第1話「三年目の朝、私たちは今日も完璧な仮面夫婦だった」
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三年間、朝食の席は変わらない。
向かい合って座り、温かいものを食べて、当たり障りのない言葉をいくつか交わす。今日の天気、領地の農作物の出来、王都から届いた書簡の話。レオンハルトは短く答え、マリアは丁寧に相槌を打つ。どちらも笑顔だ。どちらも穏やかだ。傍目には、落ち着いた夫婦に見えるだろう。
それだけだ。三年間、ずっと、それだけだった。
マリアはカップを両手で包みながら、向かいの夫の横顔を盗み見た。レオンハルトは書簡に目を落としている。日に焼けた横顔、伏せられた目、一筋だけ額に落ちる髪。毎朝見ている顔なのに、見るたびに胸の奥が痛くなる。三年経っても、慣れない。
慣れないから、見ないようにしていた。
「今日は市場へ行こうと思っています」とマリアは言った。「薬草が切れているので」
「そうか」とレオンハルトは答えた。書簡から目を上げなかった。「護衛はつけろ」
「はい」
それで、会話は終わった。
マリアは静かに息を吐いた。肺の底まで空気を入れて、それからゆっくりと吐き出す。これが正しい距離だ、と三年間言い聞かせてきた。政略結婚で迎えられた妻が夫に求めていいのは、穏やかな日常と、義務を果たす機会だけだ。それ以上を望めば、みじめになるだけだと、知っていた。
だから望まないようにしてきた。
ただ、横顔を盗み見るのだけは、やめられなかった。
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市場は昼前から賑わっていた。
護衛を少し離れた場所に待たせて、マリアは薬草を扱う店を回った。干したラベンダー、乾燥させたカモミール、傷薬の材料になるオークの樹皮。籠に丁寧に並べながら、人混みの中を歩く。
ぶつかったのは、不注意だった。
角を曲がったところで、小柄な老婆と正面からぶつかった。老婆の手から小瓶が弾け飛び、石畳に落ちて割れた。中の液体が飛び散って、マリアの手の甲にかかった。
「申し訳ございません」とマリアはすぐに頭を下げた。「ご無事ですか、怪我は」
老婆は落ち着いた目でマリアを見た。深い皺の中に、妙に澄んだ目があった。「お嬢さんこそ、手は大丈夫かい」
「ええ、何ともありません」
「そうかい」
老婆はもう一度マリアの手を見て、それから小さく何かを呟いた。聞き取れなかった。「壊れた瓶の弁償を」とマリアが申し出ると、老婆は首を振って「いらないよ」と言った。「ただ——少し、風通しがよくなるかもしれないね」
意味がわからなかった。問い返す間もなく、老婆は人混みの中に消えた。
マリアは手の甲を見た。液体は透明で、においもなく、肌に染みる様子もない。しばらく眺めてから、ハンカチで拭いて、歩き出した。
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夕食も、いつも通りだった。
向かい合って座り、温かいものを食べて、短い言葉をいくつか交わす。今日の市場の様子、明後日の来客の話、そろそろ季節が変わること。レオンハルトは短く答え、マリアは丁寧に相槌を打つ。どちらも穏やかだ。
食事が終わり、二人は廊下を並んで歩いた。それぞれの部屋への分かれ道まで、少しだけ同じ方向に廊下が続く。灯りの少ない夜の廊下を、一定の距離を保って歩く。これもいつも通りだ。
「おやすみなさいませ」と言おうとした。
言おうとして——
「……顔を見ると、胸が痛い」
自分の口から出た言葉に、マリアは一瞬、何が起きたかわからなかった。
言うつもりじゃなかった。思っていたことは本当だが、口にするつもりは全くなかった。なのに言葉が、喉を通り越して、勝手に空気になった。
レオンハルトが足を止めた。
マリアは口を押さえた。顔に熱が上がるのが自分でわかった。「今のは」と言いかけて、「気にしないでください、独り言です」と言おうとして——
「気にしていないわけでは、ない」
また、口から出た。
全部、本当のことだった。気にしていないわけがない。三年間気にし続けてきた。ただ、言う気は一切なかった。
廊下に沈黙が落ちた。
マリアは俯いたまま動けなかった。レオンハルトが振り返っているのか、歩き去ったのか、確かめる勇気がなかった。ただ足音がしないことだけがわかった。彼はそこにいた。動かずに、いた。
部屋に逃げ込んで扉を閉めた。
廊下の向こうから、低い声が届いた。壁越しに、かすかに。
「……どういう意味だ」
その声が、酷く——動揺していた。
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(第2話へつづく)




