16話 死に至る、第一皇子の純粋なまでの愛国心
本宮の深奥、第一皇子オーウェン殿下の執務室。
扉を潜り抜けた先には、整然と並べられた書架と、夜更けにも関わらず積み上げられた書類の山。
そして光に照らされたオーウェン殿下の姿があった。
「兄上、話がある」
「こんな夜更けになんだ……ジーク」
帝国を支えるオーウェン殿下は、ジークと私の突然の来訪にも、手に持ったペンを止めることさえしなかった。
「兄上の暗殺計画が上がっている。そのことを相談しに来た」
「……そうか」
しかし、一通りの報告を終えても、オーウェン殿下は眉ひとつ動かさなかった。
ただ静かにペンを置き、組んだ指の上にあごを乗せて、窓の外に広がる帝都の夜景を見つめているだけだ。
そのあまりの冷静さに、さすがのジークも怪訝な顔をした。
「兄上、もう知っていたのか? ……暗殺計画のことを」
ジークの問いに、オーウェン殿下はゆっくりと視線を戻した。
どこまでも透き通った蒼い双眸が、ジークを射抜く。
「……龍帝国の安寧を預かる立場だ。青龍の目を通し、宮中の不穏な動きや、腐敗した者たちの密談は、ある程度感知していた」
「知っていたなら話は早い。すぐに警備を増強して、あいつらを一網打尽に――」
「その必要はない。お前達は何も心配せず、ただの賓客とその護衛として、祭典を楽しんでいろ」
「……何だって?」
ジークの黄金の瞳が、不信感に歪んだ。
私もまた、困惑した様子で一歩前へ出る。
「白の間は、龍との絆が届かない神域だと伺いました。……いくら殿下とはいえ、命を落とす危険があります」
「エルの言う通りだ。龍の目が届かないところで襲われでもしたら、兄上でも死ぬかもしれないんだぞ!?」
ジークの必死の訴えに、オーウェン殿下は微かに口角を上げる。
それは自嘲とも、あるいは何らかの決意を秘めた笑みとも取れた。
「……大した問題ではない」
「オ、オーウェン殿下! 何を仰っているのですか!?」
一切の動揺を見せない言葉に、耳を疑った。
彼はこの国の第一皇子であり、王位に最も近い人物だ。
決してその生命を軽んじて良い立場ではない。
「ジーク。もし、私に何かあったときは……『頼んだ』ぞ」
その言葉が落ちた瞬間、ジークの中の何かが弾けた。
ジークは踏み出した勢いのまま、オーウェン殿下の胸ぐらを力任せにつかみ上げた。
「……なるほどな、兄上……。ふざけるなよ……!!」
ジークの絞り出すような、怒号にも似た声が、静かな執務室に響き渡る。
「兄上、最初から、この計画を逆手に取って、死ぬ気なんだろ!」
私は、ジークの言葉に弾かれたようにオーウェン殿下へ視線を向けた。
「……龍帝国のためになるならば、私はこの身を惜しむことはない」
「どういうことですか!? 殿下がいなくなれば、龍帝国は混乱に陥ります! 帝国の安寧を願うならば、殿下が生き残ることこそが最優先のはずです!」
「エル、だからだよ。兄上は、自分が死ぬことで、俺を追い詰めようとしてるんだ」
「え……!?」
「もし、兄上が死ねば、次期皇帝の座は空位になる。その混乱を収めるために、誰よりも強い龍……白龍を持つ俺を皇帝候補として引きずり出す気なんだよ!」
私は絶句して、オーウェン殿下の彫刻のように整った顔を見つめる。
オーウェン殿下の瞳は、どこまでも澄んでいた。
「みすみす無駄死にする気はない。腐敗した勢力を一掃する証拠を遺し、同時にお前に帝国の未来を託す。それができるのなら、私の死はそこまで騒ぐことではない」
「……っ、ふざけるな! 兄上の命を対価にした玉座なんて、俺が欲しがると思っているのか! 兄上には感謝してる。国を支え続けてくれたこと。白龍のことを黙ってくれたこと……全部に」
ルークの拳は震え、怒りと悲痛で瞳の奥底まで揺らめいている。
「兄上は、自分を押し殺して、感情を捨てて、青龍の器として生きてきた。それは知っている。……だが、このやり方だけは許せない!」
ジークは、オーウェン殿下を突き飛ばすように放した。
オーウェン殿下は椅子に深く沈み込み、乱れた襟を直すことさえせずに、ただジークを見つめ返した。
「許さなくていい。お前が私を憎んででも、帝国の安寧が保たれるならば、私の本望だ」
「……ああ、わかったよ、兄上。あんたがそこまで言うなら、俺にも考えがある」
ジークは私の手を引くように取った。
その指先からは、決意が込められたかのように力が伝わってくる。
「兄上は絶対に死なせない。あいつらの計画も、あんたのその馬鹿みたいな自己犠牲も、俺が全部まとめて叩き潰してやる! エル、行くぞ」
「……ええ。オーウェン殿下……命を捨てることで得られる安寧など、有り得ません。ジークが……そして私も、絶対に御身をお守りします!」
私達は一度も振り返ることなく、オーウェン殿下の頑なな覚悟を背に執務室を後にした。
夜風が、建国記念祭の華やかな予感と共に、死の香りを運んでくる。
龍帝国の命運を懸けた、最悪な不自由が、始まろうとしていた。





