七 終わらなかった後悔
その声で、場の向きが変わった。
今、私の内側に現れているものへ、静かに席が用意されたのだと思った。
しばらく、何も言葉が出なかった。
やがて、私の口が動いた。
「この方の、過去のひとつです」
私は、その言葉を聞いていた。
自分の口から出ているのに、遠くから聞いているようだった。
「この方の中に残っていた願いです」
声は続けた。
「終わらなかった後悔です」
胸の奥が震えた。
「私は、秘術を形だと思っていました」
その声は、静かだった。
けれど、深いところに悔いを含んでいた。
「正しい言葉。正しい手順。正しい沈黙。正しい導き方。それを身につければ、人を救えるのだと思っていました」
私は、その言葉を聞きながら呼吸をしていた。
今の私にも、それは刺さった。
正しい距離。
正しい言葉。
正しい待ち方。
正しい透明さ。
私は、どこかでそれを探していた。
「でも、術は形ではありませんでした」
声は続けた。
「その時、その人、その場に、何が起きているかを見続けることでした」
部屋の空気が、深く静まった。
「私は、見ることをやめたのです」
過去の声が言った。
「相手を見ているつもりで、自分の願いを見ていました」
苦しむ人を救いたい。
その思いは、嘘ではなかった。
でも、その中に、混じっていた。
認められたい心。
師に近づきたい心。
特別な者でありたい心。
救える自分でありたい心。
「それらが混じった時、私は、相手の魂の歩みを待てなくなりました」
声は、そこで一度止まった。
「私は、開けてしまいました」
静かな声だった。
「その方が、まだ一人では立てない場所の扉を、開けてしまいました」
しばらく、何も聞こえなかった。
私は泣いていた。
今の私が泣いているのか、過去のその人が泣いているのか、わからなかった。
たぶん、どちらでもあった。
その涙だけが、今の私の頬を伝っていた。
石の床の冷たさは、まだ胸の奥に残っている。
けれど、身体は奥の部屋の椅子に沈んでいた。
主人は、少し離れた場所に座ったまま、何も言わなかった。
その沈黙は、私たちを急がせなかった。
やがて、主人が静かに尋ねた。
「今の水瀬さんに、伝えたいことはありますか」
私の口が、ゆっくり開いた。
「同じ過ちを、してほしくありません」
声は、震えていた。
「助けたいと思うことは、悪いことではありません」
私は、その言葉を聞いた。
「けれど、助けたい心は、澄んでいなければなりません」
澄んでいなければならない。
その言葉は、厳しく聞こえた。
けれど、冷たくはなかった。
「澄んでいるとは、何も感じないことではありません。愛がないことではありません。悲しまないことでも、揺れないことでもありません」
声は、少しずつ深くなっていった。
「自分の心に何が混じっているかを、見失わないことです」
私は、息を吸った。
「救いたい心に、認められたい心が混じっていないか。相手を思う言葉に、自分を安心させたい思いが混じっていないか。沈黙の中に、相手を待つ愛ではなく、何もできない自分を隠す臆病さが混じっていないか」
言葉は、ひとつひとつ胸に落ちていった。
「見続けなさい」
その声が言った。
「形を覚えるのではなく、見続けなさい」
私は、深く息を吐いた。
過去の人の悔いが、私の中に流れていた。
けれど、それは罰ではなかった。
私を責めるために現れたものではなかった。
同じ場所で、もう一度立ち止まるために現れたものだった。
主人が、静かに言った。
「あなたは、この方をお守りしている方ですか」
部屋の空気が、少し変わった。
私の口が、ゆっくり答えた。
「いいえ」
声は、先ほどよりも少し遠かった。
「私は、この方の過去のひとつです」
少し間があった。
「この方をお守りしている、もっと尊い方がいらっしゃいます」
その言葉が出た瞬間、胸の奥に、深い静けさが広がった。
主人は、姿勢を正した。
何かが始まろうとしていた。
けれど、それは音を立てて始まるものではなかった。




