005 同僚
――青い空、白い雲。そしてどこまでも続く水平線。
金髪美少女の姿となった俺は、紺碧の海面を滑るように進んでいた。
軽やかに舵を取り、陽光で輝く水面を割り。そしてそこに、ただ白波だけを残して。
……もちろん見えている景色そのものは、普段とさほど違いはない。
それでも、それらはいつも以上にまばゆく輝いている気もしていた。
――無理もない。
なんせ乗っているのはジェットボートではなく、幼い頃に見た、まさにあの白きメタルマーメイド――『デルフィニクス・ノーブル』なのだから。
経緯が経緯とはいえ、これが高ぶらずにいられるだろうか。
近未来的なコクピット、正面だけでなく覆い被さるようにも配置されたモニターの中心で、俺は興奮を抑えきれず、強く強く操縦桿を握りしめてゆく。
七つの海の破局を経て、いまや全てを飲み込まんとしている大海原は、しかし今日に限ってはすがすがしく、また新たなる船出を祝福するかのように煌めいていた。
――そう、無事に脳移植を終えた俺は、短期間のリハビリを経て、今や他人の体を問題なく動かせるようになっていた。
もちろん最初は、自分の体との差異点に戸惑うばかりだった。
……なんせ、異性の体を間借りしているのである。
トイレに行くたび元々あったものがない事に動揺し、シャワーを浴びるたび髪質と毛量の違いに手こずり、鏡を見るたび自分自身と認識出来ず、パニックに陥る毎日。
当然体力も筋肉量も違うため、出来ると思ったことが出来ず愕然とするのは日常茶飯事だし、さらには元の体が豊かな胸を持ってもいたため、いつものようにうつぶせで寝ようとすると、圧迫感が気になるのも地味に厄介だった。
役得? そんなのは何も分かっていない外野の発想でしかない。そもそも自分で胸揉んだって、別に楽しくもないし。
……いや、まぁその。俺だって男なんだ。何度か試すぐらいしたって、ばちは当たらないはずだ。うん。
ともあれ、もはやひげを剃らなくてすむくらいしかメリットがないと分かった後は、正しくこの体を借り物だと認識し、タンスの角などに小指をぶつけたりしないよう、なるべく気をつけるようにはしていた。
もし自分が体を返された後、小指の爪がバキバキに割れていたりしたら、とても不快だろうし。
とまぁそんなこんなで、付け焼き刃ながらも操縦法を学ばされ、他のパイロット達とも挨拶を交わし。
――そうして、現在に至るわけである。
ミーティング中にずっと俺の名前を間違えられたり、あるいはひたすらにらみつけられたり。それからやけになじんだ見慣れないパイロットスーツに袖を通した際は、もはや乳袋と化した胸を見て複雑な心境になったりもしたものの。
それでもいざコクピットの中に入ってからは、積年の憧れが成就したという喜びが、些細な不快感を塵一つ残さず洗い流してくれていた。
もはや胸中には、高揚感しかない。
と、そんな時。
自分の世界に浸る俺を邪魔するかのように、ふと視界の端の方で、バストアップの映像が映り込んできた。
「……ちょ、ちょっと待って下さい、飛ばしすぎです! せめて後続がついていける速度にしてください!」
赤みがかった焦げ茶色のショートヘア、まだ幼さが残る顔つきに、キリッとした眉。
先ほどの自己紹介でクレイアと名乗ってきた少女が、そんな冷や水を浴びせてくる。
「でも、相手はいつ動くか分からないんだろ?」
「もちろんそうですが……ただ、今回はあくまでも、4機での合同作戦なんですよ? なのにどうして、新人が勝手に突っ走っていこうとするんです……⁉」
「突っ走ってるつもりは全くないんだが……」
「……本来出せる速度を軽々超えておいて、どの口がそう言うんですか⁉」
この体で見ても、それから元の体であろうとも明らかに年上である俺に対し、ずけずけものを言うその態度。
……彼女を一言で表すなら、委員長気質な後輩とでも評すべきか。黙っていればかわいらしいのだが、正直全く可愛げは感じない。
それどころか、彼女との間には浅からぬ因縁もある。だからこそ俺は遠慮もなく、むしろ皮肉すら込めて言葉を返していた。
「それとも何だ、また速度超過とでも言うつもりか?」
表示されたウィンドウの先に映る、変形した真紅のデルフィニクスをにらみつける。……そう、それはあの日、逃げる途上で何度も垣間見ていた、あの忌々しいフォルムと全く同じだった。
「……。一応、お伝えはしておきますが。我々には速度を縛るルールはありません」
拍子抜けするような生真面目回答に、思わず内心ずっこける。
……イヤみも通じないのか、この無愛想少女には。
「じゃあ良いじゃないか」
「ですが、現に遅れて……!」
「あの、ベルちゃ……えと、アシュリー……さん。あんまり急ぐと、リララちゃんがまともに準備出来ないまま、接敵しちゃうかもですし……」
ふと反対側のモニターから、ふわふわおさげの銀髪少女が、深緑のデルフィニクスと共に顔を覗かせてくる。
その機体の主フィンティは、一見するとおどおどしてはいるものの。それでもこうして俺たちの仲を気にしたり、まだ姿を見せない後続を気遣うなど、すでに何度も人格者らしい対応を見せてくれてもいた。
なので俺は、心優しいその少女の顔を立てる形で引き下がることにする。
「……これくらいの速度なら大丈夫か?」
「あっ、はい。それくらいなら、いずれ追いついてくると思います」
そう応じつつ、フィンティは安堵感が籠もった笑みをふわっと浮かべてくれる。
……まさに、こちらの毒気が全て抜かれてしまうほどの表情である。不思議とこちらの顔にも笑みが浮かぶ。
「……何故、こちらと明らかに対応が違うんです?」
「自分の胸に手を当てて考えてみたらどうだ?」
反対側の仏頂面には、当然売り言葉に買い言葉を返しておく。
そして本当に薄い胸に手を当てて考え込む様を、呆れたまなざしで見やっていると。ふとフィンティが首をかしげながら、質問を投げかけてきた。
「それはそうと、どうしてそんなに速度を出せるんですか? 同じスペックのはずなのに、何度かリミッターを解除しなきゃ、追いつけなかったんですけど……」
「……別に、何もしてないけどな。ギアチェンジやスラスター調整らへんのオート機能が使い物にならなそうだったから、それをマニュアルにしたってぐらいだし」
「えっ? もしかして、全部自分で操作してるんですか……?」
大きく愛らしい灰色の瞳が、まん丸に見開かれる。
俺はふと頬を掻いた。
「風や潮の流れといった予測データも、分かりやすく出してくれてるし……ここまでお膳立てされてるなら、簡単だとも思うんだけどな。むしろオートの方は、とにかく無理しないようになってるみたいだから。楽ではあるが、俺からしたら無難に動いてるってだけだ」
無意識に計器のモニターへと目を落とす。
……エンジンなどの純粋なマシン性能はもちろんのこと、例えば機体の位置関係のデータ一つとっても、舌を巻く精度だ。流石は世界最強と謳われるだけはある。
というかここまでの性能差があったなら、あの時の俺なんて、本来は10秒くらいで追いついて然るべきだったんじゃないか……?
