四 藍色の布
部屋に戻ると、急に体が重くなった。
窓の外は暗かった。
月は見えない。
新月の夜にひとりで泊まると、鑑定が変わる。
リピーターの彼女が言っていた言葉を、私はそこで初めて、噂ではなく夜の重さとして思い出した。
私はベッドに腰を下ろし、しばらく何もせずにいた。
眠れる気はしなかった。
胸の奥が、まだ落ち着かない。
嫌なことを言われたわけではない。責められたわけでもない。むしろ、何もされていない。
それなのに、心の底に沈んでいたものが、少しずつ浮いてくるようだった。
私はバッグを開けた。
化粧ポーチの横に、いつもの布袋が入っている。
中には、使い慣れたタロットカードが入っていた。
占い師が、自分のことを占いすぎるのはよくない。
そんなことは、もちろん知っている。
けれど、私はこういう夜にカードを引かずにいられない。
小さなテーブルの上にクロスを敷き、カードを置いた。
指先で束を整える。何度も切ってきたカードの角は、少し柔らかくなっている。
この手触りだけは、私を裏切らない。
私はゆっくりカードを切った。
問いを立てる。
――私は、この宿で何を見ることになるのか。
一枚だけ引いた。
塔。
息が止まった。
黒い空。崩れる塔。落ちていく人影。稲妻。
崩壊。破壊。古いものが壊れる。積み上げてきたものが、一度、崩れる。
「また……」
小さく声が出た。
このカードは、ここへ来る前にも出ていた。一度ではない。何度も。
まるで私を追いかけてくるみたいに。
私はカードを伏せ直し、もう一度束に戻した。
悪いカードが出たとき、私はいつも問いを変える。
そのまま進んだ未来ではなく、行動を変えた場合を見る。
未来は固定されていない。
少なくとも、私はそう信じている。
――明日の朝、何も聞かずに帰ったらどうなるか。
カードを切る。
一枚引く。
月。
見えない道。不安。誤解。自分の影に迷う夜。
私は唇を噛んだ。
帰っても、このもやもやは持ち帰ることになる。
そう言われている気がした。
もう一度、カードを切った。
――では、あの人に、もう少し話を聞いたらどうなるか。
一枚引く。
節制。
二つの器のあいだを、水が静かに行き来している。
混ざり合うもの。
整っていくもの。
急がず、時間をかけるもの。
私は、しばらくそのカードを見ていた。
答えが出たとは思わなかった。
けれど、明日の朝すぐに帰る理由は、なくなった。
そのときだった。
廊下の奥で、小さな音がした。
木の床が、誰かの足音にきしむような音。
私は顔を上げた。
扉を開けると、二階の廊下は薄暗かった。
宿はもう眠っていた。
並んだ客室の戸の隙間から、灯りは漏れていない。窓の外は真っ暗だった。新月の夜の闇は、思っていたよりも深かった。
廊下の突き当たりに、昼間は気づかなかった厚いカーテンがあった。
深い藍色の、古い布だった。
まるで、廊下がそこで終わっていることを隠すためではなく、その先へ行く気持ちを静かに試すために掛けられているようだった。
そのカーテンが、ふいに内側から揺れた。
私は息を止めた。
音もなく布が開き、主人が出てきた。
手には、小さな燭台のようなものを持っていた。火はもう消えていて、細い煙だけがまだ立っている。
「起きていらしたんですね」
主人は、驚いた様子もなく言った。
私は、咄嗟に何か言い訳を探した。
「足音が……聞こえたので」
「そうでしたか」
主人はそれだけ言うと、カーテンを静かに閉めた。
私は、閉じられた布を見ていた。
「そこは、何ですか」
聞くつもりはなかった。
けれど、声が出ていた。
主人は少しだけ、カーテンの方を見た。
「明日の準備をしていました」
「明日の?」
「ええ」
それ以上は言わなかった。
私は、その沈黙に、また置いていかれた。




