003 小さき母
おもむろに目を開ける。
視界に広がるのはどこまでも無機質な、見たことのない天井。
どこかの施設か、もしくは艦船の中、だろうか。
むくりと起き上がった俺は、急に気管に違和感を覚え、空咳を繰り返していた。
……大量に海水を飲んだのだ、無理もない。
用意の良いことに、寝ていたベットの横には水差しとコップが置かれていた。
だが思わずそれに手を伸ばしかけて、ふと引っ込める。
……この状況を鑑みるに、俺はあのデルフィニクスか、その仲間に捕らえられ、ここに連れてこられたのだろう。
であれば差し出されたこれを、素直に飲んで良いものか。
しばらく考えた末、結局俺はそれを胃に流し込むことにした。
……手錠もされていなければ、どこかに縛り付けられているわけでもない。
ある程度の自由が与えられているのなら、こちらも好きにやらせて貰おう。そもそも、生殺与奪の権利は向こうにあるのだし。
そうして水をぐびぐび遠慮なく飲んでいると、何の前触れもなく部屋の扉が小気味よくスライドする。
「起きられましたね。……では、こちらへ」
声を掛けてきたのは、全く面識のない、職員らしき出で立ちの男だった。
俺は素直にその指示に従い、コップを置いて立ち上がる。
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両サイドを職員が固めるという形で、見たこともない施設の中を歩かされること少し。
通された部屋は、広さこそ先ほどの部屋と大体同じだったものの。人影はおろか、家具なども何もなく、それに何故かことさらに暗くされていた。
「……ここは?」
「我々は謁見室と呼んでいます。……直に、お見えになると思いますよ」
「誰が?」
「我々を率いて下さっているお方です」
思わず怪訝な顔を浮かべる俺を残し、職員はさっさと部屋を後にしてしまう。
そうして暗い部屋に一人取り残された俺は、ふともう一度、不快感から空咳をした。
すると、唐突に特徴的な効果音が鳴る。
それと同時に、何の予兆もなく俺の前に姿を現したのは――
「……溺れた、と報告を受けましたが。具合はいかがですか?」
――小さく可憐な、女の子だった。
物憂げな顔、さらりと動く色素の薄い横髪。
その子は俺の斜め前にひらり降り立つと、伏せていた瞳をスッとこちらの方に向けた。
「……君は?」
あまりに予兆もなく現れたため、平静を装うのに多少苦労しながら問いかける。
ただ幼女はそれには答えず、じっとこちらを見つめたまま、質問を繰り返してきた。
「まずは、貴方の状態を聞かせて下さい」
「……とりあえずは、なんともなさそうだが」
「血液中の酸素が欠乏したことで、脳にダメージが及んだ可能性もあります。体は思い通りに動かせますか? 溺れるまでの出来事は、ちゃんと思い出せますか?」
両手を何回か握りしめたり、一連の経緯を思い出すなどしてみる。
すると、あの赤いデルフィニクスに完敗した記憶が呼び覚まされ、苦々しい感情がこみ上げてもきた。一つつばを飲み込み、その気持ちにひとまず蓋をする。
「……。大丈夫そうだ」
「それは何よりです。……機会があれば、貴方を連行したパイロットに、お礼を伝えることをオススメします。貴方を救助しただけでなく、慣れない人工呼吸まで施したと、そう聞かされていますので」
「……」
はいそうですかと、首を縦には振りづらかった。何故なら溺れた理由もまた、そいつにあったからだ。
……ただ。
そういえば、スピーカーを介して聞こえてきていた声は……ずいぶんと、可憐だった気もする。
つまり俺は、その子と、唇を……?
