第33話 救えなかったもの
報告は、遅れて届いた。
それが、最初の違和感だった。
本来なら、封鎖の報告と同時に届くはずのもの。
それが、数日遅れて、ようやく。
わたくしの前に置かれている。
「……こちらです」
エドガーの声は、いつもと変わらない。
だが。
ほんのわずかに、低かった。
わたくしは、その紙に手を伸ばす。
触れた瞬間。
なぜか、少しだけ冷たく感じた。
目を通す。
短い。
簡潔な報告。
だが。
その内容は。
重かった。
――封鎖地域内において、対象外住民の移動を制限。
――一部において、強制隔離を実施。
――隔離中の死亡者、確認。
そこで、視線が止まる。
わたくしは、もう一度、その行を読む。
――死亡者、確認。
それだけ。
人数も、名前も、書かれていない。
ただ。
結果だけが、そこにある。
「……これは」
声が、わずかに掠れた。
「補遺記録を根拠にした判断です」
エドガーが言う。
その言葉は、静かだった。
だが。
逃げ場はない。
わたくしは、紙を持つ手に力が入るのを感じた。
あの記録。
南部の移動集落について書いた補遺。
あれは。
可能性の一つだった。
確定ではない。
だからこそ。
慎重に扱うべきものだった。
それが。
切り取られて。
「危険」と判断されて。
封鎖が行われた。
そして。
その中にいた人々が。
巻き込まれた。
「……対象外、というのは」
言葉を絞り出す。
「記録に該当しない住民です」
エドガーは答える。
「ですが、同地域にいたため、一括で隔離されたと」
それは、合理的な判断だ。
現場としては。
不確定要素を排除するために。
範囲を広く取る。
その結果。
対象外の人間も、含まれる。
そして。
その中で。
死亡者が出た。
わたくしは、何も言えなかった。
頭の中で、あの記録を思い返す。
あのとき、書いた言葉。
曖昧な表現。
複数の可能性。
それらが。
どのように使われたのか。
もう、わかっている。
「……これは」
小さく呟く。
「わたくしの、記録です」
それは、確認だった。
逃げることはできない。
あれは、自分が書いたものだ。
その結果が。
ここにある。
エドガーは、何も言わない。
その沈黙が、すべてだった。
わたくしは、ゆっくりと椅子に座る。
手の中の紙が、わずかに震えている。
止めようとしても、止まらない。
これは。
初めてだった。
記録が。
人を救ったのではなく。
傷つけた。
その現実。
「……もし」
言葉が、自然と出る。
「書かなければ」
その先は、言えなかった。
意味がないから。
もう、起きたことは変わらない。
それでも。
考えてしまう。
あのとき。
書かなければ。
この結果は、なかったのか。
それとも。
別の形で、同じことが起きたのか。
答えは、ない。
ただ。
ひとつだけ、確かなことがある。
この結果に。
自分は関わっている。
わたくしは、ゆっくりと立ち上がる。
帳簿に視線を落とす。
そこにあるのは。
まだ書かれていないページ。
白い。
何もない。
その上に。
何を書くのか。
その意味が。
これまでとは、まったく違って見える。
「……セシリア様」
エドガーが、静かに呼ぶ。
わたくしは振り返らない。
「……書きます」
それだけ、答える。
声は、少しだけ低かった。
けれど。
はっきりとしている。
やめることはできない。
消すこともできない。
だから。
書く。
それしかない。
ただ。
これまでと同じではいられない。
わたくしは、筆を取る。
そして。
新しいページに、最初の一行を書いた。
――本記録は、不確実な情報を含む。
手が、少し震える。
それでも。
書き続ける。
もう。
知らなかったとは、言えない。
それでも。
残す。
その意味を。
背負ったまま。
読んでいただきありがとうございます。
ここで初めて、
「残すことの代償」が明確に描かれました。
正しさだけでは済まない世界。
セシリアは、ここから
“本当の選択”を迫られます。
次話は最終対立です。
ぜひブックマークして続きを追ってください。
ここから物語の核心に入ります。




