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悩みを抱えた客だけがたどり着く宿で、僕はあなたを守る者の声を聴く ~答えを教えない、不思議な宿の六つの物語~  作者: 牧静
第一章 助けたいだけなのに

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二 何も感じない人

「いらっしゃい」


玄関の奥から現れた男は、そう言って、静かに微笑んだ。


その瞬間、私は返事を忘れた。


怖かったわけではない。


むしろ、穏やかな人だと思った。


けれど、いつもなら人と会った瞬間に感じるはずのものが、何もなかった。


緊張も、警戒も、期待も、媚びも、探るような視線も。


人は誰でも、笑うときに少しだけ自分を作る。私はそれを、仕事柄、嫌というほど見てきた。


けれど、その人の微笑みには、作った気配がなかった。


だから私は、ほんの一瞬だけ思ってしまった。


この人は、本当に人なのだろうか。


男は、私が何者なのかを知りたがらなかった。


職業も、年齢も、ここへ来た理由も、尋ねなかった。


ただ、靴を脱ぐ場所を示し、荷物を持ちましょうかと聞き、夕食の時間を静かに告げた。


それだけだった。


なのに私は、落ち着かなかった。


人は普通、目の前の相手に少しは興味を持つ。興味がなくても、興味があるふりをする。


けれど、この人には、そのどちらもなかった。


私を無視しているわけではない。かといって、私を見ているわけでもない。


まるで、私がここに来ることも、来ないことも、どちらでもよかったみたいに。


夕食は、古い食堂で出された。


宿泊客は私を含めて三人いた。年配の夫婦と、ひとり旅らしい若い男性。主人は必要なことだけを静かにこなし、誰にも踏み込みすぎなかった。


料理は素朴だった。


派手さはないが、ひとつひとつがちょうどよかった。味も、量も、出されるタイミングも。


食事の後、主人が片づけをしながら何気なく言った。


「今、林檎のパイを焼いているんです」


私は顔を上げた。


「八時半ごろには焼き上がると思います。もしお時間があれば、あとで下へいらしてください」


その言い方は、あまりにも普通だった。


誘っているというより、天気を告げるような声だった。


だから私は、曖昧に頷いた。

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