016 ドックの日常
「おつかれー」
作戦自体はつつがなく終了し、入渠も済んで、コクピット内で一つ息を吐いた直後。
つなぎを着た整備士の男がねぎらいの言葉と共に、開いたハッチから手を差し出してくる。
その手を借りながら外へと出ると、下の方では他の整備士達がそれぞれホースを持ち、機体に水を掛け始めている様子が見て取れた。
「しかし珍しいな。まともに傷をもらってきたこと、今までなかったじゃないか。そんなに強敵だったのか?」
一緒になってその作業を眺めていた整備士の男が、続けざまにそんな事を聞いてくるので、思わず聞き返す。
「……そこまでダメージ入ってたのか?」
「や、言ってもすぐに直せるレベルではあるけどな。ただ、これまでほとんど無傷で帰ってきてただろ? メカニックに問題でもあったんじゃないかって、ルイユが気にしてたから」
その言葉に何気なくタラップの先へと目を向ければ、同じつなぎを着たショートカットの女性が、こちらを心配そうに眺めているのが見えた。
苦笑いで階段を降りながら、彼女に近づいてゆく。
「アレは戦闘でつけたんじゃなくて、単にリララのとばっちりを受けたってだけだ。機体はいつも通りだったから安心してくれ」
――そう、俺とリララは斥候合わせて60機を超えるワンダード正規軍を相手に、ほぼ無傷で勝利を収める事が出来ていた。
しかし決着がついてから、リララが不必要にそいつらをあおりまくった結果。すごすごと撤退中だった戦艦から、最後っ屁のような主砲を食らってしまってもいた。
俺が身を挺してリララをかばったため、何とか二人とも被害を免れることこそ出来たのだが……かわりに俺は、近くで漂っていたモビルフレームの残骸に、頭から突っ込むことになってしまったのである。
そう、つまりはこれが、俺が戦場で負った初めての傷だった。
誠に……誠に不名誉なことではあるのだが。
「とばっちり? ま、まぁ、こっちに落ち度がないなら良かったけど。……いや、実はさ。ノーブルの整備、今回イヴァンに丸投げしてたんだよ。だからてっきり、整備不良でもあったのかと思って……」
「……おいおい、単に俺の信用がなかっただけかよ。酷すぎやしねえか?」
背後から抗議の声が上がる。しかしつなぎの女性は腕を組みながら、渋い顔を崩そうとしなかった。
「そりゃ心配にもなるよ、普段あれだけがさつなんだからさ。安心して仕事任せられないんだって」
「雑に仕事したことは一度もないだろ⁉」
「いやいや、私生活見てたら今にやらかすと思ってるし。てかあの汚部屋、少しは片付けなよ」
「それとこれとは話が違うだろ? ていうかお前こそ、事あるごとに俺の部屋に入ってくるんじゃねえよ‼」
そうしてやいのやいのと言い合う整備士の二人を、苦笑を浮かべながら見つめる。
見れば周囲もまた、彼らに生暖かい視線を注いでいた。
そんな周りと軽く肩をすくめ合った後、俺はひとまずその場をそっと離れることにする。
――整備士のイヴァンに、整備主任のルイユ。
彼らは第一水陸機動隊以外で、一番始めに出来た友人だった。
特にイヴァンの方は、周りにはほぼ女性しかいない俺にとって貴重な男の友人ということもあって、公私にわたって親しくさせてもらっている。
と言っても、その会話の内容は、ほぼ愚痴が占めてはいるのだが……それでも俺にとっては、女性には聞かせられないそれらを吐き出せる、数少ない存在ではあった。
そうしてぼうっとイヴァンの背中を眺めていると、その姿がふと、故郷にいる親友の姿と重なっても見えた。
……ここにブライアンがいたら、どれだけ心強かっただろうか。
もちろん、呼べるなら呼びたい。幼い頃の約束を果たし、俺たちが憧れたデルフィニクスの整備を、イヴァンたちと共に担って欲しい。
だが俺はこう見えて、懲役を受けている身だ。加えてブライアンは俺の逃走を手伝ってもいる。
……藪を突いて、他人の人生まで狂わせたくはない。
まずはパイロットとしての地位を固め、諸々への発言権を得るまでは、そういった話はまず出来ないだろう。
長いため息を吐いた後、踵を返す。
するとそこで、あまり顔を合わせたくない人物と出くわしてしまっていた。母艦の様子を見に来ていた、ファーブルである。
「やあ、お疲れ様アシュリー。今日はどこに行っていたんだい?」