と、自分の下唇に触れながらそんな思考に至っていると、幼女はふと居住まいを正し、こちらをまっすぐ見据えてきた。
ひとまずこちらも雑念を追いやり、目の前の幼女へと向き直る。
「申し遅れました。私は、OURP6J1878verⅡというコードが割り振られた、人工知能です。分かりやすく伝えるなら、超高性能AI、とでも言っておきましょうか」
「超、高性能……AI?」
「はい。ですから本来は、名乗る名などありません。ですが皆はそんな私のことを、親しみと敬意を込め『リトルマザー』と呼んでくれてもいます」
「リトル、マザー……」
ついまじまじと、その姿を眺めてしまう。
――薄水色のクラゲヘアー、真っ白で簡素なフリルの肩紐ワンピース。そして幼女のような背丈に、表情に乏しい童顔……どう見ても、母と呼ばれる風格などない。
しかしリトルマザーは、そんな反応など見飽きているとばかりに、ふぅとため息を漏らしてみせた。
「本来私は、人の姿を持ち合わせてもいません。ですが当然それでは人とのコミュニケーションが取りにくいため、名前を聞いて人々が想像する姿を集約し、その平均を反映したアバターを表示させているのです。もしこの姿がお嫌いでしたら、恐竜でも大仏でもスライムでも、いくらでも変更は可能ですよ」
「……。いや、不要だ。恐竜と会話するなんてシュールすぎるし……そもそも小さい子を相手にするのは、妹で慣れてもいるからな」
「そうですか。……ちなみにですが、水着姿や和服姿など、服装も自由に変更可能ですよ。是非、貴方の好みをお聞かせ下さい。すぐに反映致しますので」
「……あのなあ、何で俺がその姿を気に入ってる想定なんだ。言っとくが、俺はシスコンじゃねえからな」
思わずにらみつける。するとリトルマザーは、何故かきょとんとした顔を浮かべた。
「それは……失礼しました。実は私は、何故か人から嫌悪感を抱かれがちでして。見た目だけでも歩み寄れたなら、より円滑な相互理解に繋がると考えていまして。お気を悪くしたなら、謝罪します」
「……。そうか」
……AIにはAIの苦労がある、ということなのだろうか。
ひとまず気にしないことにしつつ、俺はおもむろに本題を切り出してゆく。
「一つ確認しておきたいんだが。つまりお前は……アクアルタの責任者、って事で良いんだな?」
「はい、そう思って頂いて結構です」
……なるほど。世界の秩序の中核を担っている組織のトップが、まさか人間でなかったとは。広く知れわたったなら、色々と反発を招きそうな事実ではある。
だが、俺にとってはそんな事より、よっぽど確認すべきことがあった。
「つまり俺は……これからお前に尋問される、ってわけか?」
核心を突くような質問ではあったが、それでもリトルマザーは特に雰囲気も変えずに、ただ淡々と答えてゆく。
「いえ、特にその必要はありません。判断に必要な情報は、すでに手元にありますので」
「……そうか」
「それとも形式的にでも、尋問をした方が良いでしょうか? それで円滑に事が運ぶのなら、喜んでお付き合い致しますよ。お望みとあらば、カツ丼の用意も可能です」
「……。ままごとなら必要ない。が、こちらとしては言い訳の一つや二つ、聞いて貰いたいものなんだけどな」
「分かりました。それではその言い訳とやらを、是非お聞かせ下さい」
「……」
その言い草を鑑みるに、処分の内容はすでに揺るがなさそうではある。
ただ、それでも言い分ぐらいは聞かせておかないと、腹の虫が治まらない気もする。
ひとまず俺は、両手を広げながら訴えを開始した。
「まず大前提として、速度超過は俺だけじゃなかったはずだ。俺だけがこうして連行され、他の奴らはお咎めなし。これは明らかに不公平だとは思わないか?」
「確かに、そうですね」
「それから、確かに俺は有名部隊の名前を挙げてはいったが、別にそこしか希望していないわけでもない。アクアルタしか声が掛からなかったら、喜んでアクアルタに行くつもりだった」
「なるほど」
「それと、一度は逃げたりもしたけどな。世界最強のモビルフレームに凄まれたら、誰だって逃げたくもなるだろう? ……自分で言うのも何だが、逃げたことは反省してる。情状酌量の余地があってもいいんじゃないか?」
「分かりました。……では、結論をお話ししてもよろしいですか?」
のれんに腕押しとはまさにこのことだろうか。
俺の弁明を完全に聞き流したリトルマザーは、顎に当てていた手を下ろしながら口を開いた。
「貴方が選べる選択肢は、3つあります。どれでもお好きなものをお選び下さい」
「……。3つ……」
「ええ。まずは、貴方を一生牢に繋いでおくというものです」
「……は? 一生?」
とっさに聞き返すが、リトルマザーはけろりとしながらそれを肯定する。
「はい。誠に勝手ながら、貴方の予選からのレース映像、それとデルフィニクスから逃げる際の動きも解析させて貰いました。結論としては、貴方のジェットボート、ひいてはモビルフレームに対する適正は、常人を遥かにしのぐレベルにあると評価をしています。みすみす他勢力に拾わせては、かろうじて均衡を保っている今の各勢力、各戦線のパワーバランスが崩れてしまうかも知れません」
「だから、死ぬまで閉じ込めとくってか。……あのなぁ。そこまで持ち上げてくれるのは嬉しいが、流石に買いかぶりすぎじゃないか? 俺は未だモビルフレームに乗ったことすらない、ド素人なんだぞ?」
謙遜少々、後は全部抗議の気持ちでそう告げる。
……確かに、そこら辺の奴にジェットボートの操縦技術で負ける気はない。ないが、それでも自分がパイロットとして上澄みだと思ったこともない。
せいぜい雨が降ろうが風が吹こうが、一日も欠かさず仕事という名の鍛錬を積んできたってだけだ。まぁ嵐や台風の時は流石に自重したが。
しかしそんな俺の訴えを余所に、リトルマザーは訥々と語り出す。
「ご存じですか? モビルフレームのパイロットは操縦技術に加え、3つの要素が必要とされていることを」
「3つの要素?」
「ええ。――死地に飛び込む度胸、揺るがない心、そして戦況を冷静に読む力。この3つです」
親指から指を立てて行きつつ、そこまで述べたリトルマザーは、ふとこちらに向き直る。
「……セブンスカタストロフが起こって百余年。戦乱だけでなく飢饉や災害なども重なり、人類は著しくその数を減らしています。そのため必然的にこれらを持ち合わせているものもまた、ほとんどいなくなってしまいました。しかし貴方は、その全てを確実に持ち合わせている」
「……」
「確かに貴方は、いまだモビルフレームに搭乗したことはない。過剰な対応だと言われても否定は出来ません。ですが我々の使命は、人々の争いを鎮め、安寧をもたらすこと。それを脅かしかねない事象や事案は、たとえわずかな可能性であろうと、潰して回るのが仕事。どうか、ご理解頂けますと幸いです」
「……理解、出来るわけもないだろう」
「確かに、戸惑う気持ちも分かります。……そうですね。どうしても拘禁されたくない、あるいは無為な日々を送りたくないと仰るのであれば。代わりに、貴方へ死を与えることも可能です。これが二つ目の選択肢となります」
「……っ」
極めて無機質に告げられる死刑宣告。
いや、まだ決まったわけではないから、宣告ではないのだろうが。それでも流石にくらりとはなる。
……どうして、こんな大事になってるんだ。いったい俺が何をしたっていうんだ。
そうして、今からでも逃げ出せないかと、密かに部屋の出入り口を確認していると。
リトルマザーはもったいぶりながら、最後の選択肢を提示してきた。
「ですが、それすらも拒否するのであれば。我々に協力し、そのたぐいまれなる能力を駆使し、デルフィニクスを操って頂くしかありません。これが3つ目、最後の選択肢です」
「……えっ? 今、なんて……?」
耳を疑いながら聞き返す。
リトルマザーは表情を変えず、機械的に発言を繰り返した。
「デルフィニクスを操って頂くと、そうお伝えをしました。……貴方の持つ素質は、遊ばせておくにはあまりに惜しい。他の勢力に渡すわけにはいきませんが、使い方さえ間違えなければ、人類にとって有益なものにもなり得ます。だからこそ……」
「いや、待て。待て待て待て。良いから待てって」
「……なんでしょう?」
怪訝な声を上げるリトルマザーを放っておいて、こめかみに人差し指を当てる。
……本来であれば、願ってもない申し出である。それもただのモビルフレームじゃない。俺が憧れるきっかけとなった機体に乗れる、またとないチャンスだ。
しかし俺は、それが不可能である事も知っている。
「なあ。一応伝えておくが、俺は男だぞ?」
「念を押されなくとも、把握済みです」
「――デルフィニクスは、女性しか乗れないんじゃなかったのか?」




