029 はじめて
「お断りします」
一ラウンド目、一分少々でノックアウト。……そんな感じだった。
だが口ではこう言っていても、クレイアがなんだかんだ押しに弱いのは、これまでの経験からすでに分かりきってもいる。
そう、これでもまだ、取り付く島はあるのだ。
――昼下がりのドック。入渠直後ともあり、慌ただしく人が行き交うその中心にて。
俺は周りの目も気にせず、帰還したばかりのクレイアに食い下がっていた。
「そんなこと言わずに、頼む。俺にはもうクレイアしかいないんだよ」
そう続けるが、パイロットスーツに身を包んだクレイアは、そっぽを向きながら返してくる。
「粘られても、答えは変わりません。……第一、マザーから協力を拒まれたんですよね? なら、私があえて協力する道理もありません」
「だがリトルマザーは、俺が自主的に探すことについては肯定的だったし、出来る限りの後押しもしたいと言っていた。口を閉ざす理由はあくまでも、ノウェンベルとの約束に縛られているからに過ぎない。なら、特に制約のないクレイアまでそれにならうのは、むしろマザーの意思とやらに背いてることになるんじゃないか?」
「……」
いつもの常套句であしらいきれず、むっとした表情を浮かべるクレイア。
俺はさらに攻勢を強めていく。
「第一、クレイアはもう一度、ノウェンベルと話したいとは思わないのか?」
「……そうは言ってません。面と向かって、文句をぶつけたい気持ちは常にあります」
「なら……!」
「ただ、それは貴方に協力しなくても出来ることですよね? 私が一人でベルを見つけ出せば良いだけの話です。貴方にまでその居場所を伝える義理は、特にありません」
「それじゃ、あんだけ必死に探し回ってるリララ達にも、伝えないつもりか?」
「リララやフィンティには……そうですね、後日それとなく伝えます。もちろん、貴方には教えないようクギも刺した上で」
そうしてこれ見よがしに俺をのけ者にしようとするので、流石に眉間にしわを寄せてしまった。
「……何で嫌がらせのように、俺だけ省こうとするんだよ? こっちはこっちでノウェンベルに聞かなきゃならない事が山ほどあるんだって、ちゃんと説明したじゃないか」
「……」
長いため息を吐いたクレイアは、何故かそこで、頬を膨らませた。
「極めて……個人的な、理由です」
「個人的な理由?」
「……第一、なんてもの思い出させるんです……? こっちはようやく、記憶が薄れかけていたっていうのに……」
「……?」
何を言っているのか分からず、思わず首をかしげる。
するとクレイアは、俺がそんな態度なことにもむかっ腹が立つらしく、かなりとげとげしく言い放ってきた。
「もういいです、これ以上貴方と話していても時間の無駄ですから。……では」
そうして脇をすり抜けようとしたクレイアの腕を、強引に掴んで引き留める。
「ちょっ、ちょっと待てって! いったい何で、そんなに不機嫌そうなんだよ? なんてもの思い出させるって……そもそもあの時、完敗したのはこっちだろ? むしろ俺の方が、あの時のことを記憶から消し去りたいくらいなんだが!」
「……」
無言でそれを振り払おうとしたクレイアは、腕を掴む力が思いのほか強いことに気づく。
……そう、俺は何もクレイアに嫌がらせをしようとしているわけじゃない。それだけ真剣なのだ。
そのことにようやく気づいたのか、クレイアはことさらに大きなため息をついてから、向き直ってくる。
「確かに貴方にとっては、そういう感想なんでしょうね。でも、こっちはこっちで、色々と大変で……葛藤だって、あったんです」
「……葛藤?」
「意識がなかった貴方にこんなこと言ってもしょうがないのは、もちろん分かってます。分かってますけど。でも……」
「……? ……ああ、え? ひょっとして、助けた礼を言えって言いたいのか?」
「……」
今度はクレイアが沈黙を返す番だった。
……ただそうなると、こちらは顔をしかめることしか出来ない。
――そもそも俺が溺れた理由は、クレイアが俺を執拗に追いかけ回したからだ。
加害者が救護措置を執るのは半ば義務。特にお礼を求めるようなことではないことのはず。
するとクレイアは視線を逸らし、ため息をついてから、自分の毛先をくるくると回し始めた。
「……言いたいことは分かります。確かに貴方が溺れたのは、こちらの落ち度。とはいえ、それでも貴方を助けるときには、色んな葛藤があったんです。最終的には、人命を優先しましたけれど……。……その」
「その?」
「……ふぁーすときす……だったので」
目を丸くしたまま、固まるしかなかった。
見ればうつむいたクレイアの顔は、見たこともないくらい赤く染まっている。
そしてそれと同時に、あの時意識を失った後で、いったいどんなことが起こったか。
頭の中にぼんやりと、そのイメージが浮かんできた。
*+*+*
――俺が溺れ、海中にて脱力しきった直後。
異変に気づいたクレイアは、慌てて水の中にとって返し、ガーネットの真紅の両手で俺を包み込んだ。
そうして優しく水上へと移動させるが、しかし肌が空気に触れてもなお、俺の意識は戻らない。
慌ててハッチを開き、その腕を伝い、体を横たえたままの俺のそばまで寄ってゆく。
重ねた真紅の手のひらの中で、物言わぬ俺を前に、クレイアはうろたえる。
……正直、動揺するのも致し方はないだろう。
普段は毅然とした態度を取ろうと気を張ってはいるが、それでも彼女はデルフィニクスパイロットの中で最年少。まだ年端もいかない少女なのだ。
