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「『愛していない』と言えなくなった日から、私たちの仮面夫婦は終わりを告げた」  作者: 九十九 文


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第5話「呪いが解けた朝に、初めて自分の言葉で言えた」

第5話「呪いが解けた朝に、初めて自分の言葉で言えた」


────────────────────────


 翌朝、目が覚めた瞬間にわかった。


 「おはようございます」とクラーラに言った。普通の言葉だった。本音ではなかった。嘘でもなかった。ただの、普通の挨拶だった。


 呪いが解けている。


 「奥様、顔色はいかがですか」


 「よく眠れました」と言った。本当のことだった。しかし嘘でも言えた。今の自分には、どちらも選べる。


 その自由が、少しだけ、怖かった。


 三日間、言いたくないことまで全部言い続けた。恥ずかしかった。みじめだった。もう終わりにしたかった日もあった。それでも——呪いがなければ、一生口にしなかった言葉も、あった。馬車の中で、泣きながら言った言葉も。暖炉の前で、眠りかけながら漏らした言葉も。


 それを、また胸の中だけに仕舞い込むことが、今更できる気がしなかった。


────────────────────────


 朝食の席に行くと、レオンハルトがいた。


 いつもと同じ食卓で、いつもと同じ向かいの椅子に座っていた。マリアが来たことに気づいて、こちらを見た。何も言わなかった。


 マリアも座った。


 静かだった。いつも通りの静かさだったが、三日前とは違う静かさだった。


 しばらくして、レオンハルトが口を開いた。


 「……呪いは解けたか」


 「はい」


 「そうか」


 また静かになった。カップを手に取って、温かいものを飲んだ。窓の外に朝の光が差し込んでいた。


 「マリア」


 「はい」


 「馬車の中で言いかけていたことがあっただろう」


 マリアは手の中のカップを見た。


 「俺は、聞きたい」と彼は言った。「呪いのある言葉じゃなく、お前自身の言葉で」


────────────────────────


 カップを置いた。


 呪いはない。今なら「何でもありません」と言える。「馬車の中では動揺していただけです」と笑って誤魔化せる。三年間そうしてきたように、また仮面を貼り直すことができる。


 できる。


 できるけれど。


 マリアは顔を上げた。レオンハルトが真っ直ぐにこちらを見ていた。三年間で一番真剣な目をしていた。その目から逃げなかった。


 「三年間、ずっと好きでした」


 自分の言葉で、言った。


 「あなたが食卓で話すとき、聞いていたかった。廊下を歩くとき、もう少し傍にいたかった。笑いかけてもらうたびに、嬉しくて、でも社交の笑顔だとわかっているから悲しくて——そういうことを全部、一人で抱えていました。邪魔をしないことが正しいと思っていたから、言えなかった」


 声が震えた。呪いではなく、自分の意志で言っているから、震えた。


 「でも今は言えます。好きでした。ずっと——あなただけが、好きでした」


 レオンハルトは席を立った。


 テーブルを回って、マリアの前まで来た。そして膝をついた。朝の食卓で、使用人が往来する時間に、侯爵が妻の前に膝をついた。


 マリアは驚いて「何をして——」と言いかけた。


 「俺も、だ」とレオンハルトは言った。


 見上げてくる目が、いつもと違った。隠していたものが全部出てきたような、剥き出しの目だった。


 「お前が来た日から、ずっとだ。距離を置いていたのは、お前が望まないと思っていたからだ。近づいたら、迷惑だと思っていたからだ。——三年間、馬鹿だった。本当に、馬鹿だった」


 マリアは笑ってしまった。泣きながら、笑った。


 「私もです」


 「わかっている」


 「二人ともですね」


 「わかっている」と繰り返して、レオンハルトは立ち上がって、マリアの頭をそっと引き寄せた。不器用だったが、確かだった。三年間触れたことのなかった温度が、やっと届いた。


────────────────────────


 それから半月後、フェリクスの件が決着した。


 三年間にわたる意図的な讒言の記録が王宮に提出され、フェリクスは貴族籍を剥奪された。派手な失墜ではなかった。騒ぎにもならなかった。ただ静かに、確実に、裁かれた。


 マリアはその報告を聞いたとき、特別な感情は持たなかった。憎しみも、喜びも、薄かった。ただ「終わった」とだけ思った。


 それで十分だった。


────────────────────────


【エピローグ】


 一年後。


 朝食の席は、変わったようで変わらない。向かい合って座り、温かいものを食べる。しかしレオンハルトは書簡を読まなくなった。マリアも窓を見なくなった。


 「昨日、何を考えていた」と彼が聞くようになった。


 最初は戸惑った。しかし今は、答えられる。


 「薬草園の区画を変えようと思っていました」とか、「夕食のスープが少し薄かった」とか、「あなたが執務から戻るのが遅くて、心配していました」とか。


 全部、自分の言葉で。


 「心配するな」とレオンハルトは言う。毎回、必ずそう言う。


 「心配します」とマリアは答える。これも毎回だ。


 彼は少し困ったような顔をして、それから小さく笑う。三年前は滅多に見られなかった顔が、今は朝食のたびに見られる。


 マリアはその顔を、もう逃がさないように見ていた。


 呪いはない。でも今は——自分の言葉で、全部言える。


 それで十分だった。それ以上は、何もいらなかった。


────────────────────────


【完】


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