9話 皇族達への相談、最高機密の白龍
神龍城の最奥、そこは数千の英知が眠る皇帝の私設書斎だった。
そこは、外部の喧騒が一切遮断された聖域だ。
執務机を挟んで、皇帝アルドリック陛下が静かに黄金の双眸を上げた。
「オーウェンからの伝書で、概ねの事情は把握している。……久しいな、ルーク。十年ぶりか」
「父上も息災で何より。相変わらず、その椅子に座っているだけで部屋の空気が重くて敵わないよ」
ジーク――皇子ルークの、あまりに不敬な口調に、隣に立つ私の心臓は止まりそうになる。
私はドレスの裾を掴み、完璧な優雅さで膝を折った。
「お、恐れながら、ご挨拶申し上げます! 私はアストルシア王国、ベルシュタイン公爵家が長女、エルレインと申します。この度は、遠路より不躾な入国をお許しいただき、心より感謝申し上げます!」
震える声を抑え、一国の公爵令嬢としての矜持を持って頭を垂れる。
アルドリック陛下の視線が私に注がれた。
それは、魂の奥底までをも見透かすような、鋭利な黄金の光だった。
「エルレイン公爵令嬢。遠路はるばる我が国へよくぞ参った。龍帝国皇帝の名において、そなたの来訪を歓迎しよう。堅苦しい挨拶は良い、面を上げよ。我が放蕩息子が世話になったようだな」
「もったいないお言葉にございます、陛下……」
皇帝の言葉には、抗いようのない力があった。
歓迎と言いつつも、その覇気は私の魔力を容易く押し潰す。
その時、防音魔法が施された厚い扉が開き、青い髪をたなびかせた男が足早に入ってきた。
「……父上、第一皇子オーウェン、ただいま戻りました」
「お、兄上。早いな。もう少しゆっくり戻ってきても良かったのに」
ジークが軽薄に手を振ると、オーウェン殿下は深いため息を一つ吐いた。
そして、部屋の防音魔法が完全であることを確認するや否や、仮面のような完璧な表情を崩して怒声を上げた。
「……この馬鹿者! お前という奴は、事の重大性が分かっているのか! 国境を越える際にも、どれほど私が神経を磨り潰したと思っている!」
「まあまあ、そう怒らいないでよ。おかげで無事に入城できたんだからさ」
オーウェン殿下の怒声を涼しい顔で受け流すジーク。
アルドリック陛下が諌めるように手を挙げ、騒ぎを鎮めた。
「オーウェン、もうよい。……ルーク。白龍と契約したというのは、真か」
その一言で、部屋の空気が凍りついたように固まった。
「白龍は歴史において幻と称される、伝説上の存在。かつて初代皇帝が使役したとされるその龍の佇まいは、今や謎に包まれている。契約が真実なら国家を揺るがす大事となる。正直に答えよ」
「あー……まあ、そういうことになるね」
「……白龍は我が帝国民すべてが信仰し、畏怖する唯一無二の存在。もしその事実を公表すれば、そなたは十年の放蕩など関係なく、直ちに皇帝の座へ就くことすら可能な力を得たのだぞ。この重大性が分かっているのか?」
皇帝の言葉は重い。
それは祝福ではなく、呪いのような宣告だった。
「興味ないな。俺はエルと結婚できれば、それでいいんだ。だいたい、十年も出奔していた皇子が突然戻って、いくら白龍の契約者だから皇帝になるなんてさ……そんなの国が乱れるだけだろ?」
「……多少の混乱では済むまいな。しかし、白龍の威光はその混乱すらも平伏させるだろう。……ルーク、そなた、真に契約しているのだな?」
「ん? ……証拠に白龍呼べってこと?」
「ば、馬鹿者!! 控えろ!!」
オーウェン殿下が血相を変えて割って入る。
「みだりに契約龍の姿を晒すことは禁じられている! ましてや白龍など……!」
「……少し、見たいものだな」
「父上!?」
皇帝の意外な好奇心に、オーウェン殿下が絶句する。
アルドリック陛下は咳払いを一つして、居住まいを正した。
「ごほん……。ルーク、この十年、我々はお前を血眼で探していた。しかし、そなたが『剣聖』として大陸中に名を轟かせたにも関わらず、我が国ですらそなたの居所を感知できなかった。……それも、白龍の力か?」
「まあ、な。あ、でも剣聖になる過程では白龍の力は一切使ってないから。……そこは安心して、エル」
「ジーク……問題はそこではないと思うわ……」
私は困惑しながらも、ジークの横顔を見つめた。
「ルーク、その様子だとそなたは……白龍の存在を、このまま秘匿したいのだな?」
アルドリック陛下の問いに、ジークは迷いなく頷いた。
「間違いなく、そうだね。しがらみは真っ平ごめんだし、エルとの平穏な生活を邪魔されたくない」
「……よかろう。白龍の件は、この場にいる者だけの最優先機密とする」
「ち、父上……! そのようなことが可能なのですか?」
オーウェン殿下の懸念に対し、アルドリック陛下は不敵に目を細めた。
「……ルーク、そなたの意に染まぬことを強いて、またどこぞへ逃げ飛ばれては目も当てられぬ。それならば、私の目が届く範囲で大人しくさせておく方が上策だ」
「さすが父上。話がわかるじゃん」
「ジーク! いくら父君とはいえ……皇帝陛下にその態度はあまりに不敬よ……!」
私が慌ててたしなめるが、アルドリック陛下は愉快そうに笑った。
「構わぬ。……エルレイン公爵令嬢。そなたのアストルシアにおける立場、およびベルシュタイン公爵家の安全については、我が国の庇護下に置くよう外交の場で善処しよう。しばらくは、我が国に滞在していただけるか?」
私は深々と頭を下げた。
「は、はい。身に余る光栄に存じます。陛下の慈悲深きご配慮、ありがたき幸せにございます」
「ルーク……いや、今はジークと呼ぶべきか。今後の処遇については追って沙汰を下す。今は、その大切に連れてきた姫を労うが良い」
「もちろん、言われなくてもそうするよ」
「……ひとつだけ伝えておこう。血の近しい者――すなわちお前の兄弟たちには、契約龍の気配は隠せまい。白龍であることは伏せるが、お前が契約龍とともに帰還したことは兄弟たちに知らせる。良いな?」
「それくらいなら、いいよ。……それじゃ、そろそろ行っていい? エルが長旅で疲れてるんだ」
「……ルーク。いや、ジーク」
ジークの足を止めるように、オーウェン殿下が声をかける。
「お前達は一時的に隣国からの賓客として扱う。アストルシア王国で箝口令は敷いたが、ジークとルークが同一人物ということは、いずれ広まるだろう。……だが、短期間なら情報統制で存在を誤魔化せるはずだ」
「……ありがとな、兄上。色々迷惑かけたことは謝るよ」
「全くだ……。相応しい離宮も用意させてあるから、しばらくはそこに滞在しろ。だがな……」
オーウェン殿下が再び、指を差して警告する。
「くれぐれも、城外には出るな! 白龍の力を使うな! 悪目立ちするな! 過度な不祥事を起こすな! それから……」
「行こうか、エル。兄上の小言は、一度始まると三日は終わらないからね」
「待て! ルーク! まだ話は終わっていない!」
オーウェン殿下の絶叫を背に、ジークは私の腰を抱き寄せ、軽やかな足取りで書斎を後にした。
秘密を共有した龍たちの夜。
私は、ジークの腕の温もりを感じながら、これから始まるであろう波乱の日々に、密かな覚悟を決めるのだった。





