034 決戦の地
――数日後。
母艦ワダツミ、その艦内にある小さな休憩室にて。
もはやお馴染みになりつつあるパイロットスーツに身を包んだ俺は、同じく準備を終えたばかりのフィンティから、ティーカップを差し出されていた。
緩やかな波揺れを足腰でやわらかく受け止めながら、静かにそれを受け取る。
「ミルクだけで、良かったんでしたっけ」
「ああ。ありがとう」
「いえ、一人分も二人分も、ほとんど手間は変わりませんから。むしろティーバッグで簡単に煎れちゃって、何だか申し訳ないです」
「いやいやいや、こんなところで本格的なものを出されても、味わう余裕なんてないしな。それにフィンティにとって、これは栄養ドリンクに似たものなんだろ?」
「あっ、はい。いつもはそのまま、胃に流し込んじゃってます。だから誰かとこうして飲むなんて、初めてで……」
「あ、一応聞いておくが、これって例のお茶会にはカウントされないよな? されてたら、ちょっと泣くぞ?」
おどけつつ確認を入れれば、フィンティは困り眉でくすりと笑う。
「……心配しないで下さい。植えたものは順調に育ってきてますし、いずれちゃんとハーブティーとして振る舞えると思いますから」
「そっか。……今日は、頑張ろうな」
そうして微笑んでみせると、フィンティは急に目を伏せてしまう。
「アシュリーさんの方こそ……今日は恐らく、正念場になりますよね? 例の親友さん、恐らく来ると思いますし」
「……。そうだな」
「……武運を、祈ってます」
「ああ、ありがとうな」
おもむろにカップを差し出せば、フィンティは手に持ったカップをそれにコツンと当ててくれた。
そんなささやかな乾杯の後、俺たちはそれをゆっくりと傾けてゆく。
と、そこへ。
入り口の方から、ふと響くノック音。
「準備は出来ましたか? 最終ブリーフィングを始めますよ」
そんな声とともに、教官が顔を覗かせてくる。
車椅子がこちらを向いていないところを見るに、どうやらブリーフィングは廊下の先にある士官室にて行うらしい。
フィンティと軽く目配せし合った後、少し熱めのミルクティーをくいっとあおりきる。
そうしてから俺たちは教官の後を追うべく、そこを足早に後にしていった。
――デルフィニクス全機を積み込んだワダツミは現在、北極海に向け北上中である。
そして以前言っていた通り、カフェインを控えているはずのフィンティがそれを口にしたということは……すなわち、大規模作戦が控えている、ということに他ならない。
今回の内容は、至ってシンプルだ。
俺たちは世界の秩序を保つべく、勢力間の均衡維持に努める。
すなわち今回の北極を巡る戦いにおいても、基本的には劣勢が見込まれる側について、引き分け、もっと言えば痛み分けに持ち込む。ただそれだけ。
ただ厄介なのが、今回の敵はガイアードとフロータードの両方、という点。
そう、普段は敵同士である奴らが示し合わせたかのように、別方向から攻めてくるらしい。
つまり、こちらも戦力を分割しなければならないのである。
さらに、共闘先が血気盛んなワンダードと言うのも厄介極まりない。
季節によって海岸線が変化する北極はそもそも防衛に不向き。だからこそ俺たちが守勢に加わる羽目になるわけだが、ワンダードは今回助力されている身にもかかわらず、俺たちを毛嫌いしているため、隙あらば後ろから殴りかかってくる恐れもあるらしい。
「毎回思うけどさ~、わざわざ手伝ってやってるのに、それってあんまりすぎない?」
ブリーフィングの最中にもかかわらず、リララが頬を膨らませる。
それを苦笑しながら眺める、いつもの面々。フィンティが思わず口を開く。
「仕方ないよ。そもそも私たち、応援を要請されてるわけじゃないから。いつも勝手に助けてるだけだし」
「じゃあほっとけばいいじゃん。むしろ少しは痛い目見た方が良いんだよ。いつも助けてもらってるのに、いつもいつも戦況が落ち着いた途端に、後ろから撃ってくるしさー」
「……リララ。気をつけるのは、何も戦況が落ち着いた時だけではないですよ。デルフィニクスが深刻なダメージを受けた場合も、同様の危険があります。もしもの場合は早めに任務を放棄し、ワダツミまで帰還するようにしてください」
「……。はいはい、分かってるよ、そんな事は」
クレイアからの真面目くさった注意に対し、リララがふてくされたような声を上げる。
そんな様子を尻目に、俺は隣にいたフィンティにふと耳打ちをしていた。
「……なあ、ちょっと聞いていいか? 何で北極にワンダードが住んでるんだ? 基本的に土地に住んでるのがガイアードで、住む場所なくて放浪してるのがワンダードだろ?」
「あ、えっと、それはですね……」
「アシュリー……それは以前、講義でちゃんと教えていたはずですが」
「……⁉ そっ、そう……でしたっけ……?」
どうやら思ったより声が出ていたようで、一番聞かれたくない教官に、がっつり聞かれてしまっていたらしい。
冷や汗を垂らしながらそう取り繕うと、フィンティは俺をかばいつつ、その疑問に答えてくれていた。
