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【完結】悪女と呼ばれた令嬢、望まぬ婚約寸前で剣聖皇子に奪い去られる【10月下旬に三章更新予定】  作者: しのギドラ
2章

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30話 龍帝国の祝祭、黄昏に愛を誓う

 神龍城の門をくぐり、都へと一歩踏み出した瞬間。

 そこには、生の熱気があふれ返っていた。


 西に傾き始めた太陽が、帝都の象徴たる龍の彫像たちを長い影へと変えていく。


「見て、ジーク。本当に……みんな、いつも通りなのね」


 視線の先では、着飾った市民たちが笑い合い、子供たちが屋台の周りを走り回っていた。

 白龍が顕現し、世界が白く消えかけたあの時間。

 祭壇で起きた神話の再臨など、彼らは露ほども知らない。


「……ああ。皆にとっては、ちょっと強い地震と、変な形の雲が出た程度の認識でしかないのかもな」


 ジークは深いクロークのフードを直し、顔を隠しながらも、その瞳を優しく細めた。

 絶望の淵にいたのは自分たちだけで、世界は何も変わらずに回っている。

 その平穏が、今はたまらなく愛おしかった。


「よし、じゃあとりあえず屋台に行こう。龍帝国の食べ物は、アストルシア以上に刺激的だよ」


 二人は人混みに紛れ、大通りを流れるように歩いた。

 祭りの屋台が放つ、さまざまな香りが混ざり合って漂ってくる。


「エル、これ食べてみるか? 帝国名物だ」


 ジークが差し出したのは、たっぷりのスパイスで和えられた揚げ菓子だった。

 一口食べれると、サクサクとした食感の後に、鼻を抜けるような辛味とハチミツの甘みが追いかけてくる。


「っ……! 辛いわね……。でも、なんだか元気が湧いてくる味だわ」


「はは、だろ? 力こそ全てみたいな味付けだからな」


 私は辛さに少し目を潤ませながらも、美味しく頬張る。

 ちらりと広場を見ると、そこでは巨大な銅鑼と、長笛を操る音楽隊が、勇壮な旋律を奏でていた。


「あっちの楽団も見て! すごい楽器ね」


「ああ、あれは民間の演奏だな。この祭りのために、皆仕事の合間に練習してるんだよ」


 音楽に合わせて踊る市民たちの影が、夕陽を背にして長く、長く伸びていく。


 賑やかな広場を抜け、次第に勾配のきつくなる坂道へと足を踏み入れた。


 喧騒が遠ざかるにつれ、空の色はオレンジから深い紫へと、インクをこぼしたように混ざり合っていく。


「ジーク……私、今日という日を、一生忘れないわ」


 ふと、私は立ち止まって言った。

 振り返ったジークの顔が、夕刻の残照を受けて赤色へと輝きを変えている。


「あの白の間で言ったこと。白龍と対峙したこと……大変だったけれど、全部私の宝物よ。……いつも私はあなたの言葉に、生き方に救われてばかりね」


「……救われたのは俺の方だよ、エル。俺は、君をアストルシアから連れ出した。自由をあげるつもりで。……でも、本当は俺が、君という自由を追いかけていただけなんだ」


 ジークの声は、祭囃子の残響に溶けるほど優しかった。


 太陽が完全に地平線の向こうへと身を隠し、一番星が瞬き始める。


 昼と夜の境界線。

 街に一斉に灯り始め、帝都が宝石箱をひっくり返したような輝きを帯びる。


「……エル。お祭りは明日まで続くけど、人混みはもう十分だろ?」


 ジークは悪戯っぽく微笑み、私の手を引いてさらに高い場所を目指した。


「夜が完全に降りる前に、見せたいものがあるんだ。エル、とっておきの場所に案内してあげるよ」


 祭りの喧騒は、石畳の坂を上がるごとに波音のように遠ざかっていった。

 ジークが私を導いたのは、帝都の喧騒を離れた北端の切り立った高台だった。


 そこには、古い塔の跡地があり、白百合が風に吹かれてひっそりと揺れている。


「……着いたよ」


 ジークの声に、私は足を止めた。

 視界が開けた瞬間、私は思わず息を呑み、胸元に手を当てた。


「綺麗……」


 眼下に広がるのは、金色に染められた龍帝国のパノラマだった。

 昼間の崩壊劇がまるで遠い神話の出来事だったかのように、帝都は美しく、力強い輝きを放っていた。


「たまに城を抜け出しては、よくここに来てたんだ。……息が詰まりそうになると、ここで独り、夜が来るのを待ってた。神龍の庭とは違う、俺だけのとっておきの場所」


 ジークはそう言って、古びた石の手すりに背を預けた。

 風が、彼のアッシュブルーの髪を優しく撫でる。

