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悩みを抱えた客だけがたどり着く宿で、僕はあなたを守る者の声を聴く ~答えを教えない、不思議な宿の六つの物語~  作者: 牧静
第六話 最後の秘術

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七 終わらなかった後悔

その声で、場の向きが変わった。


今、私の内側に現れているものへ、静かに席が用意されたのだと思った。


しばらく、何も言葉が出なかった。


やがて、私の口が動いた。


「この方の、過去のひとつです」


私は、その言葉を聞いていた。


自分の口から出ているのに、遠くから聞いているようだった。


「この方の中に残っていた願いです」


声は続けた。


「終わらなかった後悔です」


胸の奥が震えた。


「私は、秘術を形だと思っていました」


その声は、静かだった。


けれど、深いところに悔いを含んでいた。


「正しい言葉。正しい手順。正しい沈黙。正しい導き方。それを身につければ、人を救えるのだと思っていました」


私は、その言葉を聞きながら呼吸をしていた。


今の私にも、それは刺さった。


正しい距離。


正しい言葉。


正しい待ち方。


正しい透明さ。


私は、どこかでそれを探していた。


「でも、術は形ではありませんでした」


声は続けた。


「その時、その人、その場に、何が起きているかを見続けることでした」


部屋の空気が、深く静まった。


「私は、見ることをやめたのです」


過去の声が言った。


「相手を見ているつもりで、自分の願いを見ていました」


苦しむ人を救いたい。


その思いは、嘘ではなかった。


でも、その中に、混じっていた。


認められたい心。


師に近づきたい心。


特別な者でありたい心。


救える自分でありたい心。


「それらが混じった時、私は、相手の魂の歩みを待てなくなりました」


声は、そこで一度止まった。


「私は、開けてしまいました」


静かな声だった。


「その方が、まだ一人では立てない場所の扉を、開けてしまいました」


しばらく、何も聞こえなかった。


私は泣いていた。


今の私が泣いているのか、過去のその人が泣いているのか、わからなかった。


たぶん、どちらでもあった。


その涙だけが、今の私の頬を伝っていた。


石の床の冷たさは、まだ胸の奥に残っている。


けれど、身体は奥の部屋の椅子に沈んでいた。


主人は、少し離れた場所に座ったまま、何も言わなかった。


その沈黙は、私たちを急がせなかった。


やがて、主人が静かに尋ねた。


「今の水瀬さんに、伝えたいことはありますか」


私の口が、ゆっくり開いた。


「同じ過ちを、してほしくありません」


声は、震えていた。


「助けたいと思うことは、悪いことではありません」


私は、その言葉を聞いた。


「けれど、助けたい心は、澄んでいなければなりません」


澄んでいなければならない。


その言葉は、厳しく聞こえた。


けれど、冷たくはなかった。


「澄んでいるとは、何も感じないことではありません。愛がないことではありません。悲しまないことでも、揺れないことでもありません」


声は、少しずつ深くなっていった。


「自分の心に何が混じっているかを、見失わないことです」


私は、息を吸った。


「救いたい心に、認められたい心が混じっていないか。相手を思う言葉に、自分を安心させたい思いが混じっていないか。沈黙の中に、相手を待つ愛ではなく、何もできない自分を隠す臆病さが混じっていないか」


言葉は、ひとつひとつ胸に落ちていった。


「見続けなさい」


その声が言った。


「形を覚えるのではなく、見続けなさい」


私は、深く息を吐いた。


過去の人の悔いが、私の中に流れていた。


けれど、それは罰ではなかった。


私を責めるために現れたものではなかった。


同じ場所で、もう一度立ち止まるために現れたものだった。


主人が、静かに言った。


「あなたは、この方をお守りしている方ですか」


部屋の空気が、少し変わった。


私の口が、ゆっくり答えた。


「いいえ」


声は、先ほどよりも少し遠かった。


「私は、この方の過去のひとつです」


少し間があった。


「この方をお守りしている、もっと尊い方がいらっしゃいます」


その言葉が出た瞬間、胸の奥に、深い静けさが広がった。


主人は、姿勢を正した。


何かが始まろうとしていた。


けれど、それは音を立てて始まるものではなかった。

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