第2話「嘘がつけない。愛していないと、言えない」
第2話「嘘がつけない。愛していないと、言えない」
────────────────────────
翌朝、クラーラが部屋に入ってきた瞬間、その顔を見た。
「奥様、顔色が優れませんね。昨夜は眠れましたか」
「よく眠れました」と言おうとして——
「ほとんど眠れませんでした」
クラーラが目を丸くした。マリアも自分の口を押さえた。
昨夜から薄々気づいていた。廊下での一件は偶然ではない。口が、勝手に動く。思っていることが、止める間もなく言葉になる。嘘が、つけない。
クラーラが静かに扉を閉めて、マリアの前に座った。「話してください」と言った。長い付き合いの侍女は、こういうとき余計なことを言わない。
マリアは観念して、全部話した。市場での老婆のこと、手にかかった液体のこと、廊下でのことも。話しながら、喋りたくないところでも口が動いた。「本当は昨夜、恥ずかしくて死にそうだった」も、「あの人の声が動揺していたことが、頭から離れない」も、全部出た。
クラーラは黙って聞いていた。
全部話し終えると、侍女はしばらく俯いて、それから顔を上げた。目が、赤かった。
「奥様は三年間、ずっとそれを笑って隠してきたんですね」
マリアは答えなかった。答えたら、また本当のことが出てきそうだった。
────────────────────────
呪いの全貌が、その日のうちに明らかになった。
正確には「自分の感情に関する嘘がつけない」呪いだった。事実の嘘はつける。「今日は晴れています」を「雨が降っています」と言うことはできる。しかし「平気です」「気にしていません」「愛していません」——自分の内側に関することだけが、本当のことしか言えない。
問題は、レオンハルトと二人きりになるたびに、それが起きることだった。
昼過ぎ、彼が書斎に呼んだ。昨夜の件を話すためだろうと、覚悟して向かった。
扉を開けると、レオンハルトが机の前に立っていた。こちらを見た。マリアは頭を下げて「昨夜は失礼いたしました」と言いかけて——
「昨夜よりも今の方が、あなたの顔を見ていられない」
口から出た。
レオンハルトが眉を寄せた。「どういう意味だ」
「目が合うと、動悸がする、という意味です」
マリアは自分の口を両手で押さえた。指の隙間から声が漏れた。「申し訳ありません、これは呪いで、昨日市場で老婆にぶつかって、自分の感情に関することだけ本当のことしか言えなくなって——」
全部、説明してしまった。
レオンハルトは黙っていた。長い沈黙の後、「……呪い」と繰り返した。
「はい」
「今もか」
「今も、です」
また沈黙が落ちた。レオンハルトは何かを考えるように視線を落として、それから「解く方法を調べる」と言った。「それまで、なるべく二人きりにならないようにする」
「そうしていただけると」とマリアは言いかけて、「……助かります、でも少し、寂しい」と続いてしまった。
レオンハルトが顔を上げた。マリアは天井を見た。穴があれば入りたかった。
────────────────────────
しかしレオンハルトは「なるべく二人きりにならないようにする」とは言ったが、傍から離れようとしなかった。
夕食は同じ食卓で食べた。いつも通りだ。しかし食後、書斎に戻らずにマリアの向かいの椅子に座って、「調べ物がある」と言った。マリアが刺繍をしていると、同じ部屋で書類を読んでいた。廊下を歩けば後ろから足音がついてくる。
マリアにはその理由がわからなかった。哀れに思っているのか、監視しているのか。呪いがかかった妻を放置するのは体裁が悪いと思っているのか。
本音は漏れる。しかし彼の真意は、呪いがあっても読めなかった。
四日目の夜、暖炉の前の椅子でうとうとしながら、マリアは思った。
呪いがなければ、こんなに傍にいてもらえなかった。そう思ったら、少しだけ——本当に少しだけ、呪いに感謝した。みじめだとわかっていても、感謝した。
眠りに落ちる寸前、口が動いた。
「……起こさないでください。あなたの顔を見ると、泣きそうになるから」
遠くなっていく意識の中で、息を飲む音がした。
それから、低い声が落ちてきた。
「……俺も、だ」
誰にも聞こえないくらい小さな声だったが、暖炉の静かな部屋では、マリアの耳に届いた。眠っているはずだったのに、届いた。
目を開けなかった。開けたら、夢だったことになりそうで。
────────────────────────
(第3話へつづく)