 その横顔には、どこか幼い頃の面影を残した、寂しげで、けれど穏やかな笑みが浮かんでいた。


「当時は、この街の光のすべてが、俺を閉じ込める檻に見えていた。……でも、今は違う」


 ジークはゆっくりと体を離し、私の正面に立った。

 黄金の瞳が、黄昏の残光の中で私の瞳を真っ直ぐに見据える。


「エル。……伝えたいことがあるんだ」


 その声の響きに、私は背筋が伸びるのを感じた。

 冗談を言う時の彼ではない。

 戦場で剣を振るう時の彼でもない。


「十年前、俺はアストルシアに逃げた。皇子としての重圧からも、白龍という化け物からも、自分を縛り付けるすべての宿命からも。あのときの俺は、自分のことしか考えていない、暗闇の中にいる子どもだった」


 魂をさらけ出そうとする、一人の男性としての覚悟がそこにはあった。

 ジークは気持ちを隠すことなく、言葉を重ねる。


「でも、エルと一緒に過ごした十年間が、俺を作り変えてくれた。君に振り回されて、喧嘩して、君を守るために剣を振って……。そうしているうちに、俺の心の中には、君という光で満たされていたんだ」


 私は黙って聞いていた。

 ジークの言葉の一つひとつが、二人の積み重ねた歳月を、鮮やかに連れてくる。


「白龍に呑み込まれそうになった時、俺を引き戻してくれたのは、君の温もりだった。……神の力なんて、俺にはいらない。君がいれば、それだけで俺の世界は満たされるんだ」


 ジークは一歩、私との距離を詰めた。

 二人の間に流れる黄昏の風が、少しだけ熱を帯びたように感じる。


「俺は、この国に残る。兄上を支え……第二皇子として、俺の責任を果たそうと思う。でも、皇子としてじゃなく……ジークという一人の男として、君に願いたいことがある。……いや、俺の全霊を懸けた誓いだ」


 ジークはその場に片膝を突き、私の手を取った。

 騎士が主君に捧げる礼であり、同時に一生を捧げる決意の形。


「エル。……俺と、結婚してほしい」


 私の瞳が大きく見開かれ、唇が微かに震える。


「この先、どんな苦難が待ち受けていたとしても。俺の血筋が、あるいは白龍が、再び不穏な影を落としたとしても。俺のすべてを懸けて君を守る。君が俺に自由をくれたように、君の人生のすべてを笑顔で満たすと誓う。……だから、ずっと隣にいてくれないか」


 静寂が、高台を包み込んだ。

 眼下の帝都からは、遠く祭りの笛の音が風に乗って届いてくる。

 私は、自分の胸の鼓動が耳元で鳴り響くのを感じていた。


「ジーク……。あの日、アストルシアから私を連れ出してくれた時から、私の答えは決まっていたわ」


 私はひざまずくジークの目線に合わせるように、自らも腰を落とした。

 二人の視線が新距離で、熱を灯して交差する。


「あなたは私を守ると言ったけれど、忘れないで。私は、あなたを救い出す相棒でもあるの。あなたがまた独りで苦しもうとしたら、私が力ずくでその絶望を叩き潰してあげる。……あなたの隣は、誰にも譲らないわ」


 私は最高の笑顔を浮かべ、ジークの言葉をなぞるように、けれど自分自身の魂に刻まれた想いを口にした。


「ジーク、あなたを守らせて。……私と、結婚してください」


「……はは、参ったな。まさかプロポーズまで持っていかれるとは」


 こらえきれなかったように笑ったジークが、私をそのまま強く抱きしめた。

 私もまた、彼の広い背中に腕を回し、その体温を全身で受け止める。


「君は、本当に……世界で一番、強くて愛おしい相棒だ」


「……当たり前でしょう? あなたのエルレインなんだから」


 高台を吹き抜ける風が、二人の誓いを祝福するように白百合の花びらを舞い上げた。

 黄昏は終わりを告げ、帝都は完全な夜へと移り変わる。

 けれど、二人の前には、これまでのどんな日々よりも輝かしい、確かな光が道を作られていた。


「……行こうか、エル。もうひとつの、とっておきの場所があるんだ」


「え、でもそろそろ戻らないと……」


「これから窮屈な毎日が待ってるんだから、今日くらい羽目をはずそう。……明日の朝には戻るから、さ」


「……もう、仕方がないんだから。それなら……悪女として、言いつけを破る片棒を担いであげる」


 二人は手を取り合い、夜の帳が降りた帝都へと歩き出した。

 その歩みは力強く、迷いはない。

 沈み切る夕日が、二人の影を、寄り添うひとつの形として石畳に映し出していた。

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※カクヨムにも掲載
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