し良くなったと思った次の瞬間にまた誤解する可能性がある。
観察力はまだ育て始めたばかりなのだ。
王太子が帰ったあと、シルビアは私を抱き上げた。
「ノワール」
「にゃ」
「殿下は……本当に、わたくしが優しいと思われたのかしら」
声が小さい。
私はシルビアを見上げた。
「にゃ」
思ったのだと思う。
少なくとも、今日の彼はそう見た。
シルビアは少しだけ目を伏せた。
「……変な方」
そう言いながら、口元がほんの少しだけゆるんでいた。
よかった。
ほんの少し。
ふたをした小さな恋心に、外から光が当たったような気がした。
しかし、安心するにはまだ早い。
私は廊下の向こうを見る。
灰色の侍女は、もういなかった。
だが、彼女は今日の場面を見ていた。
王太子が、シルビアを優しいと言った。
使用人が、シルビアに感謝した。
それは、悪評を作る誰かにとって、きっと邪魔な情報だ。
私はシルビアの腕の中で、静かに目を細めた。
シルビア本人は少しずつ変わっている。
アレクシスもまた少しずつ見始めている。
だからこそ、悪評を作る側も動くかもしれない。
治癒魔法で傷は癒やせるが、噂でできた傷は、そう簡単には治らない。
私は小さく喉を鳴らした。
次は、灰色の侍女の動きをもっと追わなければ。
悪役令嬢にされる未来は、まだ遠い。
だが、その種はもう、この屋敷の中にあるようだ。




