31話 打ち上がる花火、皇子と剣聖の名前
帝都の祭りの喧騒が微かに聞こえる一等地に、その宿は静かに佇んでいた。
貴賓のみが立ち入りを許されるという、龍帝国屈指の最高級宿。
一歩足を踏み入れれば、そこは細やかな刺繍が施された絨毯と、柔らかな暖気に包まれていた。
案内された最上階の部屋は、私がこれまでの人生で見たこともないほどの豪華な空間だった。
高い天井にはシャンデリアが揺れ、部屋の隅々には高価な香が焚かれている。
「……いつのまに、こんな高級な宿をとっていたの……?」
ジークはクロークを脱ぎ捨てると、悪戯っぽく肩をすくめた。
「まあ、さっそく第二皇子の権限を使わせてもらったかなって」
「ジーク……。権力の使い道を間違えてるわよ」
「間違ってないさ。今の俺にとって最優先の公務は、君を誰にも邪魔されない場所で癒やすことだからな」
ジークはそう言って、私の腰に手を回し、そのまま窓際へと促した。
カーテンを開き、バルコニーへと出た瞬間、冷たくも心地よい夜風が、二人の火照った頬を撫でる。
「……あ……!」
次の瞬間、夜空の静寂が盛大な轟音によって破られた。
夜空に、一輪の巨大な黄金の華が咲き誇る。
それを合図に、青、紫、赤、緑――龍帝国を象徴するような花火が、息つく暇もなく空を埋め尽くしていった。
「わあ……! 綺麗……!」
「だろう? この日に上がる花火が一番美しいと言われているんだ」
「ありがとう、ジーク。……本当に、この世のものとは思えないくらいの景色ね……」
私が感動に震える声でそう言ったとき、打ち上がっていた連発花火が最高潮を迎え、辺り一面が真昼のような白銀に染まった。
そして、その残響がゆっくりと帝都の闇に吸い込まれていく中、静寂が戻る。
「……ねえ、ジーク。ずっと気になっていたのだけれど。私、これからあなたのことをどう呼んだらいいかしら?」
「ん? 呼び方?」
「ええ。あなたはもう、龍帝国の第二皇子、ルークに戻ったのでしょう? 皇帝陛下やオーウェン殿下の前で、今までのように呼ぶのは……流石にいけないと思うの」
ジークは少しの間、天井を眺めながら考え込むように沈黙した。
そして、ふっと表情を和らげ、私の頬を優しく撫でた。
「……正直に言えば、いつも通り『ジーク』でいいと思ってるよ。俺にとっては、そっちの方がずっと俺らしい気がするんだ」
「でも、公式な場ではそうもいかないでしょう?」
「エルは真面目だな。……それじゃ、こうしようか。表向き、人前では『ルーク』。……でも、二人きりの時は『ジーク』。これでどうだ?」
「……表ではルーク、二人きりのときはジーク……」
私はその音を、口の中で転がすように繰り返した。
ルークは、彼が生まれ持った、高貴で重い宿命の証。
ジークは、彼が自らの意志で選び、私と共に歩んできた十年の証。
「そうね、それがいいかもしれないわ。……正直に言うと、ジークという名前を呼べなくなるのは、何だかとても寂しいと思っていたから」
「俺だって同じだよ。あの十年間は、人生で一番泥臭くて、一番自由で……そして、君に出会えた、何よりも大切な時間だ。ルークとしての義務は果たすつもりだけど、ジークとしての俺を捨て去るつもりはない」
ジークは私の手を取り、その手に誓うように唇を寄せた。
「だから、この名前はエルに預けるよ。君が呼んでくれる時だけ、俺は本当の自分に戻れる。……エルだけの特権だ」
「……ジーク。ありがとう。大切にするわ、その名前も、あなたも」
私達は互いを離さないように、唇を重ねた。
存在を確かめ合いながら、熱を刻み込むように。
「兄上、今頃は寝不足の顔で怒っているかな」
「そうでしょうね。こんなに遅くまで戻らなかったんだもの」
「明日帰ったら、長時間の説教コースは覚悟しといた方がいいな。……エル、一緒に怒られてくれるか?」
「もちろん。私はあなたの未来の伴侶で、相棒なんだから。……どんなときも……ずっと側にいるわ」
「ああ。……頼りにしてるよ、俺の可愛い魔道士殿」
背負うべき名前が何であろうと、立たされる場所がどこであろうと。
重なり合う鼓動と、繋いだ手の温もりがある限り、私たちの物語はどこまでも続いていく。
夜凪の中、二人は寄り添いながら、光の差す未来へと向かっていった。
ここまでご愛読ありがとうございました!
本編はこれで完結です。
番外編(その後の話)も投稿予定です。
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<代表作>
「悪役令嬢は全員生存エンドを目指す」
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