「なるほど……えと、それってわたしにも出来るでしょうか?」
「とりあえず、スラスターだけでも切り替えてみたらどうだ? 波に逆らわずにうまくいなして、逆にその力を利用出来るよう微調整を繰り返してけばいい」
それに頷きを返したフィンティは、すぐに手元であれこれと操作をしてゆく。
だがマニュアルモードに切り替わったと分かるや否や、緑色の機体はすぐさま風や波にあおられ、徐々にそのスピードを落としていくのが見て取れた。
慌ててこちらもスピードを緩めていく。
「……大丈夫か?」
「えと……ひとまずオートに戻しました。やっぱり、思った以上に難しかったです……」
「そうか。まぁ慣れってものもあるだろうし、仕方無いさ」
「そうですね。でも……折を見て、またチャレンジしてみようと思います」
そんなポジティブな答えに、今度はこっちが驚かされてもいた。てっきり、今ので諦めるものとばかり思っていたからだ。
……この子はこう見えて、意外と芯が強い子なのかも知れない。
と、そんな折り。
遅れていたビタミンカラーのデルフィニクスが、ようやくモニター越しにも確認出来るようになる。
「ひ~やっと追いついたぁ……あのさあ、こっちはバカでかエネルギータンク背負ってんだって、いつも言ってるじゃん! 少しは気を使ってくれてもいいんじゃないの⁉」
ややくすんだオレンジ色の機体からそんな叫び声を浴びせてくる、ライトブラウンのエアリーボブ。
左のこめかみ辺りにある小さな三つ編みを揺らしながらのそれは、一見怒っているようにも聞こえるものの……しかしそれまでの彼女の言動を鑑みれば、単なる愚痴でしかないこともすぐに分かった。
俺はそんな親しみやすい同僚であるリララに向け、ふと言葉を返す。
「……そうなのか?」
「え、あ、そっか、知らないんだっけ。えーと……デルフィニクスは軽量型から重装甲まで、バリエーション豊かでさ。それぞれ得意な距離も違うし、固有武装も別々で持ってたりするんだよ」
「あぁ、それならちょろっと説明された気もするな。基本的にはこの白いデルフィニクスのことしか、掘り下げてはくれなかったが」
「なるほどねぇ~。ええと、そっちが乗ってる『ノーブル』は全距離得意のオールマイティタイプなの。基本スペックはフィンティが乗ってる中距離特化の『アイビー』と同じだね。だけどこっちの『マリー』は遠距離重視の重装甲型だから、そもそも最高速度に違いがあるんだよ」
「へぇ、そうなのか……」
ふと、自機の状況や損傷を確認するモニターに目を向けた。
人型と魚型……それぞれニクスモードとデルフィーネモードと言うらしいが、その2種類が並び、2つともくるくる回転する形で表示されている。
そして確かにその風体は、マリーのようにずんぐりむっくりしているわけでもなく、また『ガーネット』のようにとげとげしいわけでもない。極めてオーソドックスな人型だった。
「ま、そうは言っても顔は一緒だし、色しか違いがないって思っちゃうのも無理はないかもね。実際は結構違いがあるんだけどさ」
「ってことは、本来この中で一番早いのって……」
「もちろんガーネットだよ、近距離型だし。……てかさぁ、クレイアはなんなの? 普段は機体性能に任せて突っ走っていくのに、今日はやけに落ち着いてるじゃん。ひょっとして先輩風ふかしたいの?」
「っ⁉ そ、そんなわけないじゃないですか‼」
よほど否定したかったのか、クレイアは顔を赤らめながらそう言い返す。
しかしリララはそんな反応に、口の端を釣り上げるばかりだった。
「……あ、やっぱりそうだったんだ」
「違います! 信用してない相手に対して、弱みを知られたくなかっただけです!」
「弱み……?」
「あ、いつものアレ、弱点だとは認識してたんだ」
「……っ、リララ! ホントにおいていきますよ⁉」
照れ隠しにそう叫んだクレイアが、実際に速度を上げに掛かる。
しかし、それは何が何でも止めなければならなかった。
と、いうのも……。
「ま、待ってクレイアちゃん! もう目的地に着いちゃうから!」
……そう。
目的地である廃墟群が、肉眼でも分かるくらいに近づいて来ていたのである。




