21話 愛する人がいない世界、滅びの兆し
「――っ!」
それが私の背に突き立った刹那、視界が白く弾けた。
「エル!!」
鼓膜を突き破らんばかりの絶叫が聞こえる。
ジークの声だ。
刺客を切り伏せる気配、駆け寄ってくる足音。
私の体はそれを聞き届けながら、膝から床に崩れ落ちていた。
「エル! 返事をしてくれ!」
「う……あ、……く……」
声にならない喘ぎしか出てこない。
背中から、燃えるような、それでいて凍りつくような痛みが広がっていく。
(何……これ……痛みで声もあげられない……!)
それは単なる出血ではなかった。
自分の血管が、内側から何か黒いものに侵されていくのが分かる。
肉を、魔力を、そして魂そのものを、じわじわと焼き尽くしていくような感覚だ。
「エルレイン公爵令嬢……! これはただの傷ではない……呪詛だ!」
オーウェン殿下の声が、少し遠くから聞こえた。
「ジーク、今すぐに彼女を連れて外に行き『緑龍』の元へ! この神域を出て、すぐに治療を行わねば彼女の命が持たない!」
「分かってる! そんなことは分かってるんだ!!」
ジークが叫び返す声が、耳の奥で震えている。
私を抱き上げた腕は、驚くほど力強いのに、止まらない動揺で震えていた。
自分の体温が、急速に失われていくのが分かる。
視界の端がぼやけ、焦点が定まらない。
「ジ、ーク……」
かすかに、指先を動かして彼の頬に触れる。
戦いで汚れた頬の感触だけが、はっきりと分かった。
「エル、喋るな。すぐに外へ連れて行く。俺が、俺が絶対に助けてやる。だから……!」
「ごめんなさい……ジーク。私……多分……もう……」
「馬鹿を言うな、エル! 俺を見ろ!」
その必死な声に、私は弱々しく、けれどどこか満足げに笑おうとした。
呪詛の毒が、心臓に近づいてきているのが分かる。
薄れていく意識の中で、アストルシアで過ごしたあの幸福な日々が、ゆっくりと蘇った。
「……あのとき、私を助けに来てくれて、ありがとう。あなたが手を引いてくれたから……私は、あの晩餐会から逃げ出せた。ジークのおかげで、私は……本当の自由を、手に入れられたの」
「やめろ……。そんな、最後みたいな言い方は……っ!」
「愛する人と一緒にいて、喧嘩して、笑って……そんな当たり前の幸せを……教えてくれたのは、あなた……」
「エル!!」
「ジーク……愛してる。どうか……自由に生きて……」
頬に触れていた指先から、力が抜けていく。
まぶたが、抗えないほどに重い。
「…………エル?!」
名を呼ぶジークの声が、水の中で聞くように遠くなっていく。
それでも、意識の底で、私はまだ何かを感じ取っていた。
ジークの声から、いつもの余裕が消えていく。
何かが決定的に壊れて、濁流で崩れ去るかのような音。
「……嘘だ。こんなことが、許されるはずがない」
その呟きだけが、やけにはっきりと耳に残った。
まるで、世界そのものに向けられた呪いのように。
「エルを殺す世界なんて……エルを救えない運命なんて……。そんなもの、全て、一欠片も残さず消えてしまえばいい……!!」
その声を境に、周囲の空気が一変したのが分かった。
肌で押し潰すような圧力が、部屋全体を鳴らしながら広がっていく。
風もないのに、何かが軋み、崩壊していくような感覚。
そして、聞いたこともないほど大きく、静かなものが、すぐ側に在る気配。
「ルーク……!? お前、その力は……!」
オーウェン殿下の、戦慄を隠せない声が遠くで聞こえる。
「これが……白龍……!?」
白龍。
いつか、白い世界で聞いた、あの声の主。
私の体は、もう指先ひとつ動かせないほど冷え切っていたけれど、頭の隅で、ぼんやりとそう思った。
(ジーク……お願い……そんな声を、出さないで……)
そう願うことしかできないまま、私の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。