「あはは……まぁ、ややこしいところですもんね。簡単に言うと、ワンダードが北極を強奪した凄惨な紛争をきっかけに、人類滅亡の危機を憂いて出来たのが、アクアルタなんです。それで……」
「我々アクアルタ、ひいてはマザーの考えは、有り体に言えば現状の維持。そして現状という言葉に、北極が占拠された状態がすでに含まれてしまっている、という事なんです」
横からクレイアが加えてきた補足に、何度か頷く。
「なるほど、だから普段は土地を奪いにいくはずのワンダードが、北極では防衛側に回ってるわけか……」
「そそ。ちなみに条約で正式にワンダードへ割譲されてはいるんだけど、それでもガイアードは取り返したがってるし、フロータードも虎視眈々と漁夫の利を狙ってるから、北極って常に激戦区なんだよね。氷が浮いてるだけだから、水面がいくら上昇しようが広さそのままってのも大きいし。まーそれでも、住むには寒いはずなんだけどねぇ」
「今回も大規模な紛争が予想されていたので、それで戦力を少しでも削るため、事前にアラスカ沖へ遠征をしていたんです。……途中で横やりが入ってしまったので、目的は果たせませんでしたが……」
そうしてしょんぼりとするフィンティに対し、クレイアは何故か上から目線で物言いをつけてくる。
「……私は単身だったにもかかわらず、しっかり後顧の憂いを断ち切ってきたんですが。そちらはワダツミまでいたにも関わらず、何も出来なかったわけですね」
「いやいやいや、そんな言い方はないだろ? クレイアとフィンティの立場が逆だったとしても、同じ結果だったと思うぞ。なんせ、命を省みない奴らを相手してたわけだし」
すかさずフォローを入れると、事態を静観していた教官も、一つ咳払いをしてきた。
「今日に至るまで、皆がみな、最善を尽くしてくれています。それよりも今は、目の前の任務に集中してください。良いですね?」
その一声に、皆がぱらぱらと頷きを返す。
それを確認した後、教官は老眼鏡の弦に指を掛け、バインダーに目を落としつつ続けた。
「さて。偵察によって、旧アラスカ側にラグーンフォート部隊、旧グリーンランド側にグランクロスが陣取っている確認が取れました。よって事前の取り決め通り、アラスカ側にマリーとアイビー、グリーンランド側にノーブルとガーネットを派遣します。……異論は、ありませんね?」
皆が頷きを返していく。
そんな中、俺はチラリと、今回のバディになるクレイアに視線を送っていた。
それに気づいたクレイアは、一旦それからぷいっと顔を背けるものの、それでも渋々小さい頷きを返してくる。
……そう。今回、俺は初めてワガママを通し、あえてクレイアをペアに指定していた。
その理由は……まぁ、後で分かるだろう。
「ラグーンフォート側には、件の自爆部隊の参戦が確実視されています。接敵した際は接近されないよう注意し、必ず遠距離から仕留めるようにしてください。なお、指揮官機の戦域離脱が見込まれていますが、くれぐれもそれは追わないように」
リララとフィンティが、それに頼もしく頷く。
資料をぺらりとめくる教官。
「グランクロス側ですが、今回は特に目立った情報は入っていません。先日事件を引き起こした新型機も、今のところは特に見当たらないようです。ですが、グランクロスはそもそもが少数精鋭。油断だけはしないようお願いします」
俺と、それからクレイアも頷きを返す。
教官は満足げに頬を緩めた。
「その後の動きについては、事前に伝えた通りです。……デルフィニクスパイロットとしての矜持に恥じぬよう、今回も粉骨砕身、任務に当たるようにしてください」
最後のまとめを聞き、俺は拳をパシッと手に当てた。
そうして真っ先に部屋を後にしかけるが、教官は何かを思い出したかのように、後から一つ付け加えてくる。
「ああ、それと最後に。……今日は本部所属の准尉が一人、こちらに来ています。すぐそこに待たせていますから、各自挨拶を交わしておいてください。よろしくお願いしますね」
「……え? 本部からの視察、ですか?」
「今までそんなこと一度もなかったのに、わざわざこんな張り詰めた大型作戦前に、アイサツぅ? なーんか、すっごいヤなんだけど……」
「大型作戦前で、張り詰めているからこそです。……つべこべ言わずに、会いに行って下さい。くれぐれも、粗相のないように」
「……?」
意味深な様子の教官に、少しばかり首をかしげた後。
俺たちが怪訝そうに廊下に出ると、壁にちょこんと背を預け、両手を組みながら待っていたのは……。
「……!」
俺、だった。
いや違う。元の俺の体、と言った方が正しいだろうか。
そう、つまりは……。
「――クリス・アリアケと申します。今回の作戦より、デルフィニクスの分析官を担当することになりました。どうぞよろしくお願いします」
何故か他人行儀で、ベルが恭しい敬礼を向けてくる。
俺たちは思わず顔を見合わせ……自ずとその意図を察し、各自それぞれが敬礼を返していく。
