第2話 偏屈
キャンパスの端にあるベンチで、死にそうな顔をしてパンを齧る男の姿を、カレンはいち早く見つけていた。
「あ、見つけた!」
張り詰めていた試験が終わった解放感と、お目当ての男を見つけた喜びで、カレンの顔がパッと華やぐ。
彼女は弾むような足取りで、今すぐ男のもとへ駆け寄ろうと駆け出した・・・・が、ハッと思いとどまって急ブレーキをかけた。
(だめだめ、これじゃ私がわざわざあいつを探してたみたいじゃない。・・・・・よし、落ち着け私!)
カレンは深呼吸をして、にやけそうになる口元をぐっと引き締めた。
そして、何事もなかったかのようにすました顔を作ると、たまたま通りかかった風を装い、ゆっくりとした足取りで、何気ない様子を装いながら男の座るベンチへと近づいていった。
「よっ。卒業できそうか」
いきなり話かけて来たのは、悪友というべき存在の『カレン』だった。
ちなみに、カレンはルーマニアからの留学生で、男言葉を流暢に話す生粋の女子だ。別に親友という関係ではないが、なにかにつけてチョッカイを出してくる学友だ。
「まぁ、再試二個くらいで卒業できそうだ」
「・・・最後の試験で再試ってどうなのよ」
そう言いながらカレンは、聞きもしないで無遠慮に俺の隣に腰を下ろすと、両手を広げて大きく背伸びをした。
「・・おそらく、会うのも今日で最後になるであろう晴れの日に、その悪態か・・・」
「フン・・・・最後の日がなんで晴れの日になるのかね、君」
「そういうお前はどうだったんだよ。はれてルーマニアにご帰還できそうか」
「わたし、ルーマニアには帰らないよ。日本の風景が好きだから」
「・・・そか。まぁ、俺だって田舎に帰るつもりないし、日本というよりも東京に残るつもりだ」
「・・・・・わたし、今、日本に残ってやるって言ったぞ。なんか、感想はないのか」
「ん・・・そうだったか、君が日本に残ってくれたら、日本も安泰だな」
「はぁ・・・・君はそういうやつだった。そうそう、そういう味気ないやつだった。聞いた方がわるかった」
カレンは、呆れたように俺を見つめている。
「考えて見たら、ルーマニアと日本の対比って、田舎と東京の対比に似てるな」
「はぁ?」
「俺からしてみれば、田舎と東京は、あまりに違いすぎて、俺にとって東京は異国そのものだ・・・てこと」
「それを田舎者と言うんじゃないのか。故郷はどこまで行っても故郷で、他と対比するものではないよ」
「おもしろくない」
「何が?」
「その正論めいた正論」
それを聞いていつものように満足げに微笑むカレン。
美味くもないパンを口に突っ込んだ俺は、徐にこう言った。
「さっき、ゼミの教授に呼ばれて、君のような偏屈な人物は、置かれた環境で孤立する。生きて行くにはバランス感覚必要だよってなことを言われた」
「う・・うける」
そう言ったカレンは、いきなり笑い出した。
「失礼なやつだな。なんで笑う」
「いや、まっとうな助言すぎて、かえっておもしろい」
「だいたい、偏屈ってなんなんだよ。それ自体俺には分からん」
「・・・そうなんだ・・」
「だいたい、偏屈な人間が、自分は偏屈だと思うか?おそらく、自分では認められないから偏屈なやつは偏屈なんだよ」
「ふむ・・」
「小学校の時、俺一人がたくさんのチョコレートをもらった。別に自慢とかそういうことではなくて、単に、不公平だと思った。だから、もらったチョコレートを堂々と男子全員で分けて食べた。そしたら女子全員から非難された。これって偏屈ってことなのか?
中学の時、女子と二人で映画館に行った。見るのを予定していた映画のほかに、以前から見たい映画を同時上映していた。俺は、こっち見るから、お前は予定の映画をみれば。終わったらここに集合な。って言ったら、その女子が泣き始めた。お互い、相手に合わせて見たくも無い映画を見ることの方が相手に失礼だと思った。これって偏屈なのか?
