032 ノウェンベル・キリシマ
「そうです。誤射を誘発し、私を陥れようとした人物は、少なからず我々の近くにいるんです。ちなみにその内の一人は、すでに秘密裏に拘束され、すでに尋問を受けてもいます」
「えっ、嘘だろ? 誰なんだよ、それは……」
「あ、心配しなくても大丈夫ですよ。あなたとは特に面識のない人ですから。……ワダツミの、前艦長です」
「…………前、艦長……」
口の中でその単語を転がす。
……ああ、だから外様であるはずのファーブルが、外からいきなり抜擢されたわけか。なるほどそう考えると、あの妙に下手に出てくる態度も腑に落ちる。
いやしかし、そんなファーブルのことは置いといても……仮にもデルフィニクスへと指示を飛ばせる立場の人間が、まさかアクアルタに面従腹背状態だったとは。思わず背筋が凍る話ではある。
すると、そんな俺の胸中を見透かしたのだろうか。
だから語りたくなかったとばかりに、ノウェンベルは目を伏せ、静かに続けていく。
「それくらい、私たちを敵視している人々は、今や身近なところに潜んでもいます。だからこそ、その事実を……あなたや、他の子たちには、伝えたくなかった。知ればきっと、私と同じように、疑心暗鬼に陥ってしまいかねないから……」
……なるほど、そういうことか。
だから心配したフィンティ達が誤射について問いかけても、彼女は頑なに口を閉ざし続けたのか。
わざわざマザーと約束を交わしてまで、俺にも頑なに伏せようとしたのか。
――ふと、以前ノウェンベルの部屋で覗き見た、日記帳の内容を思い出す。
アンチ・アクアルタという姿形の見えない輩の魔の手が、いつの間にか周囲にまで迫っていることを知ったなら……確かに、心中穏やかではいられないのも頷ける。
ましてや誤射という事件の当事者にもなり、罪をなすりつけられてもいたのなら、なおさら不安定になっておかしくない。
そしてそんな状況にあったノウェンベルが、その心理状態を周りにも伝播させたくないと考えるのは、至って自然だろう。
そう考えると、これまでの不可解な言動も納得は出来る。
つまりは……優しすぎるから、自分が知った事実を伏せた。体を交換した後も、後任に余計な心配や気苦労を掛けたくなくて、自分の辿った顛末を明かさなかった。正体だって明かさずにいたし、バレた後も頑なに逃げた。
それもこれもすべて、周りを警戒するのは、それを知った自分だけでいいと思っていたから。
きっと多分、そういう事なのだろう。
ただ……。
……その考えは、きっと独りよがりだ。
「フィンティ達は、前艦長の更迭内容を知りません。リララなんかは、バカンスでも行ってるとばかり思ってるみたいですよ。あの石頭がいなくなってせいせいする~なんて言ってたみたいですし。……それで、良いんです。皆にはただ、平和を担う責務を全うして欲しいだけなんです。周囲に気を張り、身内を疑るのは、事実を知る私だけでいい」
「……。そう思ってるのは、君だけだったりしないか?」
「……え?」
ふと口をついて出た言葉に、きょとんとした表情を返される。
……君のことを心配している周りのことも、少しは省みて欲しいと、そう言いたかったのだが……。なんというか、言葉が少し強すぎたかも知れない。
無意識に頭を掻いてから、俺は取り繕うように続きを述べていく。
「あーその……そういう厄介ごとは、リトルマザーにでも押しつければいいじゃないか。なのに素性を隠して、自ら研究チームに参加したりして……こうして俺たちから逃げ回って、こんな狭っ苦しいシェルターに籠もってまで、内通者捜しにこだわる必要もなかっただろう?」
「……。確かにマザーは、私に犯人捜しをさせたくないみたいです。危ないからと言うよりは、どちらかというとちゃんと休養を取り、心の傷を癒やすことを優先すべきだと考えているみたいで。でも……」
「でも?」
「……じっとして、いられないんです。なにせ、起こったことが、大きすぎますから」
そう語る彼女の目は、これ以上なく悲しみに溢れていた。
……嗚呼、そうか。
死者23名。いくら自分のせいではないとはいえ、それでも引き金を引いたのは彼女。事の大きさは、その背に重く重くのしかかり続けているはずだ。じっとしていたら、それこそすぐに押しつぶされてしまうほどに。
ましてや、未だ逆恨みをされているとまで知った今。周りに助けを求めなかった彼女は、今どれほどの重圧を感じているのだろうか。
「……最初は、それでもノーブルには乗り続けようと思っていたんです。ここでデルフィニクスの運用に穴を開けてしまったら、それこそたくらんだ奴らの思うつぼだ、って。でも……何か細工をされたかもとか、そんな事を考え出したら、機体に身体を預けることが出来なくなってしまって。次第に、搭乗しただけで、体が震えてしまうようになって……」
「……。イップス、ってやつか」
「……本当に、どうしたらいいか分からなかったんです。だって私は、第一水陸機動隊の中尉で、皆の模範となるべき存在で。だから常に背筋を正して、人々の安寧のために働かなきゃいけないというのに……」
「……」
「そんな時でした。体だけを貸与するという、奇想天外な提案をマザーがしてきたのは。もちろん部屋に籠もって、死ぬほど悩みもしました。でもやっぱり、不届き者の悪巧みには屈したくなかった。だから……」
「その提案を、最終的には呑んだ、と」
こくりと、彼女が小さく頷く。
「……結果的に、強くて誠実なあなたに身を委ねることになったのは、私にとって本当に幸運なことでした。公私問わず、他の子達とも仲良くやれていると教官から聞いて、本当に胸をなで下ろしていて……いやでも、イケメンの方に粉を掛けられてたりと、少々不安なところも、なくはないんですけれど……」
