10話 龍と契約する方法、変わらない気持ち
用意された離宮の客室は、アストルシア王国の王宮を遥かに凌ぐ贅を尽くした空間だった。
魔石が放つ淡い光が、白亜の壁と最高級のシルクを照らし、甘くも爽やかな香油の香りが鼻腔をくすぐる。
皇帝との対面を終え、ようやく手に入れた二人きりの静寂。
だが、その沈黙は一瞬にして、熱を帯びた抱擁によって破られた。
「……っ、ん……! ちょっと待って……ジーク、苦しいわ!」
離宮の扉が閉まった瞬間、私の体はジークの腕に抱き上しめられていた。
「待たない。……十分過ぎるほど待ったよ、エル。晩餐会でのあの騒動、ここまで辿り着くまでの道中……いや、君と初めてアストルシアで出会った、あの瞬間からずっと」
「ジーク……」
黄金の瞳が至近距離で揺れている。
私は熱くなった顔を隠すように、彼の胸元に額を預けた。
「……でも、まずはこれからのことを話し合いたいの」
「それがエルの望みなら、少しだけ待つよ。さて、何から話す? 俺たちの結婚式の日程? それとも、子供は何人ほしいかって話?」
「ち、違う! その、ジークは……これからどうするの? 白龍のことを隠すということは……皇帝にはならないの?」
私は顔を上げ、真剣な眼差しを向ける。
ジークは私の髪を一房すくい上げ、愛おしげに指に絡めた。
「もちろん。あ、それともエル、皇妃になりたい? 皇帝になるのは死ぬほど気が進まないけど、エルの頼みなら、父上から力ずくで冠を奪ってもいい」
「……ねえ、もしかして。あなたが今日、その身分を明かしたのは、私のために……?」
「まあ、そういうことになるかな。あの馬鹿王太子から、手っ取り早く君を守るには、皇子の肩書きが一番便利だったからさ」
「……ごめんなさい」
「なんでエルが謝るんだ? むしろ、今まで騙すような真似をしていた俺の方こそ……」
「私があなたの自由を奪ってしまった。あなたは、龍帝国に戻りたくなかったのでしょう? 十年間も、自分を消して生きてきたのに……」
アストルシアでの「剣聖ジーク」は、誰にも縛られず、ただ己の剣だけを信じて生きていた。
その自由を、自分のために捨てさせてしまった。
その罪悪感が、私の胸を刺す。
しかし、ジークは可笑しいとでも言うようにくすりと笑い、私の顎を優しく持ち上げた。
「それは前提が間違ってるよ、エル。俺が国を抜けたのは、君のためだ。エルがいなきゃ、俺は今もこの退屈な城で死んだ魚のような目をして暮らしていたはずだよ」
「え……?」
「それに……白龍と契約したのも、エルに会いに行こうとしたのがきっかけだしな。エルがいなければ王位継承権すらなかったさ」
「どういうこと? 龍との契約は、実力によるものじゃないの?」
「んー、実力もそうだけど、龍との相性が一番かな。白龍的には、一人の女性のために地位も名誉も、自分の人生のすべてを躊躇なく投げ捨てるその『狂気』が気に入ったらしいよ」
ジークは苦笑まじりに、自身の契約紋がある左肩を指でなぞった。
「どの龍と契約するかは、基本的には選べない。龍側が気に入った奴を選ぶからね。……白龍は数千年もの間、自分のお気に入りを見つけられなかった。それが、たまたま俺だったってだけさ」
この神龍帝国ガイアリスにおいて、契約する龍の「格」が何よりも重いのは、オーウェン殿下と皇帝との対話でよく分かっている。
私は、ジークの言葉を一つひとつ反芻した。
「龍によって、そんなに大きな違いがあるの?」
「もちろん。例えば、父上の黄龍は雷を司る最強の武神だ。兄上の青龍は大空を支配し、時には天候すら操る」
ジークは、身内の例を出しつつ、淡々と話を続けた。
「……契約者は、その龍の権能を、自分の能力として行使できる。だから強国として君臨するために、生まれた順番よりも龍の格――『誰が王にふさわしい龍を従えているか』が大事にされてるってわけだ」
「白龍は何ができるの? その能力のおかげで、今まで龍帝国の目をかいくぐれたのよね?」
私の問いに、ジークの動きが止まった。
彼は黄金の瞳をわずかに伏せ、何かを迷うように視線をさまよわせる。
「あー、やっぱり聞きたいよね。……エルにも関係があることだし」
「……言いたくないことなら、無理にとは言わないわ」
「正直ちょっと悩むな。……けっこう大変な能力なのは間違いなくてさ。……俺自身、この力を使うときは、自分が自分でなくなるような感覚に陥ることがある。でも、エルになら……」
ジークの手が、私の細い首筋に触れる。
その手は、わずかに震えているように見えた。
最強の剣聖、伝説の龍を従える皇子。
そんな彼が初めて見せた、微かな怯え。
それを見た瞬間、私は彼の口を、自らの指で優しく塞いだ。
「……いいわ。それ以上は、言わなくていい」
「エル……」
「あなたが自分から言いたくなった時に、その時に聞かせて。……あなたがどんな恐ろしい能力を持っていたとしても、私の気持ちは変わらない。……あなたが私を守ってくれたように、今度は私が、あなたの心を支えるだけだから」
ジークの瞳に、熱い衝撃が走った。
彼は一瞬、呆然とした後、こらえきれないといった様子で私を抱きすくめた。
「……やっぱり、エルは最高だ。……君を連れ去って、本当によかった」
「ちょ、ちょっと、ジーク……! まだ聞きたいことが……! 明日からどう振る舞えばいいかとか、正式な婚姻の……!?」
「それはまた、明日にしよう。今はせっかくの二人きりの時間を楽しみたいんだ」
帝国の静かな夜は、ジークの甘く染まった言葉に遮られる。
彼の強引さにため息をつきつつも、私は彼の口付けを受け入れた。