――ベルは夕暮れの図書室で俺と話し合った後、他の皆ともちゃんと話し合いの機会を設けたらしい。
そうして一通り恨み節や謝罪を浴び、それに詫びや説明を返し。
そうしてフィンティやリララ、そしてクレイアとも、しっかりと想いを分かち合った……のだとか。
だからこそ、こうしてベルは堂々と、皆の見送りに来たのだろう。
表向きは、顔見せという名目で。しかしその実――ノウェンベル・キリシマという一人の同僚として、皆の武運と、安全を祈る為に。
「……自己紹介、いる?」
元の姿勢に戻りながら、茶化したようにリララが告げる。
ベルもまた敬礼を終えつつ、それに静かに首を振った。
「不要です。皆様のお噂は、かねがね聞いておりますので。……作戦前でお忙しい中、お時間を取らせてしまい、申し訳ございません。万事上手く行くよう、祈っております」
……ことさらに形式張っているのは、身内に内通者がいるからだろう。
そしてその意図は、俺だけでなく、他の3人にも十全に伝わってはいるようだった。
だからこそベルの脇を通り過ぎる際、リララはへにゃっと笑ってみせたし、フィンティも小さく手を振ったし、クレイアは任せろと言わんばかりの表情を向けたに違いない。
その全てに三様の対応を見せてから、ベルは最後に俺と向き合う。
「……行ってくる」
「ええ。お気を付けて」
そうして、小さくグータッチを交わし。
俺は視線を背に受けながら、足早にノーブルの元へと向かっていく。
+++
ハッチが閉まると同時に、球体状のコクピットの真ん中に立つ。
薄暗く、それから少し肌寒い。恐らくは北極圏にいるからだろう。
軽く息をついてから、俺は目の前のキーボードを引き寄せた。
デルフィニクスは整備との兼ね合いから、入渠は基本的に人型状態で行われる。
そしてこのキーボードは、ニクスモードにおいて使われる、起動時専用のガジェットだ。
もはや慣れた手つきで、親指を下げて最初のキーを押してから、残りをカタカタと入力していく。
デルフィニクス起動コード――『| ꓘ arnation』。
起動コード及び生体認証、成功。
――これより、起動シークエンスを開始します。
NXE機関――始動。
メインエンジン――準備完了。
サブエンジン――準備完了。
燃料タンク、エネルギータンク――ともに正常。
PLS、COS、WRLS――全て異常なし。
キーボードが取り払われ、仮想のコンソールに置き換わる。
それと同時に機器があちらこちらで軽妙な音を立て、ゆっくりと起き出してゆく。
それをコクピットの真ん中で眺める、このわずかな時間が……俺はたまらなく好きだった。
ニクシードシステム――レディ。
デルフィーネシステム――スタンバイ。
ユングファーシステム――スタンバイ。
――起動完了。
全てのモニターがついたと同時に、俺は早速通信を入れる。
「ノーブルより艦橋。いつでもOKだ」
「了解。01カタパルトの準備はどうだい?」
モニターには、ファーブルが誰かに指示を出している様が映し出される。
大規模作戦にもかかわらずいつもと同じ調子に見えるのは、頼もしいと思うべきか、それともデリカシーがないと思うべきか。
「整備士の退避、すでに完了しています」
「01リニアカタパルト、射出準備完了」
「進路、クリア」
「それじゃ……今回もよろしく頼むよ、アシュリー」
その言葉と共に、俺は仮想のコンソールを叩きながら、叫んだ。
「――アシュリー・ウラカゼ、デルフィニクス・ノーブル、出るぞっ!」
無機質なトンネルを瞬く間に抜け、機体が宙へと射出される。
眼下に映るは北極海。その空気に直接触れてはいないものの、それでもモニター越しに眺めるだけで、凍てつく寒さがひしひしと感じられた。
遠くの海岸線には無骨な砲台がずらり。それから機雷と思わしきものまでびっしりと張り巡らされている。
レーダーに目を向けると、交戦中のワンダード正規軍と、それからグランクロスの機体が何機もそこに映し出されていた。
……戦線が安定しているところに、俺たちの出る幕はない。
スラスターを吹かして吹かして、俺は予定されていた地点まで跳躍していく。
ふと後ろを見ると、赤い影。
「クレイア、ついてきてるか?」
「……当たり前です。そもそも、私の方がパイロットとしては先輩ですよ? 今回は仕方なく組みはしますが、くれぐれも指図はしないで下さい」
そう返してきたクレイアに、口の端を釣り上げて返した後。
俺とクレイアは同時に水面へと着地。
すると波しぶきが上がると同時に、眼前の敵勢力は瞬時に戦闘態勢に入っていく。
クレイアはフォトンライフルを握りしめ。
そして俺は――左のラックの一番手前から、機械じみた片刃の剣を、すらりと抜きさった。
「今回は、特に警告とか要らないんだよな?」
「ええ、すでに何度も発してます。ですが最後の念押しで、やっておいてもよいですよ」
「了解。そんじゃ……」
メルクリウスソードを、振り抜き振り抜き。
そして力を抜かずに、告げた。
「こちらは、世界融和連合アクアルタ。――全員まとめて、掛かってこい」