高校の時、女子から告白されて、付き合ってくれと言われた。俺は、軽い気持ちで良いよと返事した。ただ、その前に、俺について知ってることを十個言って見てって言った。相手が勘違いしているだけだと知らしめるためだ。そしたら、その子の友達全員から非難された。これって偏屈なのか。
アルバイト先で、毎日弁当を作ってきてくれる女子が居た。俺は、意味もなく理由もない行動は疲れるだろうから、もう作ってこないでくれって言ったら、その女子が泣き出して、周りからパワハラ認定された。これって偏屈?」
「・・・・・」
「・・・なんだよ、なんか言えよ」
「言っていいのか」
「おぅ。言ってみろ」
「一言で言って、きしょい」
「・・・・・・」
「話が長い。しかも退屈」
「・・・・・・」
「その話の対象が全て女子なのはなんでだ」
「・・・・・・」
「その話で、君が偏屈かどうかを議論することはできない」
「・・・なんで?」
「今の話って女子に対するコミュ障の残念な男の話にしか聞こえない」
「そんなこと・・・・・・あるか」
「でも、大丈夫だと思うぞ」
「何が・・・」
「だって、そうだろ。お近づきになりたいと願う男子どもから、最も難攻不落な女性と認定されている私と、君は難なくコミュニケーションをとっている」
「なんか、すごい自信だな。お前が難攻不落なんて初めて聞いたぞ」
「えっへん!」
「・・・あほらしい」
「まぁ、偏屈な人って、往々にして正論を押し付けてくる人が多い。君は知っているか。戦争がなぜおきるか」
「・・・正論の押し付け合い・・」
「そうとも言えるが、自分が考える正義を正論と勘違いして、それを相手に押し付けようとするからだよ」
「・・・・」
「正しいこと、正義は、人の数だけある。それを認められないから争いが起こるし、コミュニケーションエラーが起こる」
「・・・そうかもしれないな」
カレンは、旧ソ連から自由を勝ち取るために血を流してきた国で生まれ、生きるための真剣さを身を持って体現してきた。
言葉の重みは体験の濃密さによって裏付けられる。
「でもね」と、カレンは少しトーンを落として、どこか遠くを見るような目をした。
「君のそういう『偏屈さ』って、ただの我が儘とは違うんだよ。私は君が自分を偏屈だと卑下する理由を知っているし、それが君の優しさだってことも分かっている」
「優しさ? 俺のどこがだよ」
「覚えてないか? 二年の夏、私がゼミの課題で行き詰まって、教授室の前で泣きそうな顔をして突っ立っていた時のこと」
言われてみれば、そんなこともあったような気がする。
「あの時、他の男たちは『大丈夫?』とか『力になるよ』なんて口先だけの優しい言葉をかけて、好感度を上げようとしてきた。でも君は違った。『カレン、お前の日本語の論文は助詞の使い方がめちゃくちゃだし、構成も論理的じゃない。だから教授に突き返されるんだ。ほら、見せろ。直してやる』って、真顔で私のプライドをズタズタにするようなことを言ったんだぞ」
「あー……言ったかもな。悪かったよ」
「謝るな。君は私を『哀れな留学生』として特別扱いせず、一人の対等な学友として、本気で、真っ直ぐにぶつかってきてくれた。周囲の目を気にせず、ただ私が本当に必要なものを差し出してくれた。夜遅くまで、私の拙い日本語に文句を言いながら、最後まで付き合ってくれただろう? あの時、私は自分の国を飛び出して、この日本で初めて『あぁ、私はここにいていいんだ、本当の仲間ができたんだ』って心から救われたんだよ」
カレンは少し照れくさそうに笑い、俺の顔をじっと見つめた。
「君は空気を読まないし、お世辞も言えない。でも、誰よりも嘘がない。私にとってそれは、世界中のどんな優しい言葉よりも価値があるものだった」
「・・・・・・・」
「に、してもだ、君の偏屈さは、なんだか笑える部分もあって、単にバカなだけじゃんって感じもある。ただ、たぶんだけど君みたいに空気読めないやつって、一言で片付けられない面があって、まっすぐ過ぎる君の性格を知る者にとっては、極めて好感のもてる面でもあると思う」
「なんだ、その面倒な言い回しは」
「そんな君が好きってことさ」
なるほど、偏屈って、そんなに悪くない。
おわり
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