想定外の事態に落ち着きを保てるほど、精神的に育ちきってはいないのである。
だからこそクレイアは誰かに助けを求めようと、泣きそうな顔で辺りを見渡す。
だが、周りに人なんているはずもない。
そう、ここは荒れ果てた東京遺構沖。
そもそも人影など存在しない場所だが、念には念をとクレイアは、表彰式への乱入時に自ら人払いを済ませてもいる。人っ子一人、見つかるはずもない。
絶望しつつ、再度俺に目を落とす。
そして膝をつき、オロオロしながら濡れた身体や髪に触れ……すぐにでも処置が必要だと思い直す。
自らを奮い立たせる。
キュッと目を閉じ、口を結び、手順を心の中で反すうする。
そうして意を決して、俺の顔に口を近づけようとして……そこで、固まる。
――視界いっぱいに広がる異性の顔、焦げ茶色の前髪からしたたり落ちる水。
しかし、躊躇ってなどいられない。
必死に顔を振り、一つつばを飲み込み。そうして、顎に手を当て。
勇気を振り絞って、吐息を震わせながら、唇に顔を近づけ――。
*+*+*
「……」
「……」
「……、その、すまん」
「……」
思わず謝罪するが、それでもクレイアはうつむき、押し黙ったままだった。
何か気の利いた言葉を紡ぎたかったが、何も思いつかない。
と、そうしてふと視線を泳がせて……気づく。ここがドックの真ん中だということに。
見れば周りの整備士たちは、俺たちの間に異様な空気が流れていることにすでに気づいているらしく、イヴァンやルイユなんかはむしろ、生暖かい目線まで向けてきてもいた。
そんな二人に向け、とっさに言い繕う。
「ち、違う! お前らが想像しているような話じゃない! 勘違いするな!」
「ええ~? いや別に、良いんだよ? 見せつけてくれてもさ。ねぇイヴァン」
「……普段あれだけ俺の事をからかってるんだから、自分のことだけ棚に上げようとするなよ?」
「……」
これ見よがしに冷やかしてくるお似合いカップル。
何か言い返してやりたいが、しかし目の前でクレイアが縮こまっている状況で何かを言っても、多分逆効果だろう。
まずは目の前のことを解決するのが先だ。
俺は無意識に頬を掻いた後、意を決して呼びかけた。
「……クレイア」
「な……なんですか……?」
おずおずと向けられる顔。俺の目を見られず、ふと逸らされる瞳。
俺はそんなクレイアに、あえてどっしりと構えながら、告げた。
「ノーカンだ」
「……?」
「そもそもそんなの、真っ当にカウントしていいもんじゃないはずだ。そうだろう? それともクレイアは、ただの救命行為でもカウントしたくなるくらい、うぶなのか?」
「……っ」
「少なくとも俺は、そんなのカウントに入れる気はないぞ。なんせそういうもんは、俺が自らの意思で、想いを伝えたい相手とするものなんだから。だから俺は、まだ誰ともキスを交わしたことはないって、そう胸を張って主張するつもりだ」
「え? あ……初めて、だったんですね。……貴方も」
「……。まぁ……そうだが」
「……」
何だか妙なことを聞き返してきたクレイアは、そこで視線を泳がせたり、あるいは口に拳を当てたりと、しばらく自分の世界に入ってしまう。
そうしてから、ようやく周りからの視線に気がついたようで。
「……分かりました。なら私も、あの時のことは、あまり深く考えないことにします」
そうしてくるりと反転し、その場を後にしようとしてしまう。
「あ、おい、話はまだ終わって……」
「……」
その言葉にふと足を止めたクレイアは、顔だけ振り返りながら、訥々と告げていった。
「……ベル探し、すれば良いんでしょう? 協力しますから、とりあえず解放してくれませんか。正直、今すぐにでもこの場から逃げ出したいんです」
その意見には、俺も諸手を挙げて賛同するしかなかった。こくこくと何度か首を縦に振る。
するとチラリとそれを確認したクレイアは、ふと視線を落とし、こちらに体を向けた。
「……。あの時は、問答無用で捕まえようとして、すいませんでした」
「……!」
「強引にやろうとしたばかりに、民間人を死なせてしまったかも知れないと思って……。それであの後、すごく反省はしたんです。でも、あの時は無我夢中で助けようとしたので、後になって思い出した途端、急に気恥ずかしくなったりして。それでつい、こうして謝るのが、遅れてしまって……」
「……」
……事ここに至り、気づく。
確かにクレイアは人間味が薄く、盲目的にリトルマザーへと従い、他者とあまり関わりを持とうとしない質だ。
しかしそれにしても、俺に対しては特に当たりがキツかったように思う。
それは異性に対しての嫌悪感か、はたまたノウェンベルを乗っ取られた拒否感からかと、こちらは勝手に思っていたのだが……実はそうではなく、単にこの件に対しての照れ隠しだった、という可能性はないだろうか?
「……生きていてくれて、良かったです」
最後に柔らかく付け足されたそれに対し、俺は思わず破顔しながら返していた。
「色々と、言いたい気持ちもあるけどな。一言だけ返すとしたら。……助けてくれて、ありがとなって、そう言いたい」
心からの言葉を伝える。
するとクレイアは、これまで全く見せたことのない、まるで小さい花のような、そんなかすかな笑みを浮かべ……その場を去って行ったのだった。
「……ねえイヴァン、これって百合ってことなのかな?」
「いや、アシュリーの自認は男だから、普通にカップルって言っていいんじゃないか?」
「いやでも、体は女の子だしさぁ……」
「……てめえらは、後で覚えとけよ」