「あーえっと、台北沖で……」
「なるほど。ちなみに僕は、明日から旧アラスカ方面に行く予定でね。フィンティ君が同伴してくれる予定だが……君が一緒でないのが、本当に残念でならないよ」
「……」
聞いていないことまでぺらぺらと喋ってくるファーブル。明らかに気を惹こうとしているのが見え見えで、思わず半笑いを浮かべてしまう。
しかしそこでファーブルは、急にその整った顔を近づけてきた。
「ん……ひょっとして、香水を変えたりしたかな?」
「そもそも普段から、そんなもんつけてないんだが」
呆れかえりながら告げる。
……いやまぁ、確かにリララの助言もあって、昨日からスキンケア用品を変えてはいるが。ただ香水ではないから、別に嘘は言っていない。
しかしそんな思惑を察したのか、ファーブルは断りも入れず、俺の金糸のような髪に触れつつ続けてゆく。
「じゃあ、シャンプーを変えたのかな。良ければ、銘柄を教えて貰えるかい?」
「……飲むのか?」
「そんなわけないだろう? あまりに良い香りだから、参考にしたくてね」
「……。ただの固形石けんだ」
「このキューティクルを見れば、さすがに嘘だと分かるよ。……ひょっとして、僕をからかっているのかな?」
「……」
思わず閉口してしまう。
もちろんこちらの事情を一向にくみ取って貰えないもどかしさもあるが、なにより貴族のような所作で見え見えの下心を中和しているところが、同性として本当にいけ好かない。
……ちなみにこれは、非モテのひがみでもある。見え方によってはこいつがスパダリにも見えたりもするんだろう。そもそも肩書きはあるわけだし。
そんなわけで、こいつをどういなそうか、考えあぐねていると……。
――ふと士官帽を被った男が、俺とファーブルの間を通り過ぎていった。
「おっと、失礼。……、……?」
とっさにのけぞったファーブルはそんな一言の後、すぐに周囲を見渡し、不思議がる。
そう、ここはドックのほぼ真ん中、俺たちを避ける空間はいくらでもある。わざわざ俺たちの間を通る理由がないのだ。
おそらく今の通行人は俺が困っているのを見て、さりげなく助け船を出してくれたに違いない。
「……こんな人の往来が激しいところで、わざわざ立ち話しなくてもいいだろう?」
だからこそ俺はくれたチャンスを逃すまいと、畳みかけていく。
「確かに、そうだね。じゃあ……この後、時間はあるかい? 視察を済ませた後でよければ、一杯奢るから……」
「整備の視察って、そんな早く終わるのか?」
「……。……そうだね、確かに君の言うとおりだ。まずは自分の職責をしっかり果たさないといけないね」
「ああ、是非そうしてくれ。遠出するっていうなら、どっかと小競り合いになる可能性だって高いわけだしな」
そうしてまっすぐにファーブルの顔を見つめれば、ファーブルも渋々といった表情で首を何度か縦に振ってくれた。
内心、胸をなで下ろす。
「そうだね。……心配してくれてありがとう、これで次の航海も、うまく乗りこなせる気がしてきたよ。それじゃ、また」
そうして最後にウインクをかまし、ファーブルは颯爽と踵を返してゆく。
去り際までキザったらしいそのムーブに、思わず口の端をひくつかせつつ。
……そのまま俺は、先ほど助けてくれた男の姿をふと探していた。もちろん、礼の一つでも言おうと思ったからだ。
――ダークブラウンのロングヘア。長い襟足を後ろで軽く束ね、士官帽を深く被った若い男は、こちらのことなどまるで気にも止めずルイユの元まで歩んでいくと、書類を手渡しがてら、立ち話を始めてしまう。
もちろん、年功序列などないに等しいアクアルタにおいて、若い士官というのはパイロットに限らず、当たり前のようにいる。
それに、そんな職員や士官がドックに来ることもさして珍しいことではない。
ただ。ここに来てからの数週間、一度もその男を見かけたことはなかった。
にもかかわらず、初対面の俺を助けてくれた理由はなんだろう。
……俺ではなくノウェンベルとは知り合いだったのか、それとも困っているのを見かねただけか。はてまた単なる下心か。
結局声を掛ける機会を逸してしまった俺は、男がルイユたちと共に、ドックの奥の方へと消えていく様を、ただぼうっと眺めることしか出来なかった。




