22話(ジーク視点)終焉の福音、白龍降臨
ジークの、魂を削り出すような絶望の叫び。
それが引き金となり、彼自身の意思とは無関係に、深淵に眠っていた龍がそのまぶたを持ち上げる。
熱も冷たさも、光も闇も持たない――ただ、万物を見通す存在。
『――我が主。そして、その愛しき番よ。嘆く必要はありません。今こそ、私の力を貸しましょう』
その声は、魂の芯に直接、冷たい氷の楔を打ち込まれるような響きだった。
「白龍……!」
現実を浸食するように、その姿を白龍は現した。
神々しくも、どこか生命の温もりを拒絶するような美しさが撒き散らされる。
『まずは、その呪いと傷を消してあげましょう』
白龍は巨大な頭部を、ジークの腕の中で意識を失うエルレインへとゆっくりと近づけた。
その巨大な鼻先が、彼女の冷え切った額に触れる。
「……お前、何を……」
ジークが息を呑んだ瞬間。
エルレインの背を蝕んでいた漆黒の呪詛が、まるで最初から存在していなかったかのように、跡形もなく掻き消えた。
傷口からは毒が消え、裂かれた服の下の肌が、白い光に撫でられただけで修復されていく。
「エル……? おい、エル!」
死に瀕する呪いも、白龍の吐息一つで無かったことに書き換えられた。
エルレインの頬に微かな朱が戻り、止まりかけていた心臓が、力強い鼓動を再開させた。
『これでもう大丈夫でしょう。……ふふ、主よ。ようやく、私に願ってくれましたね。汝のその美しき情愛を糧に、私はようやくこの世界へと顕現することができました』
白龍の声には、喜びというよりも、実験の成功を喜ぶような、純粋ゆえに恐ろしい愉悦が混じっていた。
「白龍……お前、……エルを、助けてくれたのか……?」
『我が主のためなら造作もないこと。さて、次の願いを叶えてあげましょう』
「……次の願い? 何のことだ……!」
『愛しき主の心を引き裂く、この卑俗な世界。主を苦しめるこの愚かな理。主が望んだ通り、この世界を、一欠片も残さず消し去ってあげます』
白龍の力を唯一知るジークだけが、その言葉に背筋が凍りつく。
「な……!? 待て、やめろ、白龍! 俺が言ったのはそんなことじゃない!」
ジークが叫ぶが、白龍は応えない。
白龍がゆっくりと鎌首を上げ、音のない咆哮を上げた。
その瞬間、上空がインクを洗い流すように白く、透明に消え始めた。
「っく……! 兄上、エルを頼んだ!」
ジークは、眠りに落ちたエルレインを、呆然と立ち尽くすオーウェンの腕の中へと押し込む。
自身は二人から距離を取るように、ふらつきながら後ずさった。
「ル、ルーク……一体何がおきているんだ!」
「白龍の力……その権能は『消滅』だ! くそ、俺にも止められない……!」
その時、回廊へ続く扉から赤い影が飛び出す。
異変を察知したイグニスが、扉を蹴破るようにして飛び込んできたのだ。
「兄さん! な、なんだこれ……!」
「来るな! 白龍の奴、俺の絶望を勝手に解釈して、龍帝国を『消滅』させようとしてるんだ!」
「え……は!?」
ただならぬ様子を察し、イグニスは迷いなく心臓に手を当てる。
周囲に強烈な熱波が生じ、空間を揺らした。
「……来い、赤龍!」
「……青龍!」
ジークとイグニスの叫びに呼応し、神域に新たな二柱の咆哮が重なった。
灼熱の火炎を纏う赤龍と、大空から舞い降りた冷気を放つ青龍。
帝国の至宝である二頭の契約龍が、主を守るために実体化する。
しかし、白龍の眼前に躍り出た瞬間、二頭は激しい戦慄の咆哮を上げた。
『――おや、赤龍、青龍……我が同胞達よ。案ずることはありません。同胞のよしみで、あなた方だけは、消滅させないでおきましょう。主をしっかりと守りなさい。消えゆく世界の末路を見届けるのです』
白龍の言葉は、慈悲ではなく、完全なる断絶。
そこには、説得も会話をする余地もなかった。
「赤龍! おい、どうしたらいい!? お前の力で何とかならないか!」
イグニスが赤龍の背を必死に叩く。
だが、赤龍は、ただイグニスを自分の翼の下に隠し、消失の波から守るだけで精一杯のようだった。
『主よ……無理を言うな。白龍の力へは、儂も……青龍さえも手出しができん。触れた瞬間に、魂ごと「無」へと還されてしまうのだ……!』
「そんな……じゃあどうすればいいんだ!」
「白龍! お願いだ、やめてくれ! エルは助かったんだ、もういいだろう!」
ジークが膝を突き、空中で悠然と輝く白龍へ向かって慟哭する。
だが、白龍に声は届かず消滅は止まらない。
「青龍……本当に、本当に方法はないのか! 私の策が、私の不徳が、この国の終わりを招いたというのか!」
オーウェンが、腕の中のエルレインを守りながら叫ぶ。
彼の青い瞳には、自らがもたらした最悪の帰結への、耐え難い後悔が滲んでいた。
『……オーウェンよ。白龍の力は、対象をただ殺すだけではあらず。その気になれば、存在そのもの……人々の記憶、歴史の記録……その全てを「存在しなかったこと」にできる。我ら龍であっても、その理には抗えん』
「白龍、やめろ……頼む、もうやめてくれ……っく!」
ジークの叫びは、白く塗り潰されていく世界の中で、誰にも届かない虚しい残響となって消えていく。
残っているのは、白龍が作り出す、音も、色も、熱もない、無慈悲な無の予感だけ。
「…………っ」
オーウェンの腕の中で、エルレインが微かに身じろぎをした。
彼女はゆっくりと、そのまぶたを持ち上げた。





