18話 白龍の不吉な言葉、皇帝の願い
気がつくと、私は見渡す限りの「白」の世界に立っていた。
空も、地面もなく、ただどこまでも続く純白の空間。
そこは温かくもあり、同時に生命の気配が希薄な、真空のような静寂に満ちていた。
『――驚かせてしまっただろうか。魔道の申し子よ』
頭上から降り注いだのは、ガラスが奏でるような、透き通った音色。
私が仰ぎ見ると、そこには空を埋め尽くさんばかりの、巨大な白影がたゆたっていた。
漆黒の宇宙を瞳に湛え、真珠のような輝きを放つ鱗が波打つ。
触れそうなほどの存在感がありながら、陽炎のように実体がなく、神々しいまでに美しい。
「……あなた、もしかして白龍?」
私は、導かれるようにその名を口にした。
まるで最初から分かっていたかのように。
『……我が主ジークは、私の存在を嫌っていてな。だが、先刻の汝の言葉……あれは、嬉しかった』
白龍の声には、感情というよりも、ただ事実を淡々と述べるような響きがあった。
だが、その巨大な質量が語りかけてくるだけで、私の魂は怯え震える。
『私の力を、出会いの奇跡として肯定してくれた者は、数千年ぶりだ。……約束しよう。汝が真に危機に陥ったとき、私は必ず汝を助けにゆこう。たとえ、我が主がそれを拒もうともな』
白龍がゆっくりと顔を近づける。
その瞳には、一点の曇りもない。
けれど、その眼差しに射抜かれた瞬間、私は奇妙な違和感を覚えた。
白龍の言葉自体には、好意的な感情が垣間見える。
だがその声音には、温もりが一切感じられないのだ。
「……待って。助けるって、どうやって……?」
『なに、簡単なこと。それは――』
それが何を意味するのかを聞こうとした瞬間、白き深淵は光とともに弾けた。
「……っ」
目を開けると、そこは離宮の寝室だった。
隣では既にジークが身支度を整えていた。彼のアッシュブルーの髪が、朝日に照らされている。
「……エル、起きたか。変な夢でも見たような顔してる。……平気か?」
「ええ……。大丈夫よ」
夢の内容を語る暇もなかった。
二人は昨夜のオーウェン殿下との対談を受け、早朝から皇帝アルドリックのもとへと呼び出されていたのだ。
皇帝の執務室には、椅子に腰を下ろした皇帝がいた。
その威圧感は健在だが、心なしか前会った時よりもその眼差しには複雑な色が混じっている。
「話は聞いている。……オーウェンは、自分が刺し違えてでも、腐敗を断ち切るつもりだ。そして、お前を無理やり皇帝へと押し上げるつもりだろう」
「……父上。あんたはそれを、黙って見ているつもりか?」
皇帝の視線が、窓の外、祭典の準備が進められている広場へと向けられた。
「白の間で行われる儀式の同時刻、私は城の正面バルコニーで、数万の国民を前に演説を行わねばならん。……すなわち、あやつが襲われるその瞬間、私は側にいてやることができん」
「……警備を増やせば済む話だろ」
「旧体制の残党は、城内の警衛騎士団にさえ入り込んでいる。誰が味方で、誰が毒蛇か、判別がつかぬ状態だ。オーウェンはそれを逆手に取り、あえて噛ませることで、蛇そのものを一掃しようとしている」
皇帝はそこで言葉を切り、ジークを真っ向から見据えた。
「……ジーク。そなたこそ、兄のこの計画をどう思う。……率直な意見を聞かせろ」
「――言語道断だ。国を守るために、自分の命を捨て駒にする? そんなの、責任を果たしたことにはならない。ただの逃げだ。残された奴らがどんな思いをするか、兄上はまるで分かってない!」
ジークの言葉は、かつて自分が帝国から逃げ出したことへの自省も含まれているのかもしれない。
だが、今の彼の声には、大切な兄を失いたくないという、一人の弟としての叫びが込められていた。
「俺が白龍を連れているからって、兄上の代わりにはなれない。……死んで問題を解決しようとする奴なんて、底抜けの臆病者だ」
「……ふん。手厳しいな」
皇帝はふっと口角を上げた。
その顔は、一国の主ではなく、困った息子を持つ父親の面差しだった。
「だが、私も同感だ。……オーウェンは優秀すぎて、自分の命さえも盤上の駒として見てしまう節がある」
一瞬の間を挟み、皇帝の黄金の瞳が私達を射る。
「お前達は白の間を、オーウェンを守れ。……あやつの計画を、完膚なきまでに叩き潰してこい」
「……言われなくても、そのつもりだ」
「私も微力かもしれませんが、お力添えします。オーウェン殿下のことは……私達にお任せください!」
私は胸元で拳を握りしめ、ざわめく心臓を抑えつける。
白龍の不可解な囁き。
オーウェン殿下の決意。
そして、皇帝陛下の願い。
すべての思惑が、建国記念祭の華やかな喧騒に飲み込まれていくようだった。