「ああ、なるほど……なんでわざわざ姿を晒してまで、ドックで横やりを入れてくれたのかと思っていたが。なるほどな、あの軽薄さに身の危険を感じてたのか」
……あるいは、単に嫉妬していただけかも知れないが。
「出動命令が出ているにもかかわらず、リララといちゃついてたり……」
「それは……俺じゃなく、リララにクレームを入れてくれ。あっちが全部悪い」
「それから、私の部屋に入ったり……」
「いや、うん、それは本当にすまなかった。……ていうか、やっぱり教官も、君の正体は知っていたんだな。俺の体を間借りして過ごしているって」
その呟きに、ノウェンベルはゆっくりと首肯を返す。
……そうだよな。でなければ、彼女の部屋に入った際、侵入に気づけたことに説明がつかない。
ノウェンベルは、体を交換した後もあの部屋を使っていた。
それはリトルマザーの証言にもあった話だし、なにより部屋が掃除されていたことや、カミソリやシェービングフォームなどが、動かぬ証拠だ。
開かなかった日記帳は恐らく一番新しいもので、俺の体の光彩で認証登録されていたから、解錠が出来なかったに違いない。
そして俺が侵入した時には、多分ノウェンベルの施設内端末に入室通知が送られたはずだ。だから慌てたノウェンベルは教官にそれを知らせ、立ち退かせるようお願いしたのだろう。
そう考えると、あの時教官がとてつもないペナルティを課してきた理由も納得出来る。
俺が懲りずに部屋に入り、ノウェンベルと鉢合わせする危険をなくすには、ああするしかなかったんだろう。
……いや、それにしてもアレは、マジで鬼の所業ではあったんだが。
「そうして、『誠実』なあなたに全てを任せ……」
ことさらその二文字を強調するノウェンベル。
俺は思わず頬を掻いた。
「……もはやその二文字、ただの当てつけで言ってるよな?」
「こほん。……あなたに全てを託して、いざタスクがなくなると……、……」
「……タスクが、なくなると?」
何故か急に言葉を詰まらせたので、優しく先を促すと。
ノウェンベルは一気に表情を曇らせながら、言葉を絞り出してゆく。
「途端に……じっとして、いられなくなりました」
「……!」
「犠牲者に償える方法は何かないか。今の自分に担える責務は何かないか。あなたを含め、他の皆が命がけで戦地に赴く様を尻目に、日々をのうのうと過ごすなんて、私には到底、無理なんです。だから、それで……」
「……」
言葉すらうまく出せなくなったノウェンベルは、それでも何とか吐き出すように、ぽつりぽつりと続けていく。
「……確かに、確かに一人で、勝手にやってることです。危険だ、適任者に任せろ、私情だけで動くのは良くない。事情を知るマザーや教官から、色んな言葉を投げかけられます。でも……」
「……」
「……でも、何もしなくていい、休んでろ、なんて言われたら……わたし、どうすれば、いいんですか? どうしたらあの人達に、償えるんですか? わたし、わたし……っ」
――そこで俺は、彼女を無意識に抱きしめていた。
俺の体だとか、彼女の体だとか。
そんな事はもう、頭からすっぽり抜け落ちていた。
……なんせ、聞いていられなかったから。
だから力尽くでも、彼女の独白を止めたかった。
自分のせいではないのだから、償いなんて、そもそも考えなくても良いのに。
それでも何かしなければと考える彼女の優しさが、もはや痛々しく思えて。
それで我慢が出来なかったのだ。
――他人の悪意によって半ば押しつけられた十字架は、ちっぽけな彼女が背負うには、やはり重すぎる。
「アシュリー、さん……?」
「よく頑張ったな、ノウェンベル」
「……え?」
「一人きりで、よく頑張ってきたと思う。罠にはめられてさ、それでも皆のためを思って、一人きりで悩んで、決断して。それで今はたった一人で、犯人の尻尾まで掴もうとしてる」
「……」
最初は俺の行動に驚いていたノウェンベルは、それでも次第に、俺の腕の中に顔を埋めてきてくれた。
そんな彼女に向け、俺は優しく優しく、言葉を紡いでゆく。
「そんなに頑張らなくても良いのにさ。優等生であろうとして、完璧であろうとして。そうやって皆の期待を背負って、真っ当に生きようとしてたってことは、嫌と言うほど分かってる。なんせこれでも、色んな人に聞き込みをしたから」
「……」
「フロータード出身の俺からしちゃ、マジで人間じゃないとすら思えるくらいだ。だからさ、まずは君のことを、ちゃんと褒めてやりたい。いまの君を褒めてくれる人は、きっともう、誰もいないんだろうし」
……彼女が天涯孤独の身であることは、すでに墓地にて聞かされていた事実だ。
家族同然だったフィンティ達は、彼女に頼りきりだったと言っていた。
それに、あの鬼教官が人のことを褒めるなんて、まずないだろう。
そして。あのポンコツAIが、人の心中を慮るなんて絶対にあり得ない。
つまりノウェンベルの周りには、彼女の事をねぎらえる人間が誰もいないのだ。
対等で話せる子も、同じ目標を目指す子もいない。つまり、苦労を分かち合える存在がいない。だからこの子はここまで抱え込んで、苦しんでる。
もちろん、これは何もフィンティ達を責めているわけじゃない。距離が近すぎると、逆に色々と難しくなったり、こじれたりすることなんてよくあるし。
だけど。だからといって、彼女がこのままで良いわけがない。
だから俺は、はっきりと口に出す。
「だから、君のことを褒めて、ねぎらって。そうしてから……ちゃんと、叱ってやりたいんだ」




