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悩みを抱えた客だけがたどり着く宿で、僕はあなたを守る者の声を聴く ~答えを教えない、不思議な宿の六つの物語~  作者: 牧静
第六話 最後の秘術

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三 塔

椅子に座って、しばらく自分の胸の奥を見ていた。


けれど、見ようとすればするほど、かえって輪郭がぼやけていった。


呼ばれたい心。

見せてもらいたい心。

何かを知りたい心。


それらがあることはわかる。


でも、それ以上深く見ようとすると、すぐに言葉になってしまう。


これは期待だ。

これは不安だ。

これは承認欲求だ。

これは、藤野さんと同じものだ。


名前をつけた瞬間、少しだけわかったような気になる。


けれど、本当に見ているのかどうかは、わからなかった。


私は立ち上がり、鞄を開けた。


中には、いつものタロットカードが入っていた。


この宿に来てから、自分のためにカードを引くことは、ずいぶん減っていた。


以前は、少しでも心が乱れると、すぐにカードを切っていた。


迷えば、一枚。

不安になれば、一枚。

誰かの言葉が気になれば、一枚。

この先どうなるのか知りたくなれば、一枚。


カードは、私にとって道具だった。


でも、それだけではなかった。


不安の中で、何かを確かめるためのお守りでもあった。


私は箱からカードを出し、膝の上に置いた。


手に触れた瞬間、少しだけ落ち着いた。


そのことに、また少し戸惑った。


私は、まだカードに落ち着かせてもらおうとしている。


そう気づいた。


けれど、手は止まらなかった。


ゆっくりとカードを切る。


紙の擦れる音が、部屋の中に小さく響いた。


問いは、うまく立てられなかった。


今日、私は何を見ることになるのか。


そう聞きたい気持ちがあった。


でも、その問い自体が、すでに何かを先に決めようとしている気がした。


では、私は今、何を見ればいいのか。


そう聞こうとして、それも少し違う気がした。


見ればいいものを、カードに決めてもらおうとしている。


私は、カードを切る手を止めた。


窓の外で、風が鳴った。


葉が揺れる。


遠くで、水の音がした。


問いを立てるのではなく、今の自分の心の前にカードを置く。


それだけでいい。


そう思って、一枚引いた。


カードを表に返す。


塔。


息が止まった。


黒い空。

稲妻。

崩れる塔。

落ちていく人影。


この宿に来てから、出なくなっていたカードだった。


胸の奥に、はっきりと波紋が広がった。


怖い。


まず、そう思った。


何が壊れるのだろう。

何を失うのだろう。

どこまで落ちるのだろう。


そんな言葉が、次々に浮かんだ。


そのすぐあとに、恥ずかしさが来た。


やっぱり、私は期待していたのだ。


今日、何かが起きることを。

主人から何かを明かされることを。

自分の中にあるものが、特別な意味を持つと示されることを。


そして、その恥ずかしさの奥に、もっと小さなものがあった。


認められたかった。


主人に認められたい。

ここまで来たのだと知りたい。

あの部屋に入れる人なのだと思いたい。


そんな自分がいる。


藤野さんが、力があると言ってほしかったように。

今までの苦しさに意味があると言ってほしかったように。


私も、自分の揺れに意味があると言ってほしかったのかもしれない。


そう思うと、胸の奥の波紋が、さらに大きくなった。


水面が、一度に乱れたような気がした。


私は、思わず目を閉じた。


怖い。


恥ずかしい。


情けない。


主人に見てもらいたい私がいる。

藤野さんとは違うと思いたい私がいる。

でも、本当は同じものを持っていると知っている私もいる。


助けたい。

届けたい。

役に立ちたい。


そう願いながら、その奥で、認められたいと願っている私がいる。


それを見つけた瞬間、また胸の奥が揺れた。


こんなことで揺れるのかと思った。


主人に少し認められたいだけで。

何かを明かされるかもしれないと思っただけで。

自分が藤野さんとは違うと、どこかで思いたかっただけで。


こんなにも、私の水面は揺れるのか。


私は、まだこんなにも未熟なのだ。


そう思った。


その言葉は、胸の奥に深く沈んだ。


未熟。


愚か。


透明ではない。


いくつもの言葉が浮かんだ。


私はしばらく目を閉じたまま、それらの言葉が胸の中を通り過ぎるのを感じていた。


やがて、少しずつ呼吸が戻ってきた。


怖さも、恥ずかしさも、情けなさも、消えたわけではなかった。


ただ、名前のないまま渦を巻いていたものに、少しだけ輪郭ができた気がした。


私は目を開けた。


机の上には、塔のカードがあった。


さっきと同じ絵だった。


私は、カードを伏せようとした。


けれど、手が止まった。


なぜか、今は伏せない方がいい気がした。


私は、塔のカードを机の上に置いた。


表向きのまま。


塔が出た。


その事実だけがある。


それを吉凶に分けることも、すぐに意味づけることも、今はしなくていい気がした。


何かが壊れるのなら、壊れるのだろう。


壊れるべきものがあるのなら、それを見ればいい。


そう思った。


思えた、というより、そう考えることにした。


その方が、少し落ち着いた。


私はもう一度、椅子に深く座り直した。


窓の外で、また風が吹いた。


葉が揺れ、水滴が落ちる音がした。


何も解決していなかった。


けれど、心は静かになっていた。


塔のカードは机の上にある。

私の中にも、まだ揺れはある。


でも、それらはもう、私を押し流すものではなかった。


私は、しばらく塔のカードを見ていた。


怖くないわけではない。


けれど、もう引き直したいとは思わなかった。


それだけで、何かが静まったような気がした。


揺れない人になったわけではない。


透明になったわけでもない。


でも、少なくとも今は、揺れている自分を、離れた場所から見られている気がした。


私は、塔のカードを表向きのまま机に残した。


そして、もう一度、窓の外を見た。


山の緑は、昼の光の中で静かに揺れていた。


庭の池は、ここからは見えない。


それでも、胸の中の水面は、静かになっているように思えた。

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