11話(アルドリック・オーウェン視点)皇帝と第一皇子の心中
窓の外に広がる帝都の夜景を背に、皇帝アルドリックは深く椅子に身を預け、ただ一点を見つめていた。
その傍らで、第一皇子オーウェンは、押し黙ったまま複雑な表情で弟が去った扉を見つめている。
「父上……。本当に、これで良かったのですか?」
沈黙を破ったのは、オーウェンの惑いを含んだ声だった。
その問いには、単なる兄弟愛だけではない、帝国を背負う者としての重苦しい懸念が混じっていた。
「そなたこそ、良いのか。……オーウェン。そなたが次期皇帝として、この十年間どれほどの血を吐くような努力を続けてきたか。それを一番近くで見てきたのは、他ならぬこの我だ」
オーウェンは一瞬だけ、蒼の瞳を揺らした。
彼が最強格の青龍の契約者として、己の感情を殺し、帝国の盾であり剣であることを自らに強いてきた。
突然現れた弟が、伝説の白龍を連れて現れたことで、彼が積み上げてきた「次期皇帝」としての正当性は、根底から覆されようとしている。
「私は、龍帝国の安寧を一番に考えています」
オーウェンは姿勢を正し、清廉な空気をまとって言い切った。
「我が帝国は代々、もっとも強き龍を従えし者が皇帝に即位することで、その繁栄と秩序を守ってきました。龍こそが絶対の法。なればこそ……『白龍』の契約者であるルークが皇帝の座に就くべきです」
青空のように澄んだ瞳で、オーウェンは迷いなく言葉を紡ぐ。
青龍の契約者らしい、実直な気持ちだった。
アルドリックはふっと口元を緩めたが、その瞳の奥には依然として明晰な光が宿っている。
「だがな、オーウェン。そなたも知っての通り、白龍という存在はあまりに不可解だ」
皇帝の言葉に、オーウェンの眉がぴくりと動く。
龍帝国の始祖が使役したとされる伝説。
しかし、その記録は不可解なほどに残っていない。
他の色を冠する龍たちには、それぞれの司る権能や性質が詳細に記された書物が存在する。
しかし、白龍に関してだけは、その能力について一切の記録が残っていない。
まるで、意図的に削除されたように。
「龍の知識に関しては、我も帝国一を自負しておるが……白龍の底力だけは、未だに見当もつかぬ。それは単なる力ではなく、世界の理そのものを書き換えるような、異質なものを感じる」
「……ルーク自身も、その能力を隠したがっているように見えました」
「左様。もし不用意にその本質を暴こうとすれば。あるいは強制的に玉座へ座らせようとすれば、その逆鱗に触れ、災厄を招く可能性もある」
アルドリックは、机の上に置かれた古文書に触れる。
龍を愛し、龍と共に生きてきた皇帝にとって、伝説の白龍をその目で、その真の姿を拝みたいという欲求は、抗いがたい誘惑だった。
しかし、彼は皇帝としての責務でそれを抑え込んだ。
「ルークが十年の放浪を経て、あのアストルシアの令嬢を連れて戻ってきたこと。それ自体が白龍の導きなのかもしれぬ。あの娘は、ルークという猛獣を繋ぎ止める、唯一の鎖だ」
「……では、やはり当面は白龍の件、隠し通すと?」
「ああ。少なくとも、他の兄弟たちが嗅ぎつけるまではな。……だが『赤龍』……末弟はルーク以上に好戦的だ。ルークの存在を知れば、力比べを挑もうとするだろう。それが白龍を刺激せねばいいがな」
父の言葉に、オーウェンは再びため息を吐いた。
弟が戻った喜びよりも、これから起こるであろう騒動の火種を数える方が、彼にとっては現実的な問題だった。
「ルークの望み通り、今は自由にしてやろう。城に閉じ込めておくのは不本意だろうが、奴が自らの居場所として龍帝国を認めるまでは、刺激してはならぬ」
「父上は……あやつを信じておられるのですか?」
その問いに、皇帝は窓の外を見つめた。
夜の闇に浮かぶ離宮。
そこには、理解を超えた強大な力を持ちながらも、ただ一人の女を愛することを望む、彼の息子の気配があった。
「信じているわけではない。ただ、見てみたいのだ。白龍の契約者が……ルークが我らに何を見せてくれるのか」
「……父上……。分かりました、私もできる限りの善処はいたします。……白龍のためならば、『この身』を捧げることも厭いません」
「オーウェン。明日の朝には、ルークの帰還を最小限の範囲で公表する。そなたの手腕に期待しているぞ」
「御意。……今夜は、眠れそうにありません」
オーウェンは深々と一礼し、書斎を後にした。
残された皇帝は、ただ静かに、夜の静寂に身を委ねながら、息子がもたらした波乱の行方に思いを馳せるのだった